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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

太宰治の『カチカチ山』を観る

2009年09月17日 23時13分04秒 | Weblog
 今年は太宰治の生誕100年ということで、書店には太宰の作品が新しいカバーで置かれているし、映画も上映されるようだ。“爆笑問題”の太田光さんが編集した(?)新潮社の『人間失格ではない太宰治』に、松たか子さん主演の『ヴィヨンの妻』が平成21年秋に公開されるとあった。待てどもなかなかそれが話題とならない。そう思っていたら、映画『ヴィヨンの妻』は10月10日より全国東宝系にて公開予定というニュースをパソコンで見つけた。

 「本作は太宰治原作の短編『ヴィヨンの妻』をベースに、「きりぎりす」「桜桃」などの太宰作品のエッセンスを絶妙なバランスでミックスさせた夫婦の物語。松たか子の演技はもちろんのこと、昭和20年代の混沌とした雰囲気を見事に再現した美術にも注目」とあった。『ヴィヨンの妻』は太宰自身がモデルなのだろう調子のいい作家の妻が主人公で、おそらく作家は人を騙すつもりはないのだけれど結果的には騙してしまうという、どうしようもない男だ。その妻を松たか子が演じるようだ。

 小説では確か、けなげな女性でとにかく夫を助けようと必死に働く。夫のファンという若い男が訪ねて来て、玄関の式台でもいいから寝かせてくれと頼む。破れた座布団を2枚持っていくと、男はすぐに寝入ってしまった。「さうして、その翌る日のあけがた、私は、あつけなくその男の手にいれられました。」とある。昔、読んだ時はその意味がよくわからずに飛ばしていた。小説はこの後、「その日も私は、うわべは、やはり同じ様に、坊やを背負って、お店の勤めに出かけました。」とある。

 お店で夫は酒を飲みながら新聞を読んでいる。夫が「新聞は自分のことを人なんて書いている」と言い、「人でないから、あんな事(他人の金を持ち出したこと)もしでかしのです」と続ける。すると女房は「人でもいいぢやないの。わたしたちは、生きてゐさへすればいいのよ」と言う。この辺に太宰の生き方が見える。ヴィヨンはフランスの詩人で、近代詩の先駆者と言われているが、高い学識を持ちながら悪事を尽くし、逃亡、入獄、放浪の生涯を送った人。東大の仏文科に入学した太宰だから、ヴィヨンを知り、そんな生き方に憧れたのかも知れない。

 映画『人間失格』も近々、公開されるようだが、こちらも楽しみだ。今晩は、太宰治のおとぎ話『カチカチ山』を題材にした名演の例会で、人形劇団プークによる人形芝居を観る。果たしてどんな芝居になるのかと楽しみにしている。太宰の『カチカチ山』では、タヌキが中年男でウサギが若い女性という設定だった。タヌキはウサギが恋しくてたまらないのに、ウサギはタヌキが憎くて仕方がない。そんなお話になっていた。

 戦争中は多くの小説家が従軍作家として活躍していたが、太宰は従軍せずにこんなおとぎ話を何遍か作っている。女の人がいなくては生きていけなかった太宰だ。とても戦争協力など出来る男ではなかったのだと思う。
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