友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

否定的なことを言っても仕方ないよ

2009年09月24日 21時39分07秒 | Weblog
 眠い。22日と23日は井戸掘り。濃尾平野の真っ只中だ。水が出ないとは全く思いもしなかった。22日の朝、現地に到着。依頼主が「ここでどうだろう」と言った場所をまずスコップで掘り始める。畑だったというだけに、石やガラクタの無いキレイな畑土だった。これなら問題なく掘り進めることが出来る。そう確信した。1メートルほど掘って、次に今度は塩ビ管を立てて、上からポンプを使って水を流し込むと同時に塩ビ管を回して掘り進める。

 どんどんと掘れる。5メートル、6メートルと進んでいく。そこでちょっと不安になった。これまでは5メートルも掘れば水脈にぶつかり、流し込んだ水が水脈の方に引っ張られ、塩ビ管はそれから下がらなくなる。それがどんどんと、まるで水に杭を打ち込むように入っていく。7メートル。この辺が限界じゃないのか。この辺りなら6メートルで水が出るはずなのに、掘りすぎたのではないのか。そんな不安がよぎる。

 9.5メートル。えっ、そんなに入ったのか。じゃあ、一度ここらで水を汲み出してみよう。ポンプで水を吸い上げるけれど、ほんのわずかな水しか出てこない。朝早くから初めて、夕方の5時近くになっていた。ダメだ。今日は諦めようということになった。依頼主さんは「一日でも早くやって欲しい」と言う。それではと続けて昨日の23日、同じところで位置を変えて掘ることにした。状況は全く同じだった。地表1.5メートルくらいは良質の畑土で、その下からは掘っても掘っても灰色の砂だ。それも上の方はきめ細かく、下の方がやや粗い。

 これまでの経験だと、灰色の砂に黒っぽい粗い砂が混じってくると水脈にぶつかることが多い。ところが今回も、稲沢で掘った時と同様で、どこまで掘っても灰色の砂が出てくる。こういう時の井戸堀りはどうするのだろう。2日間も同じ状態の失敗が続くと、あんなに冗談ばかり言い合って仕事をしてきたのに、とうとう2日目の最後は誰もが無口になってしまう。無口ならまだいいけれど、「どこを掘っても一緒だ」とか「ここには水脈が無い」とか、挙句に「やってもムダじゃないか」と言い出す者もいる。

 「そんなに否定的なことばかり言っていても仕方ないから、やれることはなんでもやってみようよ」。そう言うのが私の役割だ。「お祓いしなきゃー、遺憾」と言う人もいる。そう、みんなでいっぱい飲んで意気消沈した気持ちをふっ飛ばしたい。けれど、やはり、それはどこかで成功してからにしたい。愚痴ばかり言い合ってもつまらない。うまくいけば、馬鹿話であっても気持ちがいい。

 さて、もう一度、27日に稲沢で掘る。この時に何かヒントが得られないかと願っている。成功しないと同じように努力をしていてもなぜかどっと疲れが増す気がする。肉体のあちこちが痛いけれど、これも成功すればケロッとしてしまうから人間は不思議な生き物だ。家にいればすぐにウトウトしたくなるのに、外にいると眠くなることが無い。好きなことに夢中になっていると時間の過ぎるのも忘れている。本当に不思議だ。
コメント
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