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目は口ほどにものを言う。瞳が語りかける21枚の歴史的写真とそのサイドストーリー(閲覧注意)

2014年08月06日 | 世界びっくりニュース
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 「瞳は心の窓である。」様々な歴史的な写真を見れば、この意味を実感することになるだろう。

 我々は誰かを初めて観察する際、その人の目を見る。それは相手がどういう人間で、何を考えているのかを知るためである。そして時にその目は、言葉以上にその人やその人の考えを相手に伝える。

 投稿掲示板フォーラム、サンタバフォルムでは、歴史的な写真に見える瞳について研究を始めた。これらの写真に写る人々の表情はリアルであり感情的なもので、彼らの最良又は最悪の日を、喜びや嫌悪、恐怖や勇気によって表現している。

1. 狂気


1916年、コルセレットの戦いで、戦争神経症(戦争での精神的緊張によって起こる精神異常)が発症した兵士。
 
 この狂気の表情は戦場の狂気がパニックを起こし、トラウマになっていることを物語っている。彼は寝る事も、歩く事も、話す事もできない状態にいる。砲撃の雨をくらった兵士は皆、自分自身をコントロールすることができなくなる。

2. 敗北


 スターリングラード攻防戦において、赤軍(1918年から1946年にかけてソビエト連邦に存在した軍隊)の兵士がドイツ軍兵士を捕えている写真である。ドイツ軍兵士は捕虜となった後、暖房用燃料と医療用品が底をつくと、彼らの多くは栄養失調や凍傷、病気となり命を落とした。この戦いでおよそ200万人の犠牲者を出した歴史上最も血の流れた戦いであったと言われている。

3. 恐れ

 
 これは1945年4月ドイツ、レッテンバッハで、アメリカ軍によって捕えられた15歳のドイツ軍兵士、ハンズヘンケの写真である。ドイツ空軍のメンバーであったが、戦いに敗れ、身の回りの世界が崩壊すると、はげしく泣き崩れた。彼の父親は1938年に、母親は1944年に亡くなっており、彼は生きるために軍へ入隊していた。

4. 疲労


 連合軍 によってドイツ軍から解放された、アメリカ人捕虜のやせ衰えた表情の写真である。1945年にドイツ、リンブルクで撮影されたもの。

5. 勇気


 ビビ・アイシャ(18歳当時)の写真。彼女の家族が関わった殺しの償いとして、彼女の父親はタリバン兵士と彼女を結婚させた。14歳で結婚し、それから絶えない虐待を受けた。18歳になった時、虐待から逃れようとしたが、警察に捕まり、また家族の元に戻された。

 逃亡の罰として、彼女の義理の父親と夫、他の親類3人はアイシャを山に連れて行き、彼女の鼻と耳をそぎ落とし、その場で放置した。後に彼女は救援隊とアメリカ軍によって救出される。この写真はタイムズ誌の表紙となり、これが全てのアフガニスタンの女性に立ちはだかる恐怖について議論を引き起こす結果となった。

6. 束の間の癒し


 同年代の仲間とともに、第72振武隊の荒木幸雄隊員が子犬を腕にかかえている写真。これは朝日新聞のカメラマンが、彼らが沖縄に向けて神風特攻隊員として出陣する前に撮影したものである。

 荒木幸雄隊員は1945年5月に沖縄付近でアメリカの船舶に特攻攻撃を仕掛け、17年と2ヶ月の若さで亡くなった。ほとんどの神風特攻隊員は17歳から22歳の年齢である。これは神風特攻隊と聞いて皆がイメージするものとは違う一枚となった。

7. 嫉妬


 20世紀フォックス主催のパーティーに出席したジェイン・マンスフィールドとソフィア・ローレンの写真。1957年4月。

8. 純真


 サファイア色の瞳をした少年。この写真を撮影したバネッサ・ブリストウは当初、これがフォトショップの加工によるものだと疑われていた。彼女は他の写真も投稿し、これが本物の写真であることを証明した。

 青い目を持つ黒い肌の少年は、おそらく眼白子症(眼の色素低下を伴う遺伝性疾患で、メラニン色素の合成異常が原因)である。これは(眼球の)虹彩の色素密度を減少させる。

9. 受容


 「ヴィニッツァ最後のユダヤ人」、アインザッツグルッペン(ドイツ保護警察)の兵士のアルバムから見つかった写真である。

 場所はウクライナ、ヴィニッツァの多くの死体が転がっている集団墓地。1941年、ドイツ人兵士はユダヤ人である彼を射殺しようとしている。当時ヴィニッツァにいた2万8千人のユダヤ人は一人残らず虐殺されたと言われている。

10.安堵


 23時間にもおよぶ心臓移植手術後の写真。手術は成功し、心臓外科医はイスに座り、助手は手術室の隅で眠っている。

11. 絶望


 ワルシャワのゲットーに倒れ込み、飢えに苦しんでいる女性の写真。これは1941年、ポーランドでドイツ軍兵士ハインツ、ヨストが撮影したもの。

12. 驚き


 生まれつき音が聞こえないハロルド・ウィッテルズが、補聴器を付け人生で初めて音を聞いた瞬間。

13. パニック


 1985年5月、リバプール対ノッテンガム、フォレストのFAカップ(イングランドで行われるサッカーのカップ戦)準決勝の試合がシェフィールドのヒルズボロ、スタジアムで行われた。

 我を失った観客はパニック化し、合計96人の死者、766人の負傷者を出した。またこの結果を受けて、警察は大きな批判に晒された。この悲劇は「ヒルズボロの悲劇」と呼ばれ、イギリス史上最悪のスタジアム事故となった。

14. 失われた純真


 シリア反政府軍のアフメド(8歳)がタバコを吸いながらAK-47を武装している写真である。内戦に参加している兵士の中でも最も若い一人で、彼の表情から、この時期の子供が見てはいけない物を目撃してきたということを感じさせる。

15. 嫌悪


 ヨーゼフ・ゲッベルス(ドイツの政治家)は、アインシュタインがユダヤの人間であると知るまで、笑顔を見せていた。しかしアインシュタインがユダヤ人だと知らされた時、表情は一変した。これがその時の写真である。「彼は憎悪の目で私を睨み、私が怯えるのを待っていた」と写真家は話す。

16. 警戒


 シャーバト、グラはソビエト連邦軍のアフガニスタン侵攻の際の爆撃により、孤児となった。そして1984年、パキスタンのナシール、バグの難民キャンプに収容された。

 彼女の村は1980年代初頭、ソビエト連邦軍の武装ヘリコプターに攻撃された。ソビエト連邦軍により両親は殺され、残された彼女と兄弟、祖父は山を越え、隣国パキスタンの難民キャンプへ辿り着いた。

17. 羞恥


 ドイツ軍人と交際した罰として市民によって、髪の毛を剃り落されるフランス人女性の写真。これは第二次世界大戦後に撮影されたものである。

18. 苦痛


 枯れ葉剤の後遺症に苦しむ9歳のニューエン・シー・リーの写真。ベトナム戦争においてアメリカ軍は1200万ガロンの枯れ葉剤を使用した。

 枯れ葉剤はベトナムのジャングルに生い茂る植物を枯らすことで、敵軍の待ち伏せに遭う危険性を減らし、ベトコン(南ベトナム解放民族戦線の兵士の俗称)の食料と隠れ家を奪うのが目的であった。これにより少なくとも450万人のベトナム人と250万人のアメリカ人退役軍人が被害を受け、散布されてから30年近く経った今でも彼らは枯れ葉剤の後遺症に苦しんでいる。そしてこの後遺症は世代に渡って影響を及ぼしている。

19. 平和


 この写真の兵士の詳細はあまり分かっていないが、彼は第173航空旅団に属していたと言われている。1965年6月に撮影された。

20.畏敬


 人形劇でドラゴンが倒される場面に興奮する子供たち。1963年パリにてアルフレッド・アイゼンスタット(アメリカの写真家)が撮影したもの

21. 喜び


 1945年、戦争捕虜から解放された美しさ。彼女は本当に痩せ細っていたが、解放されたとわかった瞬間、まるでこれまで囚われていたことを忘れたかのように、イキイキと輝いた表情をした。

via:boredpanda

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