かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

忘れられない一冊

2017-04-24 09:57:47 | わがうちなるつれづれの記

いつの間にか、新緑の季節になってきました。

何を思ったのか、吉田兼好の「徒然草」(西尾実・安岡康作校注 岩波書店)を

読み直してみようと思いました。本棚から出して、まず序段を開きました。

「つれづれなるままに」からはじまる2行の文章に4つの注がありました。

「つれづれなる」の注には、「することもないものさびしい」とありました。

することもない世界に住む人の書き綴ったものなのか、と新鮮でした。

 

北朝鮮のミサイル発射が話題になっています。

アメリカの太平洋軍司令官(?)と言う人が「日本海に空母を派遣したのは

北朝鮮を屈服させるためでなく、正気になってもらうためだ」という趣旨の

発言をしていました。

一瞬、えっと、思いました。

この司令官はじぶんは「正気」の世界にいるんだと固く信じているのかな、

と不思議な感じがしました。

 

 

北朝鮮から日本ミサイルが飛んでくるかもしれないと、あちこちの自治体で

避難訓練をしているとか。

この国の首相が「北朝鮮は、ミサイルにサリンを搭載することもできる」と

国会で話していました。

先日は、ミサイルが首都圏に飛んでくるかもしれないと、ある時間帯、

地下鉄を止めたとニュースで知りました。

何が起きているか、俄かには掴みかねています。

昭和8年に信濃毎日新聞の桐桐悠悠さんが「関東防災大演習を嗤う」という

社説を書きました。「敵機が首都圏の上に来て爆撃することになれば、日本が

敗北したということだ」と。

人びとの知らないところで何かが起きているのかもしれないけど、オオカミ

少年の寓話が、ある世界では、当たり前に流行っているのでしょうか。


嘘みたいな話が気がついてみると、目の前に現れてくる恐れがあります。


 

20年前に読んだ一冊、「あのころはフリードリヒがいた」(ハンス・ペータ・

リヒター作,上田真而子訳、岩波書店)が思い起こされました。

忘れられない一冊です。

作者のリヒターさんは、1925年ドイツに生まれました。

この物語はリヒターさんの子ども時代を自伝的に書いたものらしいです。

ドイツは、そのころ、ヒトラーが政治の実権を握りはじめていました。

物語のなかの「ぼく」は物心ついたころ、同じアパートに住むユダヤ人の

子「フリードリヒ」と遊ぶようになりました。二人とも、1925年生まれ

でした。

「ぼく」とフリードリヒは、ごく自然に切っても切れない兄弟のような

世界に暮しているようでした。

ユダヤ人の排斥、迫害が社会の趨勢として、顕著になりつつありました。

フリードリヒは、ユダヤ人だという理由で「ぼく」と一緒の小学校を

辞めざる得ませんでした。

「ぼく」は、フリードリヒの家族のユダヤ教の暮らしに無邪気に興味を

もって接してきました。

その「ぼく」が、いつかヒトラーの「ドイツ少年団」に入会していました。

フリードリヒが、そこに入団できないか、薦めさえしました。

ポグロムというユダヤ人を直接攻撃する事件も起きました。

「ぼく」は、ユダヤ人の寮に押しかけるドイツの一団とともに気がつくと、

その現場に立っていました。

一団は、寮の戸を壊しはじめました。

 

 --そのときだった。その「よいしょ。」につられて、ぼくの口から

   声がでた。そして、一声一声、ぼくはドアに体をぶつけている

   人たちの方に近寄っていったのだ。

   気がついたときには、ぼくは力いっぱいドアを押していた。

   どうやってドアのところまできたのか、自分自身、もうわからなかった。

   そのときには、見物している人はもう一人もいなかった。

 

この場面は、衝撃的でした。

無邪気な子どものなかに、こんな反応が起きる可能性があるんだ、と知らされ

ました。リヒターさんの体験に裏打ちされているように感じました。

「ぼく」にとって、じぶんでも不可解な打ち壊しに驚いて、わが家のアパートに

帰ると、今度はフリードリヒの家にドイツ人の一団が突入して、家具や食器など

ありとあらゆるものをメチャメチャしていました。

 

この事件のショックでフリードリヒの母が死んでいきました。父も、職を

失い、ユダヤ人嫌いの家主から、立ち退きを迫られていました。

ドイツ社会は、ユダヤ人の迫害とともに戦争への道に突き進んでいました。

彼らは、思春期になっています。

「ぼく」とフリードリヒは、彼らなりのもう一つの現実(世界)に生きてる

ようでした。

ユダヤ人は入場禁止という映画にフリードリヒと見に行って、ユダヤ人だと

ばれて、会場から追い出されもしました。

フリードリヒは、「ぼく」に聴いてほしいと、出会った女の子について、

胸のうちを明かしました。デイトのとき、その女の子は、ぼくが

ユダヤだと分かっていたらしく、ユダヤ人専用の黄色ベンチに連れて

いき、「ここなら安心して座ってられる?」とさらっと言ったのでした。

女の子はフリードリヒの手をしっかり握り、「来週の日曜にまた会いま

しょう」と言い残して別れました。

「・・ずいぶん迷った。日曜日、やっぱり行かなかった。行けないじゃ

ないか。ぼくといっしょにいるところを見つかったら、かのじょは

収容所行きなんだもの!」

 

フリードリヒの父はナチス警察に逮捕されてしまいます。

フリードリヒは2年ほど、「ぼく」の前から消息を絶っていました。

あるとき、「ぼく」の家の戸をノックするものがありました、

フリードリヒがやって来てたのです。

上着もズボンも汚れていました。あまり食べていないのか、母が

用意したパンとソーセージに前後のみさかいなくかぶりついて

いました。

フリードリヒは、小学校の入学式で撮った父と母の写真がほしいと

いうのでした。

1942年、そのころは連合軍の空爆がドイツの街を破壊していました。

ちょうどその時、サイレンが鳴り、空爆がはじまったのでした。

「ぼく」の一家は防空壕にフリードリヒを連れていくかどうかで、

迷いました。ユダヤ人を助けたら、この先どんな仕打ちが起こるか。

一家は、フリードリヒを部屋に残して、避難しました。

爆弾が近くに落ちました。

フリードリヒが防空豪の戸に来て、「助けてください。怖いんです」と

叫んでいた。入れてやろうという声を無視して、アパートの家主は彼を

閉め出しました。

空爆のあと、フリードリヒは入り口の壁に凭れて、気を失っているよう

でした。

家主はそれを見つけて、「とっとと消えうせろ」とフリードリヒを足で

蹴りました。

彼は入り口から敷石道に転げ落ちました。息が絶えていたのでした。

はじめて、この物語を読んだとき、この場面で涙が湧いてきました。

一人で泣いている、妙な気持ちでしたが、泣くにまかせました。


「ぼく」やフードリヒにとって、戦争とかユダヤ人迫害は悲惨と

いうより自然の災害のように、雨なら雨で、嵐なら嵐で、その子

らしく受けとめて行く世界があったのではないでしょうか。

リヒターさんは、彼の内なる記憶のなかから、人間と社会の

ほんとうの姿を透視しようとしてるかのようでした。

 

 

戦時下の日本は、天皇のため、お国のためと、好戦一色に

染まっていたわけではないでしょう。

歌人土岐善麿が敗戦後の昭和21年、こんな歌をつくっている。


 あなたは勝つものとおもっていましたかと老いたる妻のさびしげにいふ


あるとき、老いた妻が「あの戦争に本気で勝つと思っていたのですか」と

尋ねたのです。

善麿は、ある時期から戦意を鼓舞する歌もつくっていた。

善麿とその妻が住んでいた世界の違い、異いといってもいいかも、

そんなものが、この日常のささやかな会話のなかにあるように感じました。

戦争は、日々の暮らしを異様な姿に変え、人の幸せには繋がっていかない。

幸せというのは、なんだろう、願うしかない、妻の世界。



いっとき、故吉野弘さんの詩が好きで読んでいました。

なぜか分からないですが、「虹の足」という詩を思い出しました。

こんな詩です。

$自分に還る。

 

   雨があがって 

   雲間から 
   
   乾麺みたいに真直な 

   陽射しがたくさん地上に刺さり 

   行手に榛名山が見えたころ 

   山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。 

   眼下にひろがる田圃の上に 

   虹がそっと足を下ろしたのを! 

   野面にすらりと足を置いて 

   虹のアーチが軽やかに 

   すっくと空に立ったのを! 

   その虹の足の底に 

   小さな村といくつかの家が 

   すっぽり抱かれて染められていたのだ。 

   それなのに 

   家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。 

   ―――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ 

   乗客たちは頬を火照らせ 

   野面に立った虹の足に見とれた。 

   多分、あれはバスの中の僕らには見えて 

   村の人々には見えないのだ。 

   そんなこともあるのだろう 

   他人には見えて 

   自分には見えない幸福の中で 

   格別驚きもせず 

   幸福に生きていることが――。 
 
 

じぶんの目の前にあるものを、見たり聞いたり思ったりして、暮している
 
日々ですが、「他人には見えて、自分には見えない幸福のなかで、格別驚き

もせず、幸福に生きていることが」あるのでしょうか。

これは、どんなことなんでしょうか。

実をいえば、作者がどんな世界を見つめているか、よくはわかりません。

幸福とは何なのか、何処にあるのか、そういう問いを投げかけられて

いるのかな、と受けとめています。

じぶんの中や、社会の現象に現れているものを、見たり聞いたりして

じぶんの中に映っているものを、じぶんなり「それはそうだ」実際の

ことにとしている世界からは見えないもの。

そんなこともあるのかな、と思います。

 
 
 
散歩しているとき、息が切れて人の家の縁石に座って息を整えていました。
 
竹とんぼみたいなタンポポの種が、コンクリートの表面のジャリの窪みに
 
嵌って、種のプロペラが風で左右に揺れていました。

もし、しゃがみ込んで、下を見ていなかったら、こんな光景には

出会わなかったでしょう。

脇を見ると、種を放出したタンポポが縁石の下に生えていました。
 
種と言うイメージから、いのちの繋がりを想いました。

いのちが辿ってきた旅が目の前にあるんじゃないだろうか。
 
こんなコトバが湧いてきました。
 
    太古よりタンポポの種舞い降りぬ
 



(おしまい)