友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どうして泣けてしまったのか

2011年11月30日 20時43分16秒 | Weblog

 暖かい日だった。こんな日に室内で報告書作りではもったいないと思い、朝9時から夕方4時まで、ぶっ通しで作業をした。午後2時に一段落した時、トーストを焼いてハムと卵のサンドイッチを作って食べた。自分でも不思議に思うけれど、誰とも話さずただ黙々と小さなスコップで仕事をしていく。今朝、大き目の鉢に入れておいたミミズが何匹か逃げ出して、バルコニーの床の上をヨタヨタと這っていた。鉢を見ると、死んでいるミミズもいる。どうしてなのだろう、容量オーバーに詰め込んでしまったのだろうか。鉢の土の入れ替えを早く完了しないといけない、そんなことを思いながら作業をしていた。

 

 黙々と手を動かすだけの一日。無心という言葉がピッタリだ。いろいろと考えているのに、何も考えていない。何も考えていないのに、何かを考えている。校庭から聞こえてくる子どもたちの声、車の警笛、時々聞こえる救急車の音、鳥の声、ヘリコプターの音、廃品回収の呼び声、私が動かすスコップの音、聞こえるが聞いていない。一期一会は禅の言葉だったが、「逢うてわかれて、わかれて逢うて、末は野の風秋の風」という小唄を思い出した。吹く風のままに秋の草の穂が別れと出会いを繰り返すが、同じ出会いは決して二度と無いという切ない恋の歌である。

 

 どうしてこんなことを思い出したのだろう。昨晩、NHK歌謡ショーで恥ずかしいけれど泣いてしまった。島津亜矢さんが歌う歌謡浪曲「俵屋玄蕃」を聞いていたら、なぜか涙があふれてきた。俵屋玄蕃は槍の使い手で、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたと知って駆けつける浪人。大石内蔵助に助太刀を申し入れるが断られ、それなら吉良に加勢する者を阻止しようと橋を死守する。そんな元禄時代の浪人の「作り話」になぜ涙を流してしまったのだろう。

 

 この歌は昔、三波春夫さんが歌っていた。その時は別に涙を流したことはなかった。だから年齢のせいだと思う。私は人殺しを認めないので、たとえどんな大義があったとしても、それを喜んだり誇りに思うことはない。それなのに、討ち入りに涙するとはどういうことなのかと自分の感情を考えた。思い当たることはただひとつ、何かを成すということ。赤穂浪士はたとえどんな動機であったとしても、討ち入りの目的を果たした。俵屋玄蕃は理由がどこにあったとしても、赤穂浪士に共感し行動を共にした。

 

 馬鹿な男のくだらない見栄じゃーないかと言われてしまえばそのとおりだ。そんな風に人の命を軽く扱って欲しくない。もっと、立派な人はいくらでもいる。津波の危険を知らせようと、自分の家に火を付けた人もいる。赤穂浪士はただ自分たちのことしか考えていない。それでも、苦節に耐えて、ことを成した。成し遂げるものがあって幸せだなと思った。果たして自分は何を成したのだろう。そう思うと涙が流れてきたのだった。

 

 夕方4時過ぎに作業を終えると、膝は痛い、腰は痛い、両手が痛い。なんとなく胸も息苦しい。血圧を測ってみるが普通だった。しかし、脈拍数が低い。中学からの友だちと同じだ。自分の終末は彼と同じ運命なのかと思い、まあそれもいいかと思った。

 「しばらくは会わないほうがいいと言い 赤い葉落ちて樹木ただ立つ」

コメント
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