かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

お忍びの散歩

2017-04-06 14:50:03 | わがうちなるつれづれの記

先日、テレビのニュースで天皇皇后両陛下が皇居の外に出て、散歩された

と報じられていました。

ふだんは、皇居内で散歩されるようですが、天皇在位以来、皇居の門の外の

散歩はいままでなかったのかな、はじめてのことなのかなあ、と思いました。

お二人、とっても、いいお顔をされていました。のびのびと、春の陽を

浴びて、開放された表情に見えました。こんな表情は、テレビなどで、あまり

みたことがなかったです。

 

 

今年の正月不整脈の治療にため、入院していました。

2回目のアブレーション手術が終わった後でした。

1月13日、宮中の歌会始めをテレビで初めから終わりまで病室で見ました。

昨年8月,天皇として、譲位を希望する「お言葉」を発表したあと、

いろいろな反応がある中で、陛下や美智子妃のお気持ちはどんなだろうか

と気になっていました。

 

お二人のお歌。

お題は「野」ということでした。

  邯鄲の鳴く音聞かむと那須の野に集いし夜をなつかしみ思う  

                            今上陛下

  つくし摘み野蒜を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来し  

                            美智子妃

 

邯鄲と聞いたトタン、中国の故事が浮かんできました。

栄華盛衰は一瞬の夢のごとし。

ここでいう邯鄲は、虫のことです。

動画で、その音を聞きました。澄んで、よく響く、心地のよい音でした。

その音を聞きたくて寄ってきた人たちが夜の戸張のなか、息をひそめる

情景に、天皇もその中の一人としてに居たんだなあと想像しました。

 

美智子妃のお歌は、「さながら野にあるごとく」と「ここに住み来し」

が印象的でした。

皇室とか皇居とかに暮らしながら 広々とした野に何ものにも妨げられず、

土筆や野蒜のように、生きとし生ける命とともに、「ああ、ここまで

きたね」というのでしょうか。

 

8月のお言葉を聞いて、ずいぶん率直に、ありのままに、丁寧にお気持ちを

話されたななあと思いました。

天皇陛下がとても身近になりました。

「天皇陛下」とか「今上陛下」とか、ニュースなどで聞いたり、話題にして

いるけど、それは何を聞いたり、見たりしてきたんでしょうか?

「天皇陛下」というけど、実際はぼくらと同じ、ただの人間ではないの?

地位や業績に価値があるんじゃないじゃないでしょう。

どこを、見てきたんでしょう。

 

人間としての名前って、何でしたけっ?

ああー、えーっ、すぐに出てこない。「明仁」だったけ?

そんな体たらくなんです。

「譲位」とか「退位」とか言うけれど、天皇という位についているから

といって、特別な人間ではないでしょう。

ここを外したら、本当のことは見えて来ないんではないでしょうか。


「明仁」さんの意志は誰からも妨げられないのが本当です。

意志を妨げられことを嫌がるのは、誰も、自分の気持ちを問うてみれば、

分かるかなあ。

明仁さんは、これまで、ほとんどぼくらのような自由を味わっていない

のでは。

それでも、皇室に生まれた人生を「お言葉」では、次のように語られて

います。

ーー即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置

づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。

 

「ああ、自ら置かれた環境を主体的に引き受けられて、やってきたんだな」

と湧いてきました。

このような意志がなければ、ここまでやって来れなかったのではでしょうか。


天皇としての拠ってたつところ。

 日本国憲法の第1章だと言うわけです。

「第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、

この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」


もう一度、明仁さんとともに、憲法について考えさせられました。

そして、天皇が「日本国民統合の象徴であること」それは「主権の存する

日本国民の総意に基づく」ということ。

どれだけ、知っていたかなあ。


そして、この一条を産み出したもの。

日本国憲法の前文

ーー「政府の行為によって再び戦争の参加が起こらることがないように

  することを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、

  この憲法を確定する」

 

「お言葉」から、天皇の、そうした強い意志を受け取りました。

わが身を振り返りました。

 

「譲位」というのは、位を譲ると言う意味もあるでしょうが、「日本国憲法

下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を」模索し続けることの

引継ぎを訴えられているのではないでしょうか。

また、思いました。

憲法前文は、象徴天皇の課題というより、日本地域の人たちはもちろん

 

世界中、人類の課題ではないのでしょうか。


このような努めがいくら大事だ、日本のため、世界平和のためといっても

 本質的には、その人がやりたくないときはやらなくともいいでしょう。

天皇という仕組みがあっても、いやいや強いられてやるのでは、永続性

がないでしょう。

天皇の仕組みは、その意味で個人の意志によって支えられ、他から

「ああしなさい」「こうしなさい」と指図されてやるようにはなって

いないと思います。いくら、世襲といっても。

 

 

お忍びの散歩という題で、天皇・皇后両陛下のお姿は、これからも

当たり前の風景していきたいものだと思いました。


入院中に、永田和弘さんの「現代秀歌」を読みました。

美智子妃の新婚時代のお歌がありました。

人と人の結びつきが、深まっていく源泉を感じました。

 

  てのひらに君のせましし桑の実のその一粒に重みのありて

                   皇后美智子妃(「瀬音」から)

 

 

今回の天皇の譲位の展開が、天皇という冠に価値があるのではなく、

ただの人間として、世界中の誰とも変わらない人間として、人間らしさ

に立ち還えるキッカケになることを願っています。

皇室とか、皇族といっても、誰にでもある系図と相違はなく、その

担っているものが、それぞれだということかと思います。