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米国人が考察するサムライに関しての10の魅惑の事実

2013年09月04日 | 世界びっくりニュース

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 忍者、武士など、かつての日本に存在した日本固有のスピリットを持つファイターたちの生き方は彼らの興味をひきつけて止まない。

 海外人の認識では、「サムライは伝説的な兵士であり、刀を携えて勇ましい甲冑に身を包み、命がけで戦う誇り高い戦士であり、生涯にわたって厳しい規律を守り抜く。」というのが日本のサムライの姿だ。サムライについてもっといろいろなことが知りたいという知識欲も旺盛なようで、様々側面からサムライを考察した記事が米国のサイトで特集されていた。

 以下の記事は、アメリカのサイトに掲載されていた記事を抄訳したものだ。実際の日本の認識、事実とは違っている場合もあることをご了承いただきたい。

10.女性のサムライ


 "サムライ"といえば男性だと思われがちだが、日本の武士階級に属する女性には、格闘技や戦略で同じような訓練を受けた者がいるという。これらの女性は"女武芸者"と呼ばれ、男性の武士と共に戦に参加したといわれている。彼女たちが手にした武器の多くは"なぎなた"で、長い柄の先についたカーブを描く刀状の刃は応用がきき、しかも他の武器に比べて軽量だった。

 歴史書の中でこれらの女武士の存在を示す資料は一般的な武士に比べてほんの少ししかないため(日本の貴族の女性の伝統的な役割はほとんどが主婦だった)、女侍の数はごくわずかなものだろう、と考えられていた。しかし最近の調査で、戦術を身につけていた日本の女性は史実に認められている以上に数多く存在した、という結果が示された。1580年にあった千本松原の戦いの跡地の残留物をDNA鑑定した結果、105体のうち35体が女性だったという。また他の場所でも似たような調査結果が出たそうだ。

9.鎧(よろい)


 サムライの身に着ける絢爛豪華な鎧姿は奇妙に思うかもしれないが、各パーツは機能的につくられている。サムライの鎧は欧州の騎士が装うものとは異なり、常に機動性を最優先にデザインされていた。良い鎧は頑丈でなくてはならなかったが、さらに戦場で着用者が自由に動くことを可能にする十分な柔軟性も必要だった。

 鎧には革、もしくは金属の板に漆を塗ったものが使われており、革か絹の紐で丁寧に繋ぎ留められた。腕の部分は大きくて四角い肩の盾と、装甲板で覆われた袖で保護された。最大の稼動性を可能にするため右腕は袖を付けない場合もあった。鎧の中で最も奇妙、かつ複雑な装甲である"兜(かぶと)"もまたその目的を果たしている。その丸い鉢の部分には鋲を打った金属板が使われ、その一方で顔はマスク状の"面"で覆われた。

 兜の中で最もよく知られている特徴はダース・ベイダーのような首のガード部分だ。(ダース・ベイダーのデザインは実際にサムライの兜の影響を受けた)。それは刀や矢によるあらゆる角度からの攻撃から着用者を守る。

 多くの兜は顔を保護すると同時に敵の恐怖心を与えるような魔力を持つ面、口ひげなど、装飾や取外し可能な部品があるのが特徴的だ。兜の下に被る革の帽子は緩衝材として多いに役立った。鎧は非常に良くできていて、実戦に向くものだったので、実際に米陸軍の初期の近代的な対空砲火ジャケットは、サムライの鎧を参考に作られたほどだった。

8.ホモセクシャリティー


 サムライが性的な関係に対して非常におおらかだったことを知る人は少ない。戦士の育成に力を注いだスパルタ人に良く似ていたサムライは、彼らの文化のように同性間で性的な関係を持つことを受け入れただけでなく、積極的にそれらを奨励した。これらの関係は一般的に経験者のサムライと、彼に指導を受けていた若いサムライの間で築かれた。(繰り返すが、スパルタ人に非常によく似通ったものだった)

 その行為は"若衆道"として知られ(若い男性の道という意味)、そしてその階級の全員によってなされたと伝えられている。事実、若衆道の関係を築けていない場合は、むしろ大名が恥をかくといったぐらいに一般的な事だった。また若衆道はサムライの生き方の根本的な一面だとみなされていたにもかかわらず、歴史の上ではあまり触れられずに保たれた。

7.ウエスタン・サムライ


 映画"ラストサムライ"を見たことがある人なら、外国人が日本のサムライと共に戦い、しかも彼らがサムライそのものになってしまう、という特殊なケースがあることを知っているはずだ。

 この特別な名誉は、大名や将軍といった限られた有力なリーダーだけが授けることができるものだった。歴史上では冒険家のウィリアム・アダムス、彼の同僚ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、海軍士官ウージェーヌ・コラッシュ、そして武器商人エドワルド・スネルの4人が、ウエスタン・サムライとして知られている。

 彼ら4人の中で最初にサムライになったのはアダムスで、最も影響力を持ち、旗本かつ将軍の相談役として仕えた。面白いことに、トム・クルーズが演じたラストサムライのキャラクターの元となった(フレデリック・タウンゼント・ウォードとジュール・ブリュネ)人々はサムライにはなれなかったという。

6.サムライ人口


 大勢の人々(米国人)が、米海軍特殊部隊やロシアのスペツナズによく似た稀有なエリート軍隊であったか、または小規模で厳格に定義された貴族の階級だったと思っている。

 しかし、実は彼らは大きな意味での社会階級だった。そもそもサムライとは"貴族のそばに仕える人々"という意味だ。時が経つにつれ、その言葉が発展して特に中流から上級の戦士、いわゆる武士階級と結びついてしまったものなのだ。これは彼らのような屈強な戦士達が一般的に考えられているよりもかなり大勢存在した、ということを意味する。

 事実その最盛期には、武士が日本の人口の10%を占めるような時もあった。人口が多く、長期にわたり日本の歴史に影響を与えたことから、現在の日本人全員にサムライの血が流れていると言われている。
 
5.服装


 当時、サムライはいわゆるロックスターであり、彼らの装いはその時代のファッションにかなりの影響力があった。しかし、サムライは最もフォーマルな儀式の時以外、注目を集めるような立派な衣装を身につけることはなかった。

 彼らの服は凝った作りだったが、その衣装の各部には彼ら戦士として必要とする条件に沿ったデザインがなされた。サムライは素早い動作のためや旅のため、そして自由に動くための衣装を纏った。彼らの定番の服装は太い袴と着物、そして"ひたたれ"というう肩の部分を強調してあって二つに別れているベストだった。その衣装は腕を動きやすくし、また"ひたたれ"ベストは奇襲にあった場合にすぐ取り外せるものだった。

 着物の素材は涼しさや肌触り、そしてその見た目の良さから絹が一般的だった。足元は木製の下駄や草履が用いられた。また、サムライのファッションの中でもとりわけ個性的である"髷"を結う髪型も、人々の間で最もよく広まった。仏教徒を除く、全ての社会階級の人々は百年間も髷を結っていたのだ。また、部分的に剃って髷を結う習慣は、額を剃り上げると兜を被りやすくなることから必要に迫られて発達したようだ。

4.武器


 サムライは兵士として様々な武器を使用した。彼らは最初に"直刀"と呼ばれた剣を携えた。それは後に中世の騎士が用いた真っ直ぐな剣の小型版で基本的に細身だった。剣を造る技術が発達するにつれ、サムライは最終的に"刀"として発展した"反りのある剣"に乗り換えた。その"刀"はおそらく世界で最も有名な剣の型であり、サムライの持つ武器を最も良く表現するものだろう。武士道(サムライの倫理や基準)では、"サムライの魂は彼の刀にある"と定められているので、刀は"サムライが携行する最も重要な武器"になった。

 刀にはたいてい一丁の小型の刃物が添えられ、"大小"と呼ばれる対の形で携行された。それはサムライ階級専用のステータスシンボルだった。

 本当に刀以外何も持たずに戦ったサムライもいたが、多くはもっと実践的なアプローチをとった。剣は"サムライの持つ唯一の武器"などではなく、彼らは様々な武器を使用した。

 またサムライ達は大弓の練習に真面目に励んでいたので普段はその弓を使った。彼らは16世紀に火薬が持ち込まれた際に弓を捨て、鉄砲や大砲を選んだ。長距離用の武器に"種子島銃"を選んだ。火打石を利用したその銃は江戸時代にサムライや歩兵の間で人気を博した。また、大砲や他の銃器もよく用いられた。

3.教育


 サムライの階級の人々は"ただの戦士"ではなかった。サムライの大半はまるで貴族階級のようによく教育されていた。字を読めるヨーロッパ人がほとんどいなかったその当時、サムライの読み書きのレベルは非常に高かった。

 彼らは計算能力も備えていた。武士道ではサムライが戦いに無関係なものを含めた多くの芸道の腕が上達するよう、懸命に努力するよう命じた。サムライの階級が文化や芸術といった分野に参加したのはそういう事情があったからだった。詩歌や岩の庭園、墨絵、そして茶道はサムライ文化ではあたりまえで、彼らはまた書道や文芸、そして花道といった分野も学んだ。

2.身体的な特徴


 人目を引く鎧と武器はサムライを巨大に見せ、当時の世間では彼らは非常に大きく、体格ががっしりしているよう描写された。これは事実と異なっている。実際にはほとんどのサムライはとても小柄であり、16世紀のサムライはたいてい細身で身長は160cm前後だった。これに比べて同時期の欧州の騎士たちの身長は180から196cmほどだった。

 さらに高貴なサムライは、やたらと血筋にこだわることで有名な日本人が好む"純血種"だけではなかったようだ。サムライ階級に属する人々には平均的な日本人に比べると明らかに毛むくじゃらで色白なものも多かった。彼らの横顔に見られる高い鼻もヨーロッパ人のようだった。これはサムライの多くがアイヌという民族の子孫だったことを裏付けるものだ。

1.切腹(自殺の儀式)


 サムライの作法に関する最も恐ろしいものの一つに"切腹"がある("ハラキリ"としても知られる)。それはサムライが武士の道から外れたり、敵に捕まったような場合にやり遂げなくてはならない、身の毛もよだつような自殺法なのだ。

 切腹は自発的な行為にもなるし、刑罰にもなりうる。どちらにせよ、たいていは非常に立派な死に方だとみなされた。中でも知名度が高いのは"戦場"での切腹だ。それは短い刃物を胃に突き刺して自分の体を切り裂くまで左から右に動かすものであり、本来は自分の腹わたを自分で取り出す行いだった。

 この時点で、介錯人(普通はそのサムライの友人だった)が腹わたを取り出したサムライの首を斬る。斬らなければその死は非常に長く苦痛を伴うためだ。

 しかし、正式には切腹の全行程にはとてつもなく複雑な手順がある。正式な切腹は形式的な入浴から始まる長い儀式なのだ。その後サムライは白い衣を身につけ、好みの食事を渡される。死刑囚の最後の食事によく似ている。その食事を終えると、空になった皿の上に刃物が置かれる。そしてこの世に別れを告げる伝統的な詩歌である"辞世の句"を詠み、刃物を手にして周りを布で包み、切腹を行う。

 介錯人がその直後、サムライの首を斬るのだが、介錯人はその頭が前方に落ち、その身体から離れないようにするために、彼の首の前方の皮一枚を残して切らなければならない。これは彼の頭部が誤って見物人の方に転がり、切腹した者の恥にならないようにするための配慮でもあった。

via:10 Fascinating Facts About The Samurai 

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