友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

NHKテレビドラマ『蝶々夫人』

2011年11月21日 20時51分14秒 | Weblog

 土曜日の夜、NHKテレビで宮崎あおいさん主演の『蝶々夫人』を観た。蝶々さんがアメリカ海軍の士官と結婚するが、士官は本国へ帰ってしまうという物語はなんとなく知っていた。プッチーニのオペラで大筋を知っているというだけで、しかもオペラも観たわけではなく、テレビで部分的に垣間見たように思う。だからこそちゃんと観ておきたかった。

 

 全く余談だけれど、NHKはお金が余っているのではないかと思った。このドラマは長崎放送局の製作だという。そういえば、以前に岐阜放送局や名古屋放送局の製作ドラマというものがあった。地方色を出したいということなのだろうけれど、そんなに各放送局毎に製作する必要があるとは思えないし、放送局の数が多すぎる。我が家がNHKに支払っている受信料は年間2万6千180円だが、全国から集まる受信料はどのくらいあるのだろう。

 

 舞台は明治始めの長崎で、蝶々さんは隣の佐賀県から遊郭の跡取りとして養女に来た。重要なのは彼女が武士の娘であるということだろう。家には父親はいなくて、祖母と母の3人暮らしだ。その祖母と母も彼女が幼い時に死んでしまう。死んだ祖母は蝶々に武家の娘が自害する作法を教えている。そして彼女が肌身離さず持っているのは、懐剣と鍋島藩(佐賀県)の藩士が書いた武士道の鑑といわれた『葉隠』、そして豊前中津藩(大分県)出身の福沢諭吉が書いた『学問ノススメ』である。さらに幼友達に隠れキリシタンがいる。これだけ材料が揃えば、蝶々さんのこれからの人生が見えてくる。『学問ノススメ』は「天ハ人ノ上ニ人ヲツクラズ。人ノ下ニ人ヲツクラズ」ではじまり、新しい時代を明示しているが、ドラマは『葉隠』を下敷きにしている。

 

 オペラ『蝶々夫人』は、アメリカ人が書いた小説をもとに戯曲化された芝居を観たプッチーニが作り上げたものだ。原作にどう書かれているか知らないけれど、物語の結末に自害を持ってくることで、恋の成就させているのだろう。「ロミオとジュリエット」のように、恋は悲劇の方がより大きな感動を呼ぶものだ。先週はまだ物語の序盤で、蝶々さんとピンカートンは出会っていない。今週末がクライマックスとなるのだがどんな展開になるのか楽しみだ。

 

 それにしても、これも全く余談だけれど、『葉隠』は武士道の鑑と言われ、先の戦争でも多くの若者に読まれたというけれど本当だろうか。私が『葉隠』で知っているのは、「武士道とは死ぬことなり」とか、赤穂浪士はなぜ討ち入りを果たした後ですぐに自害しなかったのかという不満が書かれていることくらいだ。武士は兵士なのだから、戦争がなくなった太平の世では存在する意味がない。戦いで手柄を立てて出世するという目的もなくなった。現状を維持するために、上に忠義を尽くすことのみが求められた。それを『葉隠』は武士道と称えたのだろう。太平の世だったからこそ生まれた考え方だった。

 

 明治初期には「長崎結婚」といって、男たちが日本にいる間だけ外国人と結婚する日本女性がいた。これは本当かどうか分からないけれど、蝶々さんのように夫が裏切ったと自害した女性はいなかったという人もいる。しかし、それでは物語にならないので、東洋の武士なるものの哀れと潔さを表したかったのだろう。

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