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ここが防衛最前線。世界20の印象的要塞

2016年03月18日 | 世界びっくりニュース
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 要塞とは、敵から戦略上重要な地点を守る為に築かれた構築物である。しかし、すべての要塞が等しく同じように作られているわけではない。自然を利用した砦や、古代の城、現代の革新技術を搭載した乗り物まで、それはさまざま。これまでの歴史を振り返って、もっとも印象的な20の要塞をあげてみよう。

1. ジブラルタル(イギリス) 急峻な崖の頂上に立つ

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 伝説的な自然の要塞、ジブラルタルの岩山は、急峻な崖、西側斜面の難所を擁し、ジブラルタル海峡に隣り合ったヨーロッパの南端に位置している。イギリスが中世にここを活用した建造物を造り、16世紀に武装して防備を固めた。何世紀にも渡って改築され、軍備拡張、部隊の移動、武器庫のためのトンネルが岩山を貫いて作られ、敵の包囲網に抵抗した。今日も、実質的にイギリスの管轄地になっている。


2. シャイアン・マウンテン(アメリカ) 25トンの防爆扉

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 北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の本拠地。北米の領空のすべてを監視している。シャイアン・マウンテンのこの要塞は、コロラドスプリングス周辺の山脈をうまく利用して作られている。山をくり抜いてできた空間の中にあり、冷戦中の1967年から使われているが、その防空システムは謎に包まれている。花崗岩の山中1700フィート地点に25トンの防爆扉が設けられていて、完全に改築されてから、埋設された部分が2008年にビジネス向けに再開された。


3. チットガー・フォート(インド) インド最大の要塞

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 180メートルの丘の上、2833平方キロメートルの広さをもつインド最大の要塞。7世紀にマウリヤ朝帝国がウダイプル近くに建設し、多数の尖塔や城壁で守られている。監視塔や鉄格子のついた扉で警備された7つの出入り口があり、そこにたどり着くまでに、曲がりくねった道を1マイルほど行かなければならない。要塞内にもともとあった84の水域のうち22だけが現在も残っているが、一時は要塞スペースの40%を水が占めていた。これだけの貯水量があれば、5万の兵士たちの喉を4年間潤すことができたという。


4. ウィンザー城(イギリス) 1000年続く王室の要塞

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 人が居住している最古かつ最大の城。イギリス王室がおよそ1000年間住んでいる。現在は、エリザベス二世の公式の住まい。1070年に征服王ウィリアムによって、西からのロンドンへの攻撃に対するテムズ川沿いの戦略的要塞として建設された。石の砦がまわりをぐるりと取り囲み、さまざまな戦いに対抗できるよう、城が軍事司令部となっている。王宮としての役目もあり、首都に近い王室の猟場としても知られている。


5. フォート・ジェファーソン(アメリカ) 1600万のレンガ

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 アメリカ最大の石造りの建造物のひとつで、1800年代半ばにメキシコ湾の海上交通路から海賊を追い払うために建設された。フロリダ・キー、キー・ウェストを過ぎたガーデン・キー島にあり、1600万個以上のレンガからできていて、ここにもともとあった灯台が大規模に改築されたもの。南北戦争のときに活用され、おもに囚人を収容していたが、1800年代後半までは特に注目されず、要塞としては打ち捨てられた状態だった。完全に完成していないが、六角形の要塞は6万4750平方メートルの土地のうち4万4520平方メートルを占め、観光地となっている。


6. プラハ城(現チェコ) 世界最大の総合城要塞

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 880年頃、ボジヴォイ一世によって建設されたこの城は、7万平方メートル以上の広さをもつ世界最大の総合城要塞。この中で、10世紀のロマネスク様式と、14世紀のゴシック建築を併せ持つ宮殿や建物を見ることができる。城の中にある聖ヴィート大聖堂やセント・ジョージのバシリカが、この巨大な要塞に文化的な特別な色を添えている。プラハ城は要塞の象徴としての位置づけはあるが、1600年代の度重なる戦争で深刻なダメージ
を受けた。


7. B-17 (アメリカ) 空飛ぶ要塞

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 ボーイング社が開発した四発エンジン重戦略爆撃機。1935年に米空軍でデビューした新型機は、マシンガンを搭載し、爆撃能力もある。低翼単葉機として設計され、XB-15の空気力学の特徴を引き継いでいて、より多くの銃、爆弾を積載できるようになっているしている。第二次大戦中、600個もの高射砲弾の破片を受けても飛び続けていたという話がある。


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8. マルボルク城(ポーランド) 世界最大のレンガの城(建設当時)

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 1406年、カトリック教徒の軍隊であるドイツのチュートン騎士団が、軍事施設としてポーランドのノガト川のほとりに建設した。表面積的に世界最大のレンガの城。世界遺産に登録されている要塞化した修道院で、保存のためにさまざまな工夫がなされている。ゴシック様式のレンガの壁が建物のまわりを取り巻いているが、城の壮麗さは隠しようもない。


9. ニミッツ(米海軍) 水に浮いた要塞

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 1975年に配備されたUSSニミッツは、全長333メートル、飛行甲板76.8メートル。30ノット以上で巡行することができ、5000人以上の乗組員と、60機の戦闘機を収容できる、水に浮いた要塞であるこの原子力空母は、米海軍の目玉的存在となった。米海軍は、全部で10のニミッツクラスの航空母艦を稼働させている。


10. フォートノックス(アメリカ) 金塊保管所がある場所

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 アメリカは、第一次大戦後、新しい軍事施設の建設に着手した。これがのちに1918年のフォートノックスのスタートにつながった。何年もかかって、安全性と要塞性を強化して、アメリカ最大の公的金塊保管所となったのだ。開けた原野にあるが、金庫にたどり着くまでには、花崗岩、コンクリート、鉄のバリアを何層も通過しなくてはならない。

 金庫は原子爆弾にも耐えるように作られている。米軍が駐留しているのに加えて、デジタルと視覚による監視がついていて、想定されるあらゆる危険に対するハイテク防御がなされている。噂では洪水対策用のトンネルまであるという。アメリカでもっとも堅牢な金庫と言われている。もちろん、ここでにどれくらいの金塊、または高価なものが眠っているかは、本当のところは誰も知らない。


11. サムター要塞(アメリカ) 南北戦争が始まった場所

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 1812年の戦争に続いて、米軍はサウスカロライナ州の港町チャールストンに、海からの攻撃の脅威に対抗するより強固な防衛が必要だと確信した。これが、1830年のサムター要塞の建設につながった。

 チャールストン港の中心にある小さな岩の島に作られた、7万トンのこの花崗岩要塞は、多層に渡る大砲の列を備えていた。のちに、ここは南北戦争の火ぶたが切られた場所として有名になった。早い時期に南軍がここを支配して、自分たちが使うために改築し、戦争中ずっと北軍を寄せつけなかった。


12. アラモ砦(アメリカ) ここから伝説が始まった

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 ここはもともとローマカトリックの伝道布教所として建てられたもので、要塞ではない。しかし、1836年にサンタアナのメキシコ軍に攻撃され、ここが砦となったとき、この石灰岩の建物はテキサス人の心の中で伝説になった。石灰岩と日干し煉瓦のこのチャペルがこの付近でもっとも大きな建物だったため、メキシコ軍の爆撃を受けたときに、テキサス人たちが砦として使った。リメンバー・ザ・アラモとときの声をあげて戦ったのだ。


13. ザクソン・バスティーユ(ドイツ) ヨーロッパ最大の要塞のひとつ

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 ドイツ、ドレスデン近郊の岩ばかりの丘の上に建ち、ケーニヒシュタイン要塞とも呼ばれる。エルベ川を見渡すヨーロッパ最大の要塞のひとつ。4世紀の間に50以上の建物が建築され、その中には、ドイツ最古の兵舎もある。41メートルの高さの砂岩壁に囲まれ、城壁の全長は1.8キロ近くになる。中央には152メートルの深さの井戸もある。


14. サン・マルコス砦(アメリカ) 400年を経ても健在の砦

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 かつてスペイン人が入植したアメリカの町、フロリダ州セントオーガスティンには、この国最古のユニークな砦ある。この町が攻撃を受けて、住民に危険が及んだとき、星型の石造りの要塞が建てられた。

 城壁のまわりは濠で囲まれ、いくつもの水門がある。人工の斜面が1600年代に建てられた要塞にまた別の雰囲気を与えている。セントオーガスティンのダウンタウンに位置するこの要塞は、現在では人気の観光地になっている。


15. エリア51(アメリカ) ミステリアスなネバダの試験場

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 確かにほかの者を立ち入らせないようにするフェンスがあるが、この有名なネバダの荒野は城壁や濠のある要塞とは違う。心理的に隔絶された軍の要塞で、どれほどたくさんの人がここで実際に行われていることを知りたいと焦がれたこたことだろう。

 カリフォルニアのエドワーズ空軍基地の一部で、辺鄙な場所にあるこの試験場は、正体不明のあらゆる実験や研究と関係していると言われている。ほとんどはエイリアンについてのことで、心理的に入り込めない強い拒絶の壁があり、計り知れない謎を秘めている。


16. フォート・インデペンデンス(旧英国軍) 最古の現役要塞

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 1643年に、ボストンハーバーの城島に建設された花崗岩の要塞。上から見ると星型をしていて、たくさんの大砲を装備し、本土を守っている。長年の間に何度も改築され、今日のような魅力的な形となった。


17. ムルド・ジャンジラ砦(インド) 秘密の門のある15世紀の砦

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 秘密の門のある15世紀の砦
インドの海岸村ムルドの近く、アラビア海の岩島に建てられたこの砦は、海からしかたどり着けない。15世紀に建設されたが、長年の間に拡張された。21の稜堡があるが、メインの門は遠くからは見えず、島に15メートル以内にまで近づかないとわからない。ほかの門は島の反対側にある。


18. ジェリャバ空軍基地(クロアチア) 地下の空軍基地

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 クロアチアとボスニア・ヘルツェゴヴィナ国境近くの地下に隠された、ヨーロッパ最大の地下施設。ヨーロッパの領空を監視し、早期の警報を出す。その一方で、核攻撃に対して猶予を与えるための施設でもある。ユーゴスラビア紛争のときに、ユーゴ軍によって破壊され、将来使われることがないよう、地雷が仕掛けられている。


19. ジェラルド・R・フォード級航空母艦(アメリカ) 次世代スーパー航空母艦

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 2016年に米海軍に配備される予定。エンタープライズやニミッツクラスの母艦と入れ替える。これまでより700人近く少ない乗組員で操縦できる能力をもつ。初めてのオール電化設備、蒸気配管の排除、新しい反応炉、改良された戦闘機発進システム、新レーダーなど技術が改良された。戦闘機をより迅速に効率的に空に放ち、素早い攻撃ができるはずだ。


20. マンセル要塞(イギリス) テムズ川を守るタワー

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 テムズ川とマージー川の河口に建つこの要塞タワーは、ドイツの潜水艦からイギリスを守るために建設された。監視の役目も果たし、第二次大戦を通して使われていた高射砲も備えている。1950年代に小さなタワーは解体されたが、多くはまだ残っていて、水面高くそびえたつ錆びたタワーがなんとも印象的だ。

via:popularmechanics

☆観光で行けるのだろうか!

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世界中からシャーマンが結集して行われる古来から伝わる伝統の儀式「13人のシャーマンの呼び声」

2016年03月16日 | 世界びっくりニュース
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 シャーマンは、トランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる人物のことである。

 21世紀の今も、超自然的存在と交信を続けるシャーマンたちは世界中に存在する。そんな彼らが年に1度、アジア大陸の中心地であるトゥヴァ共和国に集まるという。

 霊的な力を溜めるために有史以前から続いてきた、伝統の儀式「13人のシャーマンの呼び声」の様子が、この度インターネット上で公開された。

The Call of 13 shamans TUVA 2014


 「13人のシャーマンの呼び声」を執り行う日は定まっていない。それはシャーマンたちが幻視する宇宙の周期によって年ごとに決定されることになっている。しかし、開催場所は世界にたった1カ所、アジア大陸の中心であるシベリア連邦管区、トゥヴァ共和国の僻地となっている。ここはいわゆるパワースポットで、祭事は4日間に渡り開かれる。

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 内容は、喉歌(のどうた:喉に声を詰めて震わせることでノイズの混じった笛のような音を鳴らす発声法)、舞踊、打楽器の演奏、瞑想等だ。これらは霊的精神を研ぎ澄ませたり、世界の平和と安定を祈念するために行われる。

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 「13人のシャーマンの呼び声」の名前どおり、メキシコ、モンゴル、グリーンランド、ロシア、韓国など、13ヵ国から集まった霊的な指導者が13人参加する。

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 シャーマンはしばしばトランス状態(非日常的な意識になっている状態)に入る。これにより彼らは神霊と繋がり、予言や治癒の儀式を行うという。起源は有史以前に遡る。

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 下の写真のシャーマンは神聖な祭事を始めるために他のシャーマンとは別の場所で儀式を行っている。

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 色彩豊かな服を着て、種のようなものを空中に蒔くのも儀式の一環。

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 シャーマンのひとりがドラムを叩いている。世界各地から集まっているだけあり、ドラムの形状もそれぞれ異なる。なお彼らはこの祭事に弟子を連れて訪れる。

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 物語の紡ぎ手兼ドラム歌手、ヒヴシュ(Hivshu)も「13人のシャーマン」のメンバーの一人だ。グリーンランドからやって来た。名前は「北極の声」の意。「全ては生であり、生は全てである」という歌詞を歌っている。

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 相手の肩に腕を回し、飲み物を飲ませる儀式。

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 独特のローブと衣服をまとい、ドラムをたたく三人のシャーマン。

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 男性が三人、地に膝を付けている。背景には広く荒涼としたアジアの中心地の風景が広がる。

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 彼らの霊魂に対する考え方はアメリカ先住民族と似た所が多いと指摘されてきたが、近頃DNA調査によって、彼らシャーマンとアメリカ先住民族は共通の祖先を持つことが判明した。彼らの祖先は1万3千~4千年前に各地方に分散、シャーマニズムはアジアから海を越えアメリカ大陸にまで渡った。

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 時代が下り20世紀になると、アメリカ先住民族が信仰していた思想は、アメリカ合衆国という近代社会に影響を与えることになる。ここに映された儀式には、現代社会の原初の信仰が映されているのかもしれない。

via:Summoning the spirits of their ancestors

☆こいつら、マジで素面でやっとんのかいな!

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文化も違えば調理場も違う。世界21の調理場・台所

2016年03月14日 | 世界びっくりニュース
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 キッチンと聞いて思い浮かべるその場所のイメージは人それぞれだ。広くて立派なオーブンがある立派なキッチンがある人や、キッチン兼ダイニングスペースを使っている人もいるだろう。しかし、たとえ姿かたちは違えども、キッチンは昔も今も人の暮らしに欠かせないスペースであり、そこで作られた料理は今後も人々の生きる源となって彼らの生活を支えていくだろう。
 
 というわけで世界の各国のいろんな文化や用途、時代背景などがうかがえるキッチンの写真を眺めてみよう。

1.毎日140万人のインドの子どもたちに給食を提供するNGO組織、アクシャヤ・パトラ

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2.小さな放牧の町、ニューメキシコ州のダティルの家でダイニングテーブルにつく祖父と孫 (1979年)

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Nicholas Devore III/National Geographic


3.ヴァージニア州タンジア島にて、笑顔で焼きたてのパンを提供する女性(1973年)

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David Alan Harvey/National Geographic


4.中国東部の合肥市で調理をする学生シェフ

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Fritz Hoffmann/National Geographic


5.フィリピン、セブ島のダラグエテの親戚の家で調理する女性

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6.インド、ジャムのカトラデビ神社で毎日訪れる数十万人の巡礼者に無料で提供される食事

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7.ブラジル、リオデジャネイロのボタフォゴにあるサンタマルタ貧民街のとあるキッチンの風景

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John Stanmeyer, VII/National Geographic


8.中国のレストランで、マトンパイを作るイスラム教徒の少数民族、ウイグル人たち

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Carolyn Drake/National Geographic


9.アムステルダムの老人ホームで、祖母に見守られながらスリナムケーキの準備をする女性

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The Netherlands Gerd Ludwig/National Geographic


10.ネブラスカ州リンカーン市に住む、ある一家のキッチン戸棚は調味料などがびっしり詰まっていた

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Joel Sartore/National Geographic


11.江戸時代の日本の侍が料理する映画、『武士の献立』のスクリーンショット

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A Tale of Samurai Cooking


12.ジハードで誘拐された父のために祈る4歳の少年。多くの人々同様、このアラブ人キリスト教徒の家族もシリアに移った

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Ed Kashi/National Geographic


13.パキスタンで暮らすハンザ一家はチャパティ(全粒粉と水で作る平べったいパン)作りにはみんなで集合。仕上げに使うのはアプリコットオイルだ

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Matthiew Paley/National Geographic


14.タンザニアの都市ダルエスサラームで、具入りのフラットブレッドを作る料理人

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Seiji Kamei/National Geographic Your Shot


15.南オーストラリア北部にあるクーパーペディの自宅で、家族と食事をとる鉱夫(1963年)

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W. Robert Moore/National Geographic


16.ルーマニアの地方の小さな町ブデシュティで、ダイニングテーブルにつく少年

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Rena Effendi/National Geographic


17.1970年代、人種隔離政策をとる南アフリカ政府主導で作られたトランスカイ自治区(1994年南アフリカに併合)にて、床で調理し、食事をする家族(1977年)

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James P. Blair/National Geographic


18.インド、ウドピの寺院の調理場。21人ものコミュニティに食事を提供するため、ある一家が総出で営んでいる

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19.パキスタン、アリ・アバドのポットと皿がのったテーブルのキッチンエリア

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Matthieu Paley/National Geographic


20.チャネル諸島のサークにて、キッチンを即席の床屋にして散髪をする農夫

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James L. Amos/National Geographic


21.アイオワ州オーセージにあるこの家では、失業した夫婦が缶詰や野外で採取した食材で4人の子どもたちを育てている

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Amy Toensing/National Geographic


via:These 21 Powerful Photos Of Kitchens Around The World Will Touch You.

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兵器から仏塔、スフィンクスから海底都市まで。海底から見つかった驚くべき10の遺物

2016年03月11日 | 世界びっくりニュース
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 海には我々人類と関わりの深い様々なものが眠っている。月日を経て風化しながらも海の底でその歴史を刻んでいる。そしてダイバーたちは時に驚くべき発見をする。

 例えば19世紀の機関車だったり、都市伝説だと思われていた都市だったり、海は歴史の遺物を抱える偉大なる宝箱なのだ。だがそれもほんの一握りにすぎない。我々人類はまだ海底の5~7%しか知りえていないというのだ。他にはいったい何が眠っているというのだろう?それを考えるだけでワクワクが止まらない。

 ここでは、海外サイトでまとめられていた10の遺物を見ていくことにしよう。

10.ドイツの失われた双発爆撃機「ドルニエ Do 17」(英ケント州)

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 ドイツのドルニエ Do 17(ドルニエ デーオー ズィプツェーン)は1940年代に製造が中止された爆撃機だが、第二次世界大戦中、バトル・オブ・ブリテンやブリッツ戦においても活躍された機体であった。全盛期は2000機以上が作られたが、1952年にはフィンランド空軍に最後の一機を落とされ、歴史の表舞台から姿を消した。しかし1940年8月26日に撃墜された1機が奇跡的にケント州グッドウィンドサンドを泳いでいたダイバーたちによって発見された。

 爆撃機はデスモンド・ヒューズ空軍少尉とフレッド・ガッシュ軍曹によって撃ち落とされたと記録されている。ドルニエ Do 17の保存状態は「奇跡的」と言われ、2013年からイギリス空軍博物館に展示されている。


9.ウルブルン沈没船(トルコ)

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 沈没船「ウルブルン」は1982年にトルコ南西部で新米ダイバーによって発見された。紀元前14世紀に作られたこの沈没船はヒマラヤスギを使った世界最古の船の一つである事が判明している。船からは物資を運んで居たであろう荷物に加え、10トンあまりの銅、エジプトの宝石、象牙、ガラス、イタリア製の剣などが見つかった。

 この発見は歴史学的に見ても非常に重要で、歴史学者が過去を紐解く大きな鍵となったのは言うまでも無い。そこで見つかった物資の種類とその豊富さから、地中海は学者たちが過去に思い描いていたよりも大規模な貿易が行われていただろうと言う事が判明したからだ。

 こういった理由もあり、サイエンティフィック・アメリカンの投票ではウルブルン沈没船の発見を「20世紀を代表する歴史的大発見トップ10」の内の一つとして認定している。調査と物資の回収は総勢2万2413名のダイバーによって行われ、現在はトルコのボドルム博物館に展示されている。


8.40年前の事件を紐解くきっかけとなった2台の車(米オクラホマ州)

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 2013年9月、オクラホマ州警察は新しく開発されたソナーのテストをしていた。それにより40年前に沈んだと思われる車を2台発見した。警察は当初「これらは盗難車で必要無くなったから海に投げ捨てられた」と考えていた。しかし車のドアを開けた瞬間、その予想は大きく外れる事となる。そこにはそれぞれ、3人分の骸骨があったのだ。

 1台目は1969年のシボレー・カマロで、車内に居たのは40年前に行方不明になったジミー・アレン・ウィリアムズ16歳、トマス・マイケル・リオス18歳、リー・ゲイル・ジョンソン18歳の3名である事が判明した。3人は最後にフットボールの試合を観戦する予定で出かけていたという。

 2台目は1950年代のシボレーで、やはり40年前に行方不明になった成人男性2名と女性1名(クレバーン・ハムロック、ノーラ・ダンカン58歳、二人の友人アルヴィ・ポーター69歳)である事が判明した。だが、彼らがどうしてここに沈んでいたのかは不明であり、検察は現在も調査を続けているという。


7.SSマーラッター(英ケント州)

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 イングランド南東部のケント州で難破船が見つかる事は珍しい事ではない。過去に1000件以上の難破船が見つかった事があり、まだ確認されていない物もあるだろうと考えられている。過去に見つかった難破船の中でも特に謎なのは2隻のSSマーラッターである。

 1隻目のSSマーラッターは1891年に航海を初め、1907年に誤った航路を航海してしまった事により難破し、沈没してしまった。2隻目のSSマーラッターは1917年に航海を初め、1949年にグッドウィンドサンドにて沈没した。

 不思議なのはその場所である。2隻目のSSマーラッターをサルベージした際に分かった事だが、なんと2隻目の船は1隻目の船の真上に乗る様にして沈没していたのだ。この2隻の船の予定航路は全く同じであり、2隻とも「カルカッタからロンドン行」であった事が判明しているが、まったく同じ場所で難破した謎はまだ解き明かされていない。


6.F4ジェット機(フィリピン、スービック湾)

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 フィリピンのスービック湾の海底40メートルで米軍のF4戦闘機(F-4ファントムファイタージェット)が発見された。スービック湾は第二次世界大戦中の日本軍の戦闘機などが多く沈んでいるが、1958年から1981年にかけて製造されたF4戦闘機が、なぜここで眠っていたのか?という疑問が浮上してきた。発見された戦闘機の状態もとても良かったという。

 一つの可能性として浮上した説は「F4戦闘機は元々空母に乗せられており、何らかの手違いで空母から落ちたのではないか」というものだ。現代ではほぼ有り得ない話だが、その当時、故障した戦闘機が空母から滑り落ちてしまうのは然程珍しい事ではなかったそうだ。

 また、「F4戦闘機は1967年にベトナム戦争で沈没したフォレスタル空母に乗せられていた」という説もある。記録によるとフォレスタル空母に乗せられていた7機のF4戦闘機が破損したと言われている。真実は分からないが、この戦闘機がどこから来たのか?とても興味深い謎である。


5.伊四百潜水艦(米ハワイ)

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 2013年8月にハワイ沖700メートルの海底から日本軍の伊四百潜水艦(以下伊400)が発見された。全長122メートルの巨大潜水艦である。伊400は特殊攻撃機「晴嵐」3機を保有しており、これにより通常の戦闘機以上に広範囲への攻撃が可能だったと言われている。

 日本軍は当時、伊400を18隻作りアメリカ本土への攻撃を計画していたようだが、これは実現せず、第二次世界大戦終戦までの間に3隻が製造されるだけに留まった。しかもこの3隻でさえ戦闘に参加する事は殆ど無く、太平洋に燃料物資を届ける事が主な用途であったようだ。

 伊400は当時世界最大級の潜水艦であり、1950年代から1960年代初頭に登場するアメリカの原子力潜水艦の台頭までその記録を保持し続けた。当時アメリカ海軍は伊400の確保して、その内部構造などの秘密を探っていたという。その後、1946年にソビエト連邦がアメリカ軍に対して伊400の引き渡しを要求すると、アメリカ軍はあえ伊400に魚雷3発を撃ち込み、ソビエト連邦にこの潜水艦の秘密が渡らないように海の底に沈めたと言う。


4.幻の蒸気機関車(米ニュージャージー州)

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 1985年、ポールヘプラーという人物が、磁気計を使いニュージャージー州の海底を探索していると、海底27.5メートルの地点に巨大な鉄の塊を発見した。更に潜って調べてみると2両の蒸気機関車が隣同士に並んでいたことがわかった。更に1850年代のものであることも判明。だがなぜ海底に沈んでいたのかは謎だ。

 蒸気機関車を運んでいた船が嵐にあい転落してしまったとも考えられるが、当時、蒸気機関車を運んでいたプラネットクラス2-2-2 Ts型の船はとても珍しい物で、この可能性は極めて低いという。

 ちなみに機関車の保存状態は極めて良好で、160年もの間海底に沈んでいたとは思えないほどであり、現在は修復作業が行われており、将来的には博物館での展示等が予定されている。


3.ママラプランの仏塔(インド)

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 かつてインドのママラプランには、7つの仏塔が存在したと言われていた。その美しさは神すらもうらやむ程だったが、その内の6つは海に飲みこまれてしまったという。歴史学者は「仏塔は実際には1つしか存在せず、他の6つはただの都市伝説にすぎない」と思っていたようだが、2004年12月26日に起きた津波により、水嵩が500メートル下がった事で「幻の仏塔」のうちの1つが発見された。

 地元の漁師とダイバーらが協力して結成した探索チームのリーダーは、その仏塔に感動し、「夢を見ているようだ。とても信じられない」と心境を語ったという。この発見はママラプランの7つの仏塔の伝説を裏付けることとなった。また、歴史的に見ても仏塔の存在はパッラヴァ朝時代のインドの財力や知力を物語るものとして貴重なのだ。


2.スフィンクス(バハマ)

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 2014年初頭、バハマの海岸で沈没船の調査をしていた考古学者のチームがスフィンクスを発見した。調査の結果、このスフィンクスは石灰岩で出来ており、中東のワディ・ラハヌという場所から運ばれたと言う事が判明した。

 ワディ・ラハヌはエジプトの都市の一つで、石灰岩の輸出をしていたという。このスフィンクスは海の底に2500年もの間放置されていたそうで、恐らく船での輸送中に何らかの事故で海に沈んだのだろうと推測がなされた。

 しかし当時のエジプトで、海を利用してスフィンクスを輸送していたという事実は確認されていない。その為、スフィンクスと船のはっきりとした出どころは分かっておらず、唯一判明したのは船がヒマラヤスギで作られていたという事だけであった。


1.謎の海底都市

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 ギリシャでは「ヘラクレイオン」、エジプトでは「トロニス」という名で呼ばれる伝説の都市が存在した。その幻の都市は、古代エジプト、アレクサンドリア近くのアブキール湾沖6.5kmに沈んでいて、2000年に仏考古学者フランク・ゴジョ ( Franck Goddio) によって発見された。

 その後の調査で同じ地域から64隻の沈没船と700以上のいかりが発見された。また、プトレマイオス朝のコインやギリシャ・エジプト両国の秤やテーブル、プトレマイオス3世の石碑など、多数の遺物が残されていた。

Heracleion excavations2, ©Franck Goddio/Hilti Foundation.mov


 ヘラクレイオンは紀元前6~4世紀に栄えたことが考古学的発見によって明らかになっている。紀元前4世紀には時のファラオ、ネクタネボ1世によって多数の神殿が建立されたが、6~7世紀頃、大地震や洪水などで海の下に沈んだと推測されている。

 フランク・ゴジョが発見するまで、多くの学者はヘラクレイオンとトロニスが同じ都市をあらわすことすら分からなかった。現在もヘラクレイオンの調査は進められており、地域一帯を完全に探索するには200年を有するだろうと言われている。

via:10 Man-Made Underwater Discoveries

☆まだまだ、あるはずじゃ!

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なんというおとぎ話的空間!トスカーナのファンタジーに満ちた牧歌的な風景写真

2016年03月09日 | 世界びっくりニュース
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 ポーランドのフォトグラファー、マルチン・ソバスが撮影したイタリア・トスカーナの牧歌的な風景は、今すぐモニターをくぐってそこに降り立ちたくなるほどの夢とロマンとファンタジーに満ち溢れている。
 
 マルチンが初めてトスカーナを訪れたのは8年前のことだ。その永遠に続くかのように見える、なだらかなカーブを描いた美しい風景に魅せられ、その後幾度も訪れているという。

 トスカーナ北部はブドウ畑や森林で覆われているが、南部は谷や丘を包み込む、広大な原野が広がっている。

 春は花と緑が生い茂り、秋は様々な色のパレットのようになる。そして最も知られている風景は、丘陵を移動する羊たちの群れだ。広大に広がる丘の間で見失わないように、彼らの首にはベルが付けられているという。

 まさに一生に一度は見ておきたい場所だ。
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via:The Idyllic Beauty Of Tuscany That I Captured During My Trips To Italy

コメント欄で動画の方も紹介していただいたが、動いてても素晴らしい!
Val d'Orcia - Siena - Tuscany


☆ええとこみたいやなぁ!

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