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マロキンさん: 父は麻薬王(犠牲者4000人) 遺族に謝罪の旅

2010年07月20日 10時55分55秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「父は麻薬王 償いの行脚 南米コロンビア 犠牲者3000~4000人」という記事がありました。

世界最大のコカインの栽培地、南米コロンビアで、麻薬王として裏世界を支配した父親の犠牲者(4000人)の遺族に、会って謝罪している息子さんがいるのだそうです。

ファン・セバスチャン・マロキンさん(33歳)は、元の名前は、ファン・パブエ・エスコバルです。

父親のパブロ・エスコバルは、1970年代に、麻薬取引の犯罪組織「メデジンカルテル」を組織し、世界のコカイン市場の80%を占め、世界で10指に入る富豪にもなりました。

強大な力を持ち、自分を麻薬密売者と名指しした法相を暗殺したり、対抗する勢力を潰すために飛行機を墜落させたり、ビルを爆破させたりもしました。

その犠牲者は、3000~4000人と言われています。

マロキンさんは、エスコバルの息子として生まれました。

麻薬取引の中心地だったコロンビア西部のメデジンの豪邸で、両親と暮らしました。
エスコバルは、息子には優しい、良い父親でした。

広大な自宅の敷地内には、動物園があり、カバやシマウマがいました。
週末には、地元の家族連れが、多いときは2万5千人、その動物園を訪れました。

エスコバルは、貧しい家庭に育ち、麻薬取引でもうけたお金で、貧しい人々に5千軒の家を建ててやり、一時は国会議員にもなりました。

マロキンさんが7歳のとき、エスコバルを名指しで麻薬密売人と非難した法相ロドリゴ・ララ・ボニーヤが殺されました。

マロキンさんは、父親が殺したと知ります。

それ以降、コロンビア当局や、ライバル組織との抗争が激しくなり、一家で逃げ回るようになります。

マロキンさんが16歳のとき、父親が殺されました。

今まで影響力のあった父親の保護を失い、「まるで裸で放り出されたようだった」。
母親と、幼い妹の3人で、逃げ回りました。

国外に逃亡しようとしましたが、100カ国以上の国から、ビザの発給を断られました。

名前を変え、素性を隠して、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで暮らし始めました。
大学を卒業し、建築家になりました。

「父の壊してきたものを、自分は建て直したいと思いました」
建築家という職業を選んだ理由を訊ねると、そう答えました。

2004年に、エスコバルの被害者と加害者側、双方の視点からドキュメンタリーを撮りたいという申し出が、アルゼンチンの映画監督からありました。

半年、考え、受け入れることにしました。

父が殺したボニーヤ法相の息子に、謝罪の手紙書きました。
面会して謝罪したいと頼むと、コロンビアからアルゼンチンまで会いに来てくれました。

親が敵同士だった2人の面会は、映画「父の罪」に収録され、世界中で上映され、多くのドキュメンタリー映画のフェスティバルで賞を取りました。

これまで会って謝罪した家族は40名ほどで、マロキンさんは、今後も続ける予定です。

「過去は変えられませんが、現在と未来は変えることができます」

「大学に行きたかった父は、貧しさのために進学できず、麻薬の道に進みました。貧しくても、高等教育を受けられるようになれば、コロンビアにも平和が訪れます」
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マロキンさんに会って話を聞いた記者の方は、アルゼンチンのブエノスアイレス発の記事とされています。

マロキンさんは、今でも、コロンビアではなく、アルゼンチンで暮らしているのでしょうか。

貧しくても高等教育を受けることができれば、裏の世界に進まなくてもすむというマロキンさんの言葉は、考えさせられました。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Missy)
2010-07-21 07:50:01
あー良いお話ですね。過去は変えられないけど未来は変えれる、って言葉にジンとしました。親の過去を背負ってしかしながら、ポジティブになかなかできないことですよね。
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Missyさんへ (モカ)
2010-07-21 09:48:30
本当にそうですね。
自分が知らないうちに、親が起こしたことを謝罪できるって、強い方だと思いました。
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