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1988年に専門学生だった京都から地元に戻り、そこから就職して社会人になった直後、高校の頃やってたロックバンドの仲間に声をかけられ
バンド(ここからベースマン)活動を開始するのですが、その時のバンド仲間にオートバイ好きがいて、一緒に地元の峠を走る様になります。
彼の愛車は最初、スズキ「GSX-R400(GK73A型)」だったのですが、当時、新型で登場して間もないホンダ「NSR250R(MC18型)」に
直ぐ乗り換えてしまいます。で、その頃のボクはと言うと、それまで3年乗ってた、ヤマハ「RZ250R(29L型)」を廃車処分にして、新しく
ヤマハ「FZ400R(46X型)」を購入し乗っていました。購入の決め手となったのは、ベースとなるエンジンが当時あった中型バイクのレース
「TT-F3」で使われてたもので、高性能なFC系のキャブに、ヨシムラのレーシングマフラーが搭載されていたからだったのですが、残念ながら、
購入直後から、あまり調子が良くなく、頻繁にオイル漏れを起こしたり、急にエンジンが掛からなくなったり、乗る以前で苦戦してた状況だっ
たのですが、それでもよく峠に通っていたんですよね(笑)。まぁ、20歳を超えていましたが、相変わらずのバカです(笑)。で、特にその彼と
はよく一緒に走ってて彼の乗る「NSR250R(MC18型)」は本当に速いマシンだったと感じていました。また彼の場合、どちらかと言うと理論
で乗るタイプではなく、感性とフィーリングで乗るタイプで、逆に言うと「無謀」とか「勢い」って感じだったのですが、ある時、ボクが参加
しなかった「バトルツーリング」で事故を起こし病院に入院してしまいます。オートバイ以外にもバンド活動があったので、しばらく彼と連絡が
取れなかった事から「何かあったのか?」と心配してた時、彼の方から電話がかかって来て、「今、病院にいる」って、そこでボク初めて状況
を知ります。結局、コーナーの手前で後ろを確信し、前を見たら既にコーナーに入ってしまっており、そのままガードレールと衝突したって言う、
情けない自損事故だった様です。それでも「内臓破裂」に「鎖骨が折れた」状況で、そこそこ重症だったと知ります。結局2ヶ月ほど入院してしまう
のですが「NSR250R(MC18型)」は廃車になってしまってました。で、過去に何度かこの「NSR250R(MC18型)」をご紹介した事があり
ましたが、今一度スペックを見直してみますと、エンジンは水冷式2ストV型2気筒ケースリードバルブで、最高出力が45ps、最大トルクが3.8kg
で、車重が乾燥重量で127kg、フレームはアルミ製のダイヤモンド(エンジン吊り下げ式)で、ホイールサイズはフロント17インチ、リア18インチ
となってて、」トランスミッションが6速MT、早々とラジアルタイヤが装備されており、ガソリンタンク容量が満タンで16リットル、初期モデル
から装備されてた「PGM-F1」が搭載されており、ガソリンとオイルの放出が電子制御されていました。当時はこの機構によりそれまでの2ストと
比べ劇的に白煙を吐かないって触れ込みがありましたが、実際にはしっかり白煙を吐いてました(笑)。それでも250ccモデルながらワインディング
に持ち込めば最速と言われてましたし、特にこの「88モデル」と言われてた「NSR250R(MC18型)」はピーキーで有名で、ライダーを選ぶなんて
言われ方もしてました。実際、1990年に登場した次の「NSR250R(MC21型)」は多少乗り味がマイルドになったので、本当にそうだったのかも
知れません。さて、今日はそんなボクの昔話と、ホンダ「NSR250R(MC18型)」をご紹介しましたが、いかがだったでしょう!(笑)
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