江戸時代の医学者たちによって記録された、医学書や解剖書の人体図・解剖図です。日本で最初に人体解剖を行った山脇東洋を初め、解剖は死刑囚の遺体で行われました。
妊娠図(1860年頃)
眼科書(17世紀後半)
頭部穿孔の手術用具(1790年頃)
ドイツの解剖学者ヨハン・レムメリンの解剖書に基づいた図
火あぶりの刑に処せられた罪人2人の白骨体(1732年)
国内で初めて人体解剖を行った山脇東洋(やまわきとうよう)がまとめた『臓志』。この後、日本各地で刑死体の解剖が行われるようになります。(1754年)
山脇東洋の高弟、栗山孝庵(くりやまこうあん)による解剖図。日本で2人目となる人体解剖は、夫殺しの罪で死刑となった17歳女性の体で行われました。(1758年)
『臓志』に次ぐ日本で2番目の解剖書、河口信任(かわぐちしんにん)『解屍編』。脳、眼球の解剖は日本初。(1772年)
山脇東洋の息子である山脇東門(やまわきとうもん)らが発表した『玉砕臓図』(1774年)
骨の仕組み・機能を研究するため10数回の解剖を行った整形外科医、各務文献(かがみぶんけん)の『環神備要』などから。(1800年頃)
三雲環善(みくもかんぜん)編・吉村蘭州(よしむららんしゅう)画『施薬院解男体臓図』(1798年)
蘭方医、小石元俊の腑分け解体書(1783年)
世界で初めて麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた華岡青洲(はなおかせいしゅう)の記録(1809年
医学百科事典より包帯術。(1813年)
杉田立卿、華岡青洲、シーボルトなどに師事した幕末の水戸藩医、本間玄調(ほんま げんちょう)による『瘍科秘録』(上2枚)・『続瘍科秘録』(下8枚)より、皮膚腫瘍についての処置など。(1847年、1859年)
☆「火あぶりの刑に処せられた罪人2人の白骨体(1732年)」の絵は笑うなぁ!
妊娠図(1860年頃)
眼科書(17世紀後半)
頭部穿孔の手術用具(1790年頃)
ドイツの解剖学者ヨハン・レムメリンの解剖書に基づいた図
火あぶりの刑に処せられた罪人2人の白骨体(1732年)
国内で初めて人体解剖を行った山脇東洋(やまわきとうよう)がまとめた『臓志』。この後、日本各地で刑死体の解剖が行われるようになります。(1754年)
山脇東洋の高弟、栗山孝庵(くりやまこうあん)による解剖図。日本で2人目となる人体解剖は、夫殺しの罪で死刑となった17歳女性の体で行われました。(1758年)
『臓志』に次ぐ日本で2番目の解剖書、河口信任(かわぐちしんにん)『解屍編』。脳、眼球の解剖は日本初。(1772年)
山脇東洋の息子である山脇東門(やまわきとうもん)らが発表した『玉砕臓図』(1774年)
骨の仕組み・機能を研究するため10数回の解剖を行った整形外科医、各務文献(かがみぶんけん)の『環神備要』などから。(1800年頃)
三雲環善(みくもかんぜん)編・吉村蘭州(よしむららんしゅう)画『施薬院解男体臓図』(1798年)
蘭方医、小石元俊の腑分け解体書(1783年)
世界で初めて麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた華岡青洲(はなおかせいしゅう)の記録(1809年
医学百科事典より包帯術。(1813年)
杉田立卿、華岡青洲、シーボルトなどに師事した幕末の水戸藩医、本間玄調(ほんま げんちょう)による『瘍科秘録』(上2枚)・『続瘍科秘録』(下8枚)より、皮膚腫瘍についての処置など。(1847年、1859年)
☆「火あぶりの刑に処せられた罪人2人の白骨体(1732年)」の絵は笑うなぁ!