突然誰かが行方不明になったとしても、家族や関係者以外の人にとっては、すぐに忘れてしまうかもしれない。だが一度に複数の人が失踪したらどうだろう?
何かよからぬことが起きたことは明白だ。奇妙で怪しいその事件は人々の記憶に残されていくだろう。
こうした集団失踪事件は大昔から記録に残されており、現在でも時折発生している。
インターネットの普及により、消えた人間を探し出すことは以前より容易となったが、かつての事件から漂うミステリーのニオイは消えることなく人々を惹きつけて止まない。
10. 消失したイヌイットの集落。アンギクニ湖事件(1930年)カナダ
References:mysteriousuniverse
1930年11月、野営の場所を探していた毛皮猟師のジョー・ラベルは、カナダ、ヌナブト準州にあるアンギクニ湖付近でイヌイットの集落に遭遇した。鍋の下の薪には火がついており、中身が焦げ付いていたが、30戸強の住人の姿はどこにもなかった。
しかも住居にはまだ私物が残されていた。食料の備蓄もたくさんあった。住民が突然集落を捨てるだけでも考えにくいことだが、それも身の回りのものをすべて置いていったのだから不可解だ。
通報を受けた警察は調査に赴いた。途中、猟師の家で休憩をとった時、彼らは夜更けに奇妙な光る物体が、アンギクニ湖の方向へ飛んでいったという話を聞く。
イヌイットの集落に到着すると、確かに誰もいなかった。しかも集落周辺にあった墓地はすべて暴かれており、遺体も消えていた。不思議なことに、暮石が墓地の両脇にきちんと積まれていたという。
カナダ警察によって2度の捜索がなされたが、今もなお未解決事件である。
9. 消えたロアノーク植民地の入植者(1587年)アメリカ
References:littlethings
現在のノースカロライナ州にあたるロアノークに作られた植民地は、イングランドからの移民が最初に入植した地の1つだ。
しかし植民地の統治者だったジョン・ホワイトが補給のためにヨーロッパに戻り、再び帰還すると、集落は完全に荒廃していた。
残っていたのは骸骨1体と、木に彫られた「クロアトアン」という文字だけだった。
多くの仮説では、入植者は植民地の南にいたクロアトアン族の犠牲になったと推測する。慌ただしくそこを立ち去ることになった住民が、犯人を知らせるメッセージとして残したのかもしれない。
また別の仮説では、ホワイトの帰還が戦争のために3年もかかったことから、入植者は捨てられたのだと勘違いしてヨーロッパに帰還したと説明する。この説によれば、彼らは大西洋の冷たい海で遭難し死んでしまったという。
8. メアリー・セレスト号の消えた乗組員(1872年)アメリカ船
References:davidhalperin
1872年12月、ニューヨークからイタリア、ジェノヴァへ出航したメアリー・セレスト号は、大西洋の中央部に位置するアゾレス諸島沖740キロの地点で漂流しているところを発見された。船員は誰一人おらず、生存者の痕跡はなかった。
当初、船は積荷狙いの海賊の犠牲になったのだと考えられた。しかし積荷も船員の物資もそのまま残っていた。船長の航海日誌も残されていた。仮に船を放棄することになったとしても、それは日誌に記録されるはずであるから、突然起きた何かが船員を動揺させ、咄嗟の行動に出させたに違いなかった。
失踪の原因は不明だが、M・K・ジェサップは、宇宙人による誘拐の一事例で、こうしたことは歴史上何度も起きていると主張している。
7. USSサイクロプスの失踪(1918年)アメリカ
References:.historicmysteries
第一次世界大戦中、米軍のUSSサイクロプスはヨーロッパ近海を航行していた。その謎めいた失踪は戦闘によるものではないようだ。むしろ、あの悪名高きバミューダトライアングルの罠にはまったかのように思える。
1918年2月、ブラジルの港を出港したサイクロプスは、3月3日までにバルバドスを出たことまでは確認されている。そこで通信が途絶え、船員300人と乗員とともに忽然と姿を消してしまった。
救命信号の類は受信されていない。また捜索によって、沈没した船体や船の残骸が発見されるようなこともなかった。
船の行方や失踪した原因は現在でも不明だ。バミューダトライアングル以外にも、巨大波や宇宙人による誘拐など諸説提唱されている。
6. 600人が一夜で消失。オエル・ベルデ村(1923年)ブラジル
References:unexplainable
1923年2月、ブラジルの小村オエル・ベルデ(Hoer Verde)で暮らしていた600人が、身の回りのものを残したまま一夜のうちに忽然と姿を消した。
そこを訪問した数人のグループが足を踏み入れると、誰もいないことが判明した。あたりは静寂に包まれ、鳥のさえずりすらしなかったという。
警察に通報され、捜索が開始されるが、例のごとく村人の居所を示すようなものは一切発見されなかった。
ある警官が村の学校を調べると、「救済はない!」と書かれた黒板が見つかった。そのそばには24時間以内に発砲したらしい銃もあった。
宇宙人などに原因を求める説もあるが、当時の政治的背景を指摘する意見もある。村人はゲリラ戦に巻き込まれることを嫌い、村を捨てたとも考えられるのだ。
確かにありえそうな話ではあるが、所持品や食料をすべて残して突然立ち去った理由までは分からない。また村人が引っ越した場合に考えられる、周辺に新しい村が出現したという記録もない。
5. 忽然と姿を消したアナサジ族(1200年代後半)アメリカ
References:.ancientpage
アナサジ族は北アメリカ大陸でも最も洗練された文明の1つだと考えられている。彼らは紀元前1500年頃から現在フォー・コーナーズと呼ばれる地に暮らしてきた。ここはコロラド州、ユタ州、アリゾナ州、ニューメキシコ州の境界が交差する土地である。
13世紀後半、アナサジ族は突如として5階建800室の建物が特徴的な集落を捨てた。忽然と姿を消したのだ。
現在、彼らの子孫とされるネイティブアメリカンの部族がいくつかあるが、彼らの伝承は、アナサジ族が家に帰ったのだと伝えている。人類の祖先が宇宙人だと考える人たちには、非常に興味深い伝承である。
宇宙人祖先説を唱える人たちは、アナサジの遺跡で発見された螺旋のようなマーキングを指摘する。
一般には太陽を象徴すると言われているが、彼らの見解では、マーキングはポータルを象徴しているのだそうだ。アナサジ族はそれを使って故郷へ帰ったらしい。
4. 消失したインダス文明(紀元前1500年)
References:ancient-code
インダス文明が消失した理由は、一部の人によれば核攻撃を受けたからだという。その標的となったのが現在のパキスタンにあたるモヘンジョダロとハラッパーだ。ここはエジプト文明やメソポタミア文明に匹敵する四大文明の1つ、インダス文明が興った地である。
遺跡の調査からは、下水、レンガの風呂、飲料水システムといった高度な設備があったことが判明している。発掘された40体以上の人骨の分析からは、その終わりが突然だったことが窺える。
英国の研究者デビッド・ダベンポートが10年以上古代の文献を研究した結果、放射線と物質が融合した証拠を発見した。
いずれも突然、強烈な熱にさらされたことを示していた。彼はここから、インダス文明は核攻撃によって一掃されたのだと結論づけている。
3. オーストラリアの幽霊船の謎(2007年)
References:theparanormalguide
2007年4月、カズ2号(Kaz II)にまつわる「オーストラリアの幽霊船の謎」が人々の注目を集めた。失踪したのは3人だけであるが、比較的新しいミステリーとして取り上げる価値があるだろう。
ヘリコプターによってクイーンズランド沖を漂う全長9.8メートルの船が発見された。近寄って確認してみると、船は捨てられたようであった。
セイルに多少の損傷があったが、大きな事故にあったような形跡はなかった(セイルは漂流中に破損することもある)。
特に奇妙だったのは、まるで船員がこれから食事を始めようとしているかのように、テーブルに食事が用意されていたことだ。
エンジンはまだ動いており、ノートパソコンの電源も入りっぱなしだった。船員の私物も残っており、ライフジャケットもそのままだった。
当局による結論はまだ出されていないが、でっち上げの線は否定されている。
2. バス海峡トライアングルで失踪したニーナ号(2013年)
References:oceansailingpodcast
失踪したのは2013年夏のことだが、ニーナ号はその85年前に建造されたものだ。ニューヨーク=スペイン間レースで優勝するなど華々しい歴史で彩られたヨットだった。
失踪当時の所有者デビッド・ダイクは、ニュージーランドからオーストラリア、ニューカッスルへの航海を予定していた。
ダイクらは2013年5月末に出港。しかし船が目的地に到着することはなかった。天候不順で遅れているだけに過ぎないと願いながら数日が経ち、ついにニュージーランド当局は同国史上最大の捜索を開始した。それも虚しく、ニーナ号は行方不明と正式に発表された。
気になるのは船が喪失した位置だ。そこはバス海峡トライアングルと呼ばれている海域で、数多くの船が失踪していることで知られている。
1. 4人の若い男性が失踪。ダショー事件(1965年)スウェーデン
References:reddit
スウェーデン史上唯一の集団失踪事件とされる。1965年7月29日、ヨーテボリで4人の若い男性が忽然と姿を消した。
ゲイ・カールソン、ヤン・オロフ・ダショー、シェル・オーケ・ヨハンソンは造船所の仕事仲間だった。彼らが最後に目撃されたのは、7月の雨が降る朝にブルーのボルボで街を出る姿である。
それぞれの家族から警察に届け出があったのは、別々の時間であった。このため警察は3人が一緒だったことに気づくのが遅れた。
3人の中で免許を持っている者はいなかった。したがって3人のうちの1人が無免許運転をしていたことになる。若者が若気の至りでやんちゃをすることはよくあるが、3人は概ね好青年として知られていた。
関連性は不明だが、その日ヨーテボリではもう1人行方不明者が出ている。ヒュブナー・ルンドクヴィストはリューセヒールへ向かうため、ヨーテボリを通過。そこで「万事順調、心配いらないよ!」というハガキを家族に郵送している。
ルンドクヴィストの消息はそこで絶たれた。彼がブルーのボルボに乗った可能性も指摘されている。彼が3人と知り合いだったのか、まったくの偶然だったのかは不明だ。
☆詳しく書いてある本を読んで見たいなぁ!
男性専用コーナー!クリックしてね\(^o^)/