風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

中国式発展・続々

2018-03-24 14:23:26 | 時事放談
 前回は、その前日の産経電子版に、たまたまオーストラリアの記事が出たために道草を食ってしまった。そして今回も、昨日・一昨日の産経電子版に、孔子学院に関連する記事が出たので、簡単に道草を食いながら歩みを進めたい。
 孔子学院は、世界146ヶ国・地域に525ヶ所、小規模な「孔子教室」は1113ヶ所もあって、その内、日本には学院が14ヶ所、教室が8ヶ所もあるという。各国の大学と連携して開設されるが、その実態は政府・党の出先機関であり、アメリカでは三日前、その孔子学院などを対象に、外国代理人登録法(FARA)に基づく登録を義務付け、監視の強化を図る「外国影響力透明化法案」が提出されたらしい。古くは米大学教授協会が2014年、孔子学院が「学問の自由」を脅かしているとして各大学に対して関係断絶を勧告し(シカゴ大学とペンシルベニア州立大学はこれを受けて閉鎖)、FBI長官は今年2月、上院情報特別委員会の公聴会で、孔子学院が中国共産党思想の政治宣伝や中国政府のスパイ活動に利用され、「捜査対象」になっていると明らかにしたほか、孔子学院が米国内の中国留学生や、中国の民主化・人権活動に携わる在米中国人の動向の監視にも活用されていると指摘し、今回、法案を共同提出した共和党のルビオ上院議員は、孔子学院の活動には中国政府が米国内で影響力を拡大させる狙いが込められていると批判したという(産経電子版)。これに対する中国外務省の華春瑩報道官(河野外相がツーショット写真をアップして、普段は目つきが悪いが笑うこともあるのかと話題になった)の発言が揮っている。西側諸国から中国の外交政策への警戒感が高まっていることについて「一部の人々は冷戦思考やゼロサム思考といった時代遅れの観念から脱却できていない」と批判し、「この種の『雑音』をめぐっては論語の言葉を思い出す」として、「君子の心は常に落ち着いてゆったりしている。小人物はいつも憂え恐れている」との一節を紹介し、中国への批判は「中国側の世界的な視野や度量」を理解できていないためだと主張したらしい(以上は産経電子版)。なんとも大仰で次元の違う噛み合わない議論にすり替えて煙に巻くのは如何にも中国的(?)で微笑ましい(笑)
 中国が、鄧小平が言い始めたとされる「韜光養晦」の対外政策をかなぐり捨てて威圧的な姿勢に転じたのは2012年頃とされていて、今思えば、その頃が中国にとって全てにおけるピークだったのではないかと思う。4兆元の景気対策によってリーマンショックから世界経済を救ったのを始め、GDPで日本を超えて世界第二の経済大国に躍り出て(これは2010年)、経済力において大いに自信をもち始める一方、アラブの春をはじめとして、Brexitやトランプ現象などのポピュリズムの隆盛に至るまで、西側の自由・民主主義的な制度が普遍的には機能しなかったり変調を来したりして、中国は政治的にも自信をもち始めていることだろう。しかし、昨今の中国の、まるで焦燥感に駆られたような内外における強権主義は、この説明では腑に落ちない。建国100年となる2049年(あるいはそれを2035年に早めたとも言われるが)までまだ十分に時間がある(と私は思う)。実力があるというのなら、それこそ華春瑩報道官が言う通り、「心は常に落ち着いてゆったりし」「世界的な視野や度量」を見せつけてくれればよいのだ。そこには中国共産党の構造的な弱点である国内統治の問題が潜んでいるのではないかと疑いたくなる。言わば自信のなさの裏返しである。
 豊かになった中国の若者は、海外留学し、欧米の多様で公正な言論空間の自由な空気に触れて、帰国する。そんな彼らは、中国共産党が統治の正統性の根拠として喧伝される抗日が、実は共産党の専売特許ではなかったことに気づき始めている(言わずとしれた国民党=台湾の功績と言っておこう)。日本にとっては呆れるばかりの些細なウソも、中国にとっては堅牢に構築された論理の基礎における欺瞞であって、それが蟻の一穴にもなりかねない。中国内で強化される言論統制は、毛沢東の時代には考えられないグローバルな時代に、かつて蛮族から漢民族を守った万里の長城(ネット上ではグレートファイアーウォールと呼ぶ)を築き、欧米の(あるいはネットの)自由な言論空間から中国を遮断し守ろうと(無駄に!?)抵抗しているように見える。自信のなさの表れであろう。
 先週のニューズウィーク日本版に、習近平国家主席の顔写真に「私の国家主席じゃない(不是我的国家主席)」という言葉をかぶせたポスターの写真が掲載された。小さな記事だが、そのメッセージは穏当ではない。国家主席の任期撤廃が決まったことに対する抗議活動の一つらしく、3月1日、カリフォルニア大学サンディエゴ校に始まり、カナダやイギリスの大学に広がったらしい。通常、中国人留学生たちは、母国での就職の不利益や身の危険を恐れて声をあげるのを躊躇うものらしいが、「私たちは発言の自由が守られ、奨励される国で学ぶと言う特権を享受している」「母国の人々のために私たちが発言せずに誰がやるのか」と言い、「選挙で選ばれていない強権者が事実上の終身独裁者になることなど私たちは望まない」と主張する。
 実は中国内でも、当局の監視が届かない海外の通信アプリ(が可能なのかどうか知らないが)を使って改憲を議論するグループが相次いでつくられ、「習指導部は墓穴を掘った」「中国は北朝鮮化している」などの批判が噴出しているらしい。
 最近、「精日(=精神的日本人)」なる言葉が注目を集めている。10日ほど前、コラムで解説された福島香織さんによると、ネット・スラングで、「自分は中国人だが精神的には日本人」を主張する若者を指し、中でも近代史における日本の役割を肯定し、中国の抗日精神を否定している点(言わば政治的主張があるということか?)が、日本サブカル好き・哈日族と一線を画しているという。年明けに旧・日本軍人コスプレの中国人コスプレイヤーが自撮り写真をネットにアップして拘留されるなどの事件があって社会問題化し、全人代の期間中、恒例の外相記者会見を終えて立ち去ろうとした王毅外相が、ある記者から「最近の“精日”分子による民族のボトムラインを挑発する絶え間ない言動をどう思いますか?」と問いかけられて、「中国人のクズだ!」と人さし指を振り上げ怒気を帯びた声で吐き捨てたのが話題になった。全人代の閣僚会見は、当然のことながら中国メディアも外国メディアも事前に質問事項を提出して行われる型どおりのものなので、アクシデントと言うべきだろう。「中国には『挑発罪』『社会秩序擾乱罪』という何でも適用できる便利な(恐ろしい)罪状がある」(福島さん)にもかかわらず、先のコスプレイヤーが行政拘留処分を受けただけでは軽過ぎるとして、全人代で、国家を侮辱する者を厳罰に処す「国格と民族の尊厳を守る法」(国家尊厳法)なる立法提案がなされたというから、その神経質な様には恐れ入る。
 石平さんも、昨日の産経電子版のコラムで「精日」を取り上げていて、百度で検索すると「精神的に自分のことを日本人と同一視する人々のこと」とあり、さらに「精日の特徴」について「精神的日本人の中には、日本を崇拝して自らの民族を恨み、中国人であることを恥じる極端な者もいる」と付け加えているという。今月9日付の法制晩報は、こうした人々の特徴について、「精神的日本人たちは、ファッションや生活習慣が日本風になるだけでなく、日本社会のモラルやマナーに従って行動する」と報じ、法制晩報の取材によると「精神的日本人」のほとんどは10代か20代の若者であるという。こうした1990年代の「反日教育」の中で育った世代に見られる現象について、石平さんは、中国政府の「反日教育」の部分的失敗を意味すると同時に正面からの造反であり、現代中国の堕落と醜悪に嫌気がさしているのではないかと推察して、興味深いと結んでいる。
 中国式発展は一律ではあり得ないのだ。
 明らかに旧・ソ連の失敗に(またその他の歴史的事象に)学んでいるであろう中国共産党は、数を頼みに、中国式の国家運営という、人類史上、未曾有の実験に邁進する。アダム・スミスの“an invisible hand”に導かれることのない中国経済は、巷間言われるように格差は解消されることなく過剰債務を抱えて呻吟し、共産党統治を絶対視する(なにしろ領土支配より何より共産党統治が核心的利益の第一)ばかりに、言論統制を強化し、アリペイやWeChat Payなどの決済を全て中国人民銀行経由にしてカネの動きを国家として掌握し、人々の動きも全国に広がる監視カメラで見張るといった、息苦しい管理社会を現出した。ガラパゴスの如く一国で勝手にやってもらう分には文句はないが、どうもかつての華夷秩序の如く、ウェストファリア以降の国際秩序を中国式に塗り替えようと企図するならば、勘弁願いたい。
 以前、このブログで触れたように、プリンストン大学のジョン・アイケンベリー教授がForeign Affairs誌上で、トランプ大統領の迷走を嘆いて、「リベラルな国際秩序を存続させるには、この秩序を今も支持する世界の指導者と有権者たちがその試みを強化する必要がある」として、「その多くは、日本の安倍晋三とドイツのアンゲラ・メルケルという、戦後秩序を支持する二人の指導者の肩にかかっている」と述べたのは、つい昨春のことだった。その後、ドイツでは、メルケル自身への支持はともかく、メルケル率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が議席を減らし、ドイツ社会民主党(SPD)との“大”連立を模索した交渉が難航し、ようやく先月になって4ヶ月の政治空白が解消されたばかりだし、日本では激動の国際情勢をよそに森友問題という(何故国会で?と思うような)極めてローカルな問題で国会が空転している。片やトランプ大統領のアメリカも相変わらずで、中国をWTOに入れたのは間違いだった、関与(engagement)政策は失敗だったとして、中国を標的とした貿易戦争を仕掛ける始末で、内政に苦慮しているであろう中国の反発を招きかねない。
 今、世界が考えなければならないのは、中国を徒に刺激することではなく、中国経済の存在感は大き過ぎて潰せない(too big to fail)、つまり突然、共産党の統治が崩壊しても困るが、だからと言って過激化するばかりの中国式発展を野放しには出来ないから、価値観を同じくする西側の国(とりわけ日米豪印や西欧)がそれぞれ自立的に毅然と牽制し、総体として結束して、のたうちまわる巨竜を如何にソフトランディングさせるか、そのショックを如何に和らげるか、ということだろうと思う。リベラルな国際秩序を守れるのかどうか、中国という攪乱要因を中心に、世界は今、大きな転換点にさしかかっている。
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