昨日の朝日新聞に、「週刊首都圏 認知症、でも働きたい 50代「終わっていない」」という記事がありました。
40~50代の働き盛りで発症する若年認知症は、子どもが小中学生だったり家のローンが残っているのに大黒柱を失って経済的に困ることと、「仕事」への思いが強いことが、高齢者とは違う点なのだそうです。
東京都でマスコミで30年間働いてきた男性は、50歳になったとき、物や人の名前が出てこなくなりました。
年のせいだろうと思っていたら、「ペットボトル」が言えなくなりました。
職場では書類が書けず、段取りができなくなりました。
医者に診てもらうと、「若年認知症」と言われました。
上司に診断名を告げると、解雇されました。
再就職先を探しましたが、「あなたはもう終わった人だから、みたいにいわれて」見つかりませんでした。
子どもは、小学4年、6年、中学2年で、マンションのローンも残っていました。
奥さんは、「夫のこぐボートに安心して乗っていたのに、急にこぎ手を代わってと言われても」。
途方に暮れましたが、泣いている余裕はなく、10年ぶりに仕事に出て、現在では土日も働いています。
若年認知症の家族の会「彩星(ほし)の会」で、傷病手当や障害年金の存在を教えてもらい、助かりました。
男性は、認知症の中でも、情動を司る前頭葉が委縮する前頭側頭型認知症(ピック病)でした。
人柄が変わり、「子煩悩で穏やかだったのに、子どもに無関心で自己中心になり、私が好きだった夫ではなくなりました」。
食事は決めた時間に1人で台所で立って食べ、団欒がなく、妻へのいたわりの言葉もありません。
新宿にある若年認知症社会参加支援センター「ジョイント」に通うようになりました。
ここでは、若年認知症と診断され、なお働きたいと願う元公務員や元会社員等8人が登録しており、都内、神奈川県、埼玉県からも通っています。
「ジョイント」へ行くと、タイムカードを押し、いつもの席につきます。
大机をスタッフ3人と囲み、仕事を始めます。
男性の席の前には、「1 かおをかく、2 はたおり」と書かれた紙が置かれていました。
得意な似顔絵を描いたり、織物を織るという意味です。
「記憶する部分の脳がなくてっているからねえ」
ノートにはさんだメモには「かいておくとわすれない」とあり、ノートには仕事で20カ国以上に40回以上出張したこと、長嶋茂雄さんと一緒に撮った写真、3人の子どもの笑顔の写真、誕生日と名前の由来が書かれています。
「子どもの名前は、私がつけたんですよ」
人生で一番大切なことは何だと思いますかと質問すると、「情報を伝えること」という返事でした。
所長で、作業療法士の比留間ちづ子さんは、
「伝えることが自分の使命だと思ってたんだと思います。今も世の中とともに生きていきたいという希望は消えていないんですよね」
「その思いを本人が実践して社会につないでいく場が、「ジョイント」なんです」
厚生労働省の補助(就労型のモデル)を受け、2年前に起動しました。
NPO法人をめざしています。
お昼は近くの定食屋へ行きます。
自分で食べるものを選び、食券を買います。
男性は、以前はそばしか食べませんでしたが、他のメンバーから言われて定食も食べるようになりました。
病気を自覚しながら、働きたいという思いを共有する仲間が、ここにはいるのです。
午後は近くの公園の掃除をします。
さぼる人はいず、男性もしゃがみこんで黙々と雑草を抜きました。
2時半には、1日を思い出して日誌を書き、家路につきます。
ジョイントで「ありがとう、を奥さんに」と習い、奥さんに「ありがとう」と言えるようになりました。
厚生労働省の研究班等によると、若年認知症は、全国に推計約4万人、関東に1万人とされます。
若年認知症家族の会の顧問で、南魚沼私立ゆきぐに大和病院の宮永和夫院長は、
「都会で見つかりやすく気づきやすい」と話されます。
男性が女性の2倍近く多く、この10年間で全国規模で約7000人増えています。
首都圏には、東京都町田市、目黒区、川崎市等にデイサービスがありますが、まだ少ないということです。
----------------
渡辺謙さん主演の映画「明日の記憶」も、若年認知症を扱っていました。
働き盛りで認知症になるのは、本人にとっても家族にとっても大変なことです。
このような若年認知症に特化した施設は必要だと思いました。
若年認知症の推計人数(2006年群馬県内調査より推計) も記事にありました。
東京都 3136人
神奈川県 2184人
埼玉県 1748人
千葉県 1485人
茨城県 700人
栃木県 474人
群馬県 467人
山梨県 199人
40~50代の働き盛りで発症する若年認知症は、子どもが小中学生だったり家のローンが残っているのに大黒柱を失って経済的に困ることと、「仕事」への思いが強いことが、高齢者とは違う点なのだそうです。
東京都でマスコミで30年間働いてきた男性は、50歳になったとき、物や人の名前が出てこなくなりました。
年のせいだろうと思っていたら、「ペットボトル」が言えなくなりました。
職場では書類が書けず、段取りができなくなりました。
医者に診てもらうと、「若年認知症」と言われました。
上司に診断名を告げると、解雇されました。
再就職先を探しましたが、「あなたはもう終わった人だから、みたいにいわれて」見つかりませんでした。
子どもは、小学4年、6年、中学2年で、マンションのローンも残っていました。
奥さんは、「夫のこぐボートに安心して乗っていたのに、急にこぎ手を代わってと言われても」。
途方に暮れましたが、泣いている余裕はなく、10年ぶりに仕事に出て、現在では土日も働いています。
若年認知症の家族の会「彩星(ほし)の会」で、傷病手当や障害年金の存在を教えてもらい、助かりました。
男性は、認知症の中でも、情動を司る前頭葉が委縮する前頭側頭型認知症(ピック病)でした。
人柄が変わり、「子煩悩で穏やかだったのに、子どもに無関心で自己中心になり、私が好きだった夫ではなくなりました」。
食事は決めた時間に1人で台所で立って食べ、団欒がなく、妻へのいたわりの言葉もありません。
新宿にある若年認知症社会参加支援センター「ジョイント」に通うようになりました。
ここでは、若年認知症と診断され、なお働きたいと願う元公務員や元会社員等8人が登録しており、都内、神奈川県、埼玉県からも通っています。
「ジョイント」へ行くと、タイムカードを押し、いつもの席につきます。
大机をスタッフ3人と囲み、仕事を始めます。
男性の席の前には、「1 かおをかく、2 はたおり」と書かれた紙が置かれていました。
得意な似顔絵を描いたり、織物を織るという意味です。
「記憶する部分の脳がなくてっているからねえ」
ノートにはさんだメモには「かいておくとわすれない」とあり、ノートには仕事で20カ国以上に40回以上出張したこと、長嶋茂雄さんと一緒に撮った写真、3人の子どもの笑顔の写真、誕生日と名前の由来が書かれています。
「子どもの名前は、私がつけたんですよ」
人生で一番大切なことは何だと思いますかと質問すると、「情報を伝えること」という返事でした。
所長で、作業療法士の比留間ちづ子さんは、
「伝えることが自分の使命だと思ってたんだと思います。今も世の中とともに生きていきたいという希望は消えていないんですよね」
「その思いを本人が実践して社会につないでいく場が、「ジョイント」なんです」
厚生労働省の補助(就労型のモデル)を受け、2年前に起動しました。
NPO法人をめざしています。
お昼は近くの定食屋へ行きます。
自分で食べるものを選び、食券を買います。
男性は、以前はそばしか食べませんでしたが、他のメンバーから言われて定食も食べるようになりました。
病気を自覚しながら、働きたいという思いを共有する仲間が、ここにはいるのです。
午後は近くの公園の掃除をします。
さぼる人はいず、男性もしゃがみこんで黙々と雑草を抜きました。
2時半には、1日を思い出して日誌を書き、家路につきます。
ジョイントで「ありがとう、を奥さんに」と習い、奥さんに「ありがとう」と言えるようになりました。
厚生労働省の研究班等によると、若年認知症は、全国に推計約4万人、関東に1万人とされます。
若年認知症家族の会の顧問で、南魚沼私立ゆきぐに大和病院の宮永和夫院長は、
「都会で見つかりやすく気づきやすい」と話されます。
男性が女性の2倍近く多く、この10年間で全国規模で約7000人増えています。
首都圏には、東京都町田市、目黒区、川崎市等にデイサービスがありますが、まだ少ないということです。
----------------
渡辺謙さん主演の映画「明日の記憶」も、若年認知症を扱っていました。
働き盛りで認知症になるのは、本人にとっても家族にとっても大変なことです。
このような若年認知症に特化した施設は必要だと思いました。
若年認知症の推計人数(2006年群馬県内調査より推計) も記事にありました。
東京都 3136人
神奈川県 2184人
埼玉県 1748人
千葉県 1485人
茨城県 700人
栃木県 474人
群馬県 467人
山梨県 199人
私は30代ですけど、精神障害者ですので
モカさんのお気持ちがよく分かります。
とっても頑張っていらっしゃるのも、ひしひしと伝わってきました…
というのも、精神安定剤や抗うつ剤の影響で、
物忘れがひどく、いわば健忘です。
私もよく分からないのですが、若年性認知症ということで、障害者手帳は取得できないのでしょうか?
障害者という立場で、職探しをしてみるのも、ひとつの手かもしれませんね。
突然、失礼しました。
ポチッとな☆
新聞記事に出ていた男性のお話ですが、一人称で書いたので、自分の話のように読めましたか、すみません。
ブログを読ませていただきました。
かわいいネコさんのお話でぽちっとさせていただきました。
先生はピック病に間違いないと言われますが信じられない気持ちです。
ピック病と診断されても、普通に行動や会話をされ、料理もなさるよう落ち着かれるケースもあるんですね。
お薬を飲まれたりされたのでしょうか。
脳の萎縮の状態からするとピック病で間違えないといわれたのですが、あまりにも普通の生活をしているのでこんなケースが他にもあるかどうか聞いてみたいです、
ピック病と診断された方の励みにもなるのではないでしょうか。
そのような方は他にもいらっしゃるのでしょうか?