夕方5時過ぎ、もうすっかり暗くなっていた。コピーをするためにコンビニへ行った。中学生らしい女の子がふたりいた。車で来た中年の男に、「ねえ、タバコ買ってくれん」と大柄の方の女の子が声をかけた。中年の男は何か言って店に入っていった。「タバコは吸わんのだと」と女の子はもうひとりの女の子に言った。「チェッ」と舌打ちする。私も続いて店に入ったが、女の子から声はかからなかった。コピーをしながら外の様子を見ていると、女の子の他に、やはり中学生と思われる男の子が4人、小学生ではないかと思われる男の子が2人いた。店の横の照明が届かないところでじゃれ合っている。小柄な方の女の子は可愛い子だが、この子はタバコを吸っていた。自販機でタバコを買ってもらおうとしていたのだ。
コンビニには高校生か大学生くらいの女の子がふたりいるだけだ。万引きされても追いかけることも出来ないのではないか。店の外に出て、「君は何歳だ。18歳以下はタバコは吸えないから補導の対象になる」と注意すべきかと思った。それよりも店の女の子に、「警察に電話しなさい」と言うべきかと迷った。「余分なことはしないの!」と叱られそうだが、でも、この子たちも本当は誰かに注意してもらいたいのではないだろうか。大人の不合理で権威主義的な発言には反発しても、自分たちのことを心配してくれる人が要ることが大事なのではないか。子どもの頃の悪戯はいい気になって拡大してしまうものだ。大人の一言がきっかけとなり、収束することもあるだろう。
そんなことを思い巡らしながらコピーを終えて、店を出る頃には彼らの姿はなかった。今日は暖かいから、店の外でたむろしていられるけれど、これから寒さが厳しくなるとああいう連中はどこへ行くのだろう。夏の間は、隣の小学校の運動場から、午前零時を過ぎてもふざけ合う声がしていた。学校の先生たちは朝早く出勤して、校庭に落ちているタバコの吸殻を拾わなければならないと聞いた。避妊具が落ちていることもあると言う。再び学校崩壊の時代がやってきている。全国統一学力テストに不参加だった犬山市が、市長が変わり教育長を代えて参加となった。これで全国の自治体が参加することなり、「学力差」が話題になってきた。大阪市の市長選挙では学力向上を目指して学校長の権限強化が謳われている。しかし、学力とはいったい何を指すのか。選挙では単にテストの結果、その数値しか問題にされていない。
学校毎のテスト結果を上げるために、できない子どもを引き上げるのは時間と忍耐と工夫が要るが、できる子どもたちを引き上げる方が効率がいいことを先生たちは知っている。学校が荒れた時代に学んだ子どもたちが今、親になっている。急がし過ぎて子どもにかまっていられなかった世代、不景気で余裕を失った世代、親たちの価値観、社会の流れが子どもたちを追い込んでいる。それはいつの時代でもあったことなのだろうけれど、今はテンポが速いように思う。子どもはいつも、大人に反抗的だ。そして子どもはいつも、大人が決めた常識からはみ出すことに快感を持っている。これ見よがしに、座り込んでタバコを吸い、誰か止めてよと叫んでいるのだろう。