昨日の朝日新聞夕刊に、「あすは何の日 漱石、「鼻」をほめる」という記事がありました。
翌日が、どういう意味を持つ日かを解説するコーナーです。
2月19日は、夏目漱石が、芥川龍之介の「鼻」をほめた日なのだそうです。
短編小説「鼻」は、鼻が長いことを気に病む僧を主人公にした物語です。
夏目漱石は、1916年2月19日に、
「大変面白いと思ひます。落着(おちつき)があつて巫山戯(ふざけ)てゐなくつて自然其儘(しぜんそのまま)の可笑味(おかしみ)がおつとりと出てゐる所に上品な趣があります」とたたえる手紙を送りました。
芥川龍之介は、この評価で、文壇での地位を確かなものにします。
このとき、芥川龍之介は23歳、夏目漱石は49歳でした。
直接のつきあいは、その前年の12月に始まったばかりでした。
夏目漱石は、この手紙から10カ月ほどで亡くなります。
2人の人生が交差したのは、ほんの一瞬だった、ということです。
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芥川龍之介は、1915年(大正4年)10月、代表作の1つとなる「羅生門」を『帝国文学』に発表し、級友の鈴木三重吉の紹介で夏目漱石門下に入ります。
1916年(大正5年)には第4次『新思潮』を発刊し、その創刊号に掲載した「鼻」が漱石に絶賛されました。
1918年(大正7年)3月、芥川龍之介は、教職を辞して大阪毎日新聞社に入社(新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない)、創作に専念するようになります。
師の夏目漱石も1907年、同じように朝日新聞社に入社している、ということです。
(ウィキペディア「芥川龍之介」参照)
芥川龍之介と夏目漱石が師弟関係にあったとは、知りませんでした。
翌日が、どういう意味を持つ日かを解説するコーナーです。
2月19日は、夏目漱石が、芥川龍之介の「鼻」をほめた日なのだそうです。
短編小説「鼻」は、鼻が長いことを気に病む僧を主人公にした物語です。
夏目漱石は、1916年2月19日に、
「大変面白いと思ひます。落着(おちつき)があつて巫山戯(ふざけ)てゐなくつて自然其儘(しぜんそのまま)の可笑味(おかしみ)がおつとりと出てゐる所に上品な趣があります」とたたえる手紙を送りました。
芥川龍之介は、この評価で、文壇での地位を確かなものにします。
このとき、芥川龍之介は23歳、夏目漱石は49歳でした。
直接のつきあいは、その前年の12月に始まったばかりでした。
夏目漱石は、この手紙から10カ月ほどで亡くなります。
2人の人生が交差したのは、ほんの一瞬だった、ということです。
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芥川龍之介は、1915年(大正4年)10月、代表作の1つとなる「羅生門」を『帝国文学』に発表し、級友の鈴木三重吉の紹介で夏目漱石門下に入ります。
1916年(大正5年)には第4次『新思潮』を発刊し、その創刊号に掲載した「鼻」が漱石に絶賛されました。
1918年(大正7年)3月、芥川龍之介は、教職を辞して大阪毎日新聞社に入社(新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない)、創作に専念するようになります。
師の夏目漱石も1907年、同じように朝日新聞社に入社している、ということです。
(ウィキペディア「芥川龍之介」参照)
芥川龍之介と夏目漱石が師弟関係にあったとは、知りませんでした。
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