言うは易し、行うは靖

三浦 靖の成幸者をめざす

夏の終わり

2011年08月30日 | Weblog
先日の市政報告会に沢山の方々にお出掛けいただき御礼申し上げ、また、ゲストとして参加していただいた小林・松村議員には感謝いたします。ありがとうございました。



子どもたちの長~い夏休みが終わり新学期が始まりました。親としては一安心。


益田市議会議員選挙も終わり、新人候補8名を含む26名の新しい益田市議会がスタートされます。

私が応援に行った河野利文候補も無事に当選されました。今後益々のご活躍を祈念します。


民主党代表選挙も野田佳彦氏が逆転で勝利され、第95代の内閣総理大臣に指名されることになりました。

派手さは無く、地味なタイプのような感じがしますが、未曾有の国難に直面している日本国の舵取りをしっかりしていただきたいものです。


政治家は議員にならなければ物事を成し遂げることができません。然るべき役職に就かなければ理想を実現できません。

さりとて、議席を得ること、ポストに就くこと自体が目的ではなく手段でしかありません。

その事を忘れずに、国家万民のために死力を尽くしていくのが政治家の使命だと考えます。









応援

2011年08月25日 | Weblog
一昨日の23日(火)、益田市議会議員選挙の応援に行きました。

応援する候補は、島根県若手市議会議員有志の会のメンバーで、今回2期目の挑戦です。

彼は、有志の会でも中心的な役割を担っていますし、地方議会改革にも精力的に取り組んでいます。

益田市は、大田市より一足先に議会基本条例を制定していますが、彼は所管の副委員長として東奔西走の活躍でした。

私は、彼の経験を参考にさせていただき、また、たくさんのアドバイスを聞きながら議会改革の特別委員会に取り組ませてもらっています。

夜7時からの個人演説会の応援弁士として行きましたが、会場は地元支援者と支持母体である保育研究会の保育士さんで一杯でした。

これまで何度か応援弁士として出掛けていますが、聴衆の7割が女性(しかも若年層が多い)というのは初めての経験でした。

候補者が保育園の園長をしていることは知っていましたが、保育士さんと保護者さんの熱気は見事でした。


さて、今回の益田市議会議員選挙の大きな争点に議員定数の削減が挙げられています。

ちなみに彼は定数20名の市長提案に賛成した7人のうちの一人です。

基本条例を制定し議会報告会に取り組んでいる益田市でさえ、議員定数削減は市民の強い要望でした。

古参議員がいつまでも過去の議会制度に縛られ、中堅議員がそれに従っていては改革ができません。

現在、地方議会を取り巻く環境や有権者の視線は非常に厳しく、変革が求められています。

その声を真摯に受け止め、自ら実行する大田市議会に生まれ変わらなければなりません。

かわいの川遊び

2011年08月22日 | Weblog
毎年恒例の「かわいの川遊び」が開催されました。

本来ならば静間川をせき止め、そこに鮎を放流するのですが、前日からの雨による増水が心配されたため、まちづくりセンターに会場を移し、急きょ、ブルーシートで生簀をつくりました。

開会式が始まる頃には太陽が顔を覗かせてくれ、関係者も一安心。

町内外の子どもたちが大勢参加し、びしょ濡れになりながら鮎や鰻を追いかけていました。

せっかく豊かな自然の中で育っているにもかかわらず、危険ということで、なかなか川遊びはできません。

少しでも故郷の自然に触れ、夏休みの思い出になればと思いました。

勝ち馬

2011年08月18日 | Weblog
民主党の代表選が慌ただしい。

対岸の事なので殊更コメントする立場にはないが、幹部の動行を見ていて思うことがある。


近年の自民党総裁選でも同じ現象が起きるのだが、最近の政治家は勝ち馬に乗りたがり過ぎるのではないだろうか。

自らが支持する候補に勝ち目がないとみるや一晩の内に乗り換えてしまう。

その変わり身の早さに、こちらが恥ずかしくなる。

たとえ負け戦と判っていても、御大と共に歩み、信念を貫こうという美学が見受けられない。

常勝こそ唯一であり、アメリカ型経済至上主義の弱肉強食社会化してしまい、政治家としてのポリシーが感じられない。


ある先輩から「王道を歩め」と教えられた。

「王道」とは本来、有徳の君主が仁義に基づいて国を治める政道という意味である。

しかし、その時は本来の意味ではなく、≪近道、安易な方法≫≪勝ち馬に乗れ≫という意図が感じられた。

機会に応じて、立場を変え、主義主張を変え、要領よく生きる術に長けている者ならではの言葉であった。


勝ち組・負け組という言葉が表わすように現代社会は厳しいものである。

勝ち組になるには努力が必要であるが、勝ち馬に乗るのは誰でもできる。






終戦記念日

2011年08月16日 | Weblog
8月15日は終戦記念日。

甲子園では正午に選手やスタンドの観客が黙とうを捧げる。

ちょうど高校野球を視聴していた私と長男も揃って黙とうした。

戦時中の球児たちは学徒動員され好きな野球ができなかったこと、甲子園で活躍した選手の中には戦死した人も少なくないことを教えてやった。

太平洋戦争を美化するつもりはない。

ただ、その時代に生まれ戦死した若者たちの魂に哀悼の意を捧げる。

彼らの命は無駄ではなく、300万英霊のもと今日の日本があることを忘れてはならないだけである。

明治維新の志士たちも若人であった。彼らもまた自らの死を顧みず新しい時代を築き上げた。

何時の世も、若者の犠牲の上に時代は切り拓かれる。

そして、その屍を生み出すのが為政者である。

屍を乗り越える為政者ではなく、国の礎となる若人でありたい。






新盆

2011年08月15日 | Weblog
あちらこちらでお墓参りの姿を見かけます。

父亡き後、とても頼りにしていた伯父が無くなって一年が過ぎ、新盆を迎えました。

さて、昨日は朝から恒例の自治会対抗盆ソフトボール大会でした。
時折曇りがかって天の恵みかと思ったのは束の間、容赦なく日差しが照りつけ大変でした。
甲子園での高校球児の活躍と応援の皆さんには感心させられます。
昨年優勝の我が自治会は準決勝で敗退。
このソフトボール大会は帰省中の方も参加できるとあって、どの自治会もたくさんの若者が参加していました。

夕方からは盆踊りの準備でした。
盆踊り保存会とソフトボール大会の役員を兼ねている方もいらっしゃり本当に頭が下がります。
今年から新盆を迎える物故者を掲示しましたので、大勢の方が参加されました。
最後のお楽しみ抽選会が終わった直後に雨が降り出し、間一髪。

この後も「川遊び」など夏の行事が続き、休む間もありません。

暑い?熱い?

2011年08月12日 | Weblog
ここのところ急激に暑くなり、夜になっても気温が下がらないので暫く書斎に踏み入ることができませんでした。
つい先日までの朝晩は窓を閉めないと寝れませんでしたが、まさに熱帯夜が続いています。

1週間の活動報告です。

8月6日は「天領さん」に子どもたちと参加し、議会チームで一緒に踊りました。議員はたった8人の参加で寂しい限りです。大田市民の祭りと標榜するならば、もう少し頑張らなくてはなりません。また、「天領さん」自体もマンネリ化して年々人出が少なくなっているような気がします。特に大森会場が今年から無くなりました。関係者による『「天領さん」あり方検討会』の設置が必要ではないでしょうか。

7日は川合スポーツ少年団の広島VS巨人・野球観戦に広島マツダスタジアムへ同行しました。プロ野球を間近で見られるので子どもたちも大興奮でした。夏休みの良い思い出になったのでは・・・。もちろん同行した保護者も盛り上がりました。

9日は川合まちづくりセンターの運営委員会、10日は川合地区社協主催のそうめん流しがあり、高齢者さんと子どもたちに楽しんでいただきました。スタッフの皆様、本当にお疲れさまでした。

11日、12日は東京都大田区議会議員の視察団に同行しました。視察団の中に、大学時代の友人がいて現在2期目。
初日は出雲空港に到着後、島根原発を視察し、大田入り。市役所で出迎えて懇談しました。2日目は石見銀山の大久保間歩と街並みをしっかりと歩いていただきました。来年が世界遺産登録5周年であることを伝え、東京でのPR活動を行いたいとお願いしました。今後の展開が期待されます。





全員協議会

2011年08月04日 | Weblog
8月3日は熱く長い一日となりました。

午前9時から全員協議会が開かれ、①地域医療について②新不燃物処分場について③世界遺産登録5周年記念事業について④京都造形芸術大学との連携協定書の締結について、でありました。

①については、島根大学医学部「総合医療学講座」の経過報告と現況の説明があり、10月1日の開設を目指して、医師確保に向けた起死回生の施策が進められています。現在4名の指導教員が選考され、総合医療学講座教授1名、総合医療学:内科系教授1名、総合医療学:外科系教授1名・准教授1名です。当初期待していた応募数には達していませんが、大田市医療政策担当顧問を中心とする担当者により着実に地域医療の充実に向け進んでいます。
また、大田市立病院では8月1日付けで、総合内科と脳神経外科の2名の医師が九州から赴任されたことの報告と、厳しい経営環境の中、新たな取り組みや病院づくりに向けた基本的な考え方や戦略などを示すために外部から専門家を招聘し「大田市立病院のあり方検討会」を設置されました。

②については、当初の予定より半年ばかり竣工が遅れることと軽微な変更が報告され、近日中に地元説明会を開催されるというものでした。

③については、来年、石見銀山が世界遺産登録5周年を迎えることから、様々なイベントを企画し地元住民の意識を再度盛り上げるために、各種団体を通じて実行委員会を立ち上げるというものです。まだまだ準備段階ですので詳細については未定ということですが、少々取り掛かるのが遅いような気がします。先の3月議会で小林議員が一般質問をしているにもかかわらず、一年をきった現在でもこのような状態なのは不思議です。


午後からは、大田市立病院医療確保対策特別委員会の研修として島根県医師確保対策室・木村清志医療統括監の講演を聞きました。
講演終了後、特別委員会を開催し、楫野院長も出席される中、救急搬送・健康ダイヤルなどの状況報告がありました。

飯南町へ

2011年08月02日 | Weblog
昨日、同級生が経営する牧場を訪れました。

彼は昨年まで市内で酪農を一族で営んでいましたが、昨秋、一念発起し新天地・飯南町で独立しました。

もう少し早く訪問するつもりでしたが、年初めからの大雪で延び延びになっていました。

道案内には川合町内で野菜づくりをしている彼の義兄にお願いして同行してもらい、道中は農業談義で盛り上がりました。

大田市の農業政策、後継者問題、担い手支援など実践者の生の声を聞きながら、大田市の基幹産業である一次産業に対して適宜・的確な市政が施されているのか大きな疑問を抱かざるを得ませんでした。

特に、農業ならJA、漁業ならJFと、組合団体を通して政策に関する意見交換をすることが多いのですが、組合員の福利向上ではなく、今や組織の存続が最優先の組織人との意見交換は無意味ではないでしょうか。

たまたま現在、TPPに関する新書2冊(賛成派・反対派)を同時に読んでいますが、これまでの日本の農業政策に落胆します。

このことは読破してから書こうと思っています。

さて、現地では知り合いの飯南町議さんと合流し、一緒にお話をしました。

ただいま50頭程の規模ですが、牧場の拡大は飯南町にとって産業振興・雇用拡大であることから、今後も話を聞いていただき、しっかりと応援してもらうようお願いしてきました。

そもそも大田市内の何処かに新天地を求めていた若き酪農家の活躍と成功に期待して、帰路につきました。