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サルコファガス(石棺)とそこに収められていた遺体に関する10の秘密

2017年02月10日 | 世界びっくりニュース
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 石棺を意味する”サルコファガス”という言葉は、ギリシャ語の肉食という意味からきている。人肉を食い尽くす棺という意味がこめられている。石棺は、古代エジプト、ヘレニズム時代、ローマ帝国と1000年もの間使われていた。

 キリスト時代に入ってからも、宗教的な象徴としての道具になった。上流階級用のこの棺は、たいてい豪華に装飾され、おさめられる死者本人のことだけでなく、彼らの希望、夢、恐怖などのイメージも描かれた。描かれものは、当時の社会や精神的理想を表わしていることが多く、異文化様式の影響が見られるものもあった。

 ここではそんな石棺とそこに収められていた遺体に関する10の事実を見ていこう。

10. 肉食サルコファガス


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image credit:Ancient Origins

 古代トルコのアッソスの町は、謎めいた肉食サルコファガスで有名だ。遺体が分解するにはたいてい50日から200日かかるが、アッソスのサルコファガスの中の遺体は40日以内で完全に分解する。

 人肉を食い尽くすこの棺は安山岩でできているが、この石が急速な分解の原因なのかどうかははっきりわからず、アルミニウムの存在を指摘する研究者もいる。

 このアッソスの棺は、もともとギリシャ語で肉食という意味のサルコファゴスと呼ばれていて、これが現代のサルコファガスの語源となった。紀元前7世紀にさかのぼるアッソスの共同墓地に最初のサルコファガスが現われたのは2世紀後だ。

 初期の棺は装飾のないシンプルな四角い石のブロックで、ただ死者の名前が記されているだけだった。サルコファガスにさまざまな装飾が施されるようになったのはローマ時代のことで、エレガントな彫刻が施され、眠りについているのは誰かを示す碑文が刻まれた。


9. KV55の墓に葬られた謎のファラオ


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 1907年、エジプトの王家の谷で謎めいたサルコファガスが発見され、KV55という番号がつけられた。しかし、今日に至るまで、この棺の主が誰なのかわかっていない。玄室の中には4つのカノープスの壺、金箔を貼った聖遺箱、調度品、そして1基のサルコファガスがあった。棺は荒らされていて、豪華なマスクはほとんどはがされ、死者の名も削り取られていた。

 安置されていたのは、ティイ王妃、スメンクカーラー王など、さまざまな説があるが、有力なのはアクエンアテン王(アメンホテプ4世)だ。最近、研究者たちは、カイロのエジプト考古学博物館で、長いこと忘れ去られていたある箱にいきあたった。

 中には500枚の金箔、頭蓋骨のかけら、金箔がKV55のサルコファガスから見つかったものであることを示すフランス語のメモが入っていた。雪花石膏でできた4つのカノープスの壺は空だったが、女性をかたどった像が入っていた。これは、アクエンアテンの娘だと思われているが、KV55が謎めいたサルコファガスであることは確かだろう。


8. 子どもスターのサルコファガス


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image credit:The Daily Telegraph

 1888年、大英博物館は古代の子どものミイラがおさめられたサルコファガスを購入した。 Tjayasetimu は古代エジプト王家の合唱隊の一員で、身長122センチの7歳の女児。鮮やかな包帯で巻かれ、顔にはベールがかけられ、黄金のマスクをかぶせられて埋葬された。

 トモグラフィー(断層撮影法)でこのミイラをコンピュータ解析したところ、乳歯の下から永久歯が生えてこようとしているのがわかっただけでなく、髪が肩の長さであることも判明した。専門家たちは、彼女がコレラのような急性疾患で亡くなったとしている。

 サルコファガスの大きさにしては彼女はとても小さく、慌ただしく埋葬されたのかもしれない。棺に描かれた象形文字と絵によると、Tjayasetimuがアメン神殿の合唱隊のスター歌手だったことがわかる。幼い歌姫は、古代エジプトのもっとも裕福な家族である王家にふさわしい埋葬をされるのほどの重鎮だったのだ。


7. 3000年前の指紋


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image credit:BBC News

 2005年、ケンブリッジにあるフィッツウィリアム美術館の研究者たちが、サルコファガスの蓋についた3000年前の古代の指紋を発見した。これは、ニスが乾く前に蓋に触れた棺の制作者のものと思われた。

 このサルコファガスは、古代エジプトの”Nespawershefyt”という聖職者のもので、紀元前923年にさかのぼるもの。指紋が発見されたのは2005年のことだが、4000年にわたるエジプトの棺デザイン展、2016年の「Death On the Nile」の準備のときに初めてこのことが公になった。

 これまでのところ、エジプト最古の指紋は紀元前1300年のもので、テーベの墓から出てきたパンの塊の上に残っていた。人類最古の指紋は2万6000年前の子どものもので、現在のチェコ共和国で作られた陶器の小像についていた。しかし、人類出現以前の指紋はさらに古い。武器をこしらえる道具についていた、8万年前のネアンデルタール人の指紋が、ドイツのノイ・ケーニヒスアウエで発見されている。


6. 都合の悪いサルコファガス


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image credit: Ancient Origins

 2015年、イスラエル考古学庁は、建設業者が隠蔽していた1800年前のサルコファガスを入手したと報告した。どうやらこの棺は、建設工事が遅れないよう、その存在を秘密にされていたようだ。

 長さ2.4メートルの石灰岩のこの棺は、業者が手荒く扱ったせいか、かなり損傷していた。棺の装飾として、ゴルゴーンの首、キューピッド、雄牛の頭、花や植物、若い男性の絵が描かれていた。この若者が棺の主と思われ、彼は刺繍をほどこした半袖のシャツを着て、髪は巻き毛という典型的なローマ人の姿をしていた。

 紀元3世紀ごろのこのサルコファガスは、アシュケロンで見つかった。この古代都市は、ユダヤ人、サマリア人、異教徒のローマ人が混在していて、彼らはそれぞれサルコファガスの装飾に影響を及ぼした。考古学庁の代表は、この棺をイスラエルで発見されたもっとも希少なサルコファガスのひとつと言っている。

5. シルクロードのサルコファガス


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image credit:The Australian

 1999年、古代シルクロード各地の異文化の影響を受けた、白い大理石のサルコファガスが発見された。場所は中国山西省で、棺にはYu Hongとその妻が安置されていた。紀元592年から598年の間に埋葬されたとされる。

 このサルコファガスは見た目が中国風の屋根をした家に似ていて、重さは4200キロ、獅子の上に安置されていた。鳥人間たちが、ゾロアスター教に影響された拝火壇の脇をかため、すぐ隣にはハスの花と足を組んで瞑想している仏陀の像がある。

 Yu Hongは6世紀の中央アジアの外交官だった。DNA鑑定で、コーカサス人(白人種)であることがわかり、そこから彼は中央アジア文化における商人であり、音楽家であり、芸人であったソグディアナ人だったのではないかと推測された。

 墓から唐時代の硬貨が見つかっていることから、考古学者たちは墓が618年から906年の間に何度か盗掘されていると考えている。墓泥棒たちがうっかり落としたという説もあるが、墓泥棒の迷信としてわざと硬貨を置いていった可能性はある。


4. タブニトのサルコファガス


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image credit:oncenawhile

 1887年、謎の多いフェニキア文化の見事な産物と思われるサルコファガスが発見された。紀元前5世紀にさかのぼるこのサルコファガスの中には、アシュタルテ(フェニキアの女神)の司祭であり、シドン(フェニキアの海洋都市)の支配者だった、タブニトの遺体が安置されていた。

 棺の中には褐色の油性の液体が満たされていて、遺体はその中に保存されていた。唇や鼻、喉、手足だけが腐敗していたが、解剖の結果、タブニトは天然痘で50歳前後に亡くなったことがわかった。

 サルコファガスの表面には、象形文字とフェニキア文字が混ざった謎の文字がびっしり書き記されていた。この短命な混合文字は紀元前5世紀ごろに発達したもので、エジプトと北の隣人とのつながりが裏づけられる。タブニトが最初に展示されたとき、太陽の光にさらされて腐敗が急速に進んでしまい、今日では骨しか残っていない。

 サルコファガスが発見され、大英博物館に移されたことは、国際的な騒ぎを引き起こし、トルコ側から激しい反発が起こった。


3. 高僧の象形文字


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image credit: Ancient Origins

 2015年、謎めいた聖なる象形文字がびっしり書かれた、アメン・ラーの高僧のサルコファガスが発見された。

 ルクソールの西岸から発掘されたこの棺は、第22王朝(紀元前943~716年)にさかのぼるもの。漆喰で覆われた木製のサルコファガスは、アメンホテプ三世(紀元前1391~1353年)の治世にヌビアの大臣だったアメンホテップ・ユイの墓で見つかった。死者の名前はAnkh-f-n-khonsu。サルコファガスの前面には、花やリボン、ネックレス、儀式用の顎髭とかつらをつけた彼の肖像が描かれている。

 第22王朝時代の棺なので、これが安置されていた紀元前14世紀の墓よりもだいぶ後世のものだ。玄室には Ankh-f-n-khonsuがアメン・ラーの高僧が着る伝統的なヒョウ革の衣装を身にまとって、儀式の供物を捧げている様子が描かれた葬儀の石板もあった。壁には、アメンホテプ・ユイの勢力範囲の影響を反映したヌビアの服装をした人たちが描かれていた。


2. 手つかずのままのサルコファガス


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image credit: Ancient Origins

 2015年、イタリアの考古学者たちが、盗掘を免れた2基のサルコファガスを発掘した。これらが謎に包まれていたエトルリア文明を明らかにする手がかりとなった。

 これは、ペルージア近くに住む農夫が自分の畑を耕していて偶然に2400年前の墓を掘り当てたものだ。1基は雪花石膏と大理石でできていて、男性の遺骸がおさめられていた。長い碑文と、死者の身元のヒントになる"Lars"という名前が刻まれていた。もう1基は着色された漆喰でできていたが、この脆い永眠の床は、過去のどこかの時点で崩れてしまって、死者の秘密も粉々になってしまった。

 西イタリアのトスカーナ付近で発展したエトルリア文明は、紀元前900年から500年ごろに栄えた。彼らが書法、ワイン作り、ヨーロッパ各地への道路の建設技術を伝えたが、肝心の彼ら自身のことはほとんどわかっていない。エトルリアの工芸品はめったに出土しないため、このサルコファガスの発見は重要だ。これらはエトルリアの社会政治の仕組み、習慣、宗教、特に死生観を知るうえで手がかりとなると研究者たちは考えている。


1. 顎鬚の男の謎


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image credit:Walters Art Museum

 ミイラの生前の似顔絵がついたローマ・エジプト様式のサルコファガスが、発見以来、ずっと考古学者たちの頭を悩ませている。

 紀元170~180年ごろのこの死者の肖像画は、どういうわけかずいぶん前に棺やミイラから分離されてしまい、肖像画に描かれている髭の男の身元は謎のままだ。

 ビザンティン帝国の人間のようだと言われているが、彼の少しすねたような表情が意味深で、ずっと研究者を惹きつけてやまない。色素を分析すれば、男の正体に迫ることができるかもしれないと期待されている。

 これまでのところ、およそ900体のミイラの肖像画が見つかっている。これらは紀元1世紀にローマがエジプトを占領したころから現れ始め、200年間ほど流行った。肖像画は木の板に描かれて、棺の頭がくる部分に取りつけられた。絵は自然主義的な描き方なので、研究者はこれらの類似点を比較して家族を特定しようとしている。肖像のほとんどは、ファイユームのアクロポリス(城砦)で見つかっている。

via:10 Secrets Of The Sarcophagi


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