東北夏祭りめぐりの旅のフィナーレは、秋田の竿灯祭り。
民宿で家庭的な夕食を食べた後、市街地を抜けて竿灯祭りが行われる大通りへ行くと、ちょうど竿灯が始まるころ。
46個の提灯を稲穂に見立てて竹筒に載せ、12mほどの高さ、50Kmほどの重さになるものを、手のひらや肩、額、腰に乗せて次々と持ち手を換えていく。「どっこいしょー、どっこいしょー」の掛け声とともに、夜空に数々の竿灯が浮かび上がる様は壮観。
迫力のあるねぶた祭りと違い、秋田の竿灯は、持ち手個人の技が要求される。しかも、目の前で竹竿がしなり、中にはボキッと折れる竿灯もあるし、折れた拍子に提灯に火が燃え移るものまであり、観客も頭の上に竿灯が折れてこないか、結構ドキドキさせられる。そういう意味では、迫力があるねぶたとちがい、個人の妙技に感心させられたり、ドキドキさせられたりと変化があり、なかなか楽しめる。
稲を見立てた竿灯を何百年も続けてきた人々。やはり、コメづくりとその恵みをもたらす自然への感謝にかける人々の思いが並々ならぬものであったからこそ、これほど心を揺さぶる祭りが受け継がれているんだろう。
民宿で家庭的な夕食を食べた後、市街地を抜けて竿灯祭りが行われる大通りへ行くと、ちょうど竿灯が始まるころ。
46個の提灯を稲穂に見立てて竹筒に載せ、12mほどの高さ、50Kmほどの重さになるものを、手のひらや肩、額、腰に乗せて次々と持ち手を換えていく。「どっこいしょー、どっこいしょー」の掛け声とともに、夜空に数々の竿灯が浮かび上がる様は壮観。
迫力のあるねぶた祭りと違い、秋田の竿灯は、持ち手個人の技が要求される。しかも、目の前で竹竿がしなり、中にはボキッと折れる竿灯もあるし、折れた拍子に提灯に火が燃え移るものまであり、観客も頭の上に竿灯が折れてこないか、結構ドキドキさせられる。そういう意味では、迫力があるねぶたとちがい、個人の妙技に感心させられたり、ドキドキさせられたりと変化があり、なかなか楽しめる。
稲を見立てた竿灯を何百年も続けてきた人々。やはり、コメづくりとその恵みをもたらす自然への感謝にかける人々の思いが並々ならぬものであったからこそ、これほど心を揺さぶる祭りが受け継がれているんだろう。