ノーベル文学賞が中国の作家、莫言氏に決まったのに続いて、ノーベル平和賞がEU(欧州連合)に贈られることになった。ノーベル賞という表彰の機構が、それゆえに政治的に働いたわけである。純粋にいろいろと評価して、毎年どこかに賞を贈っているようでも、そこには政治的な思惑が当然ながら存在する。私は莫言氏の作品を読んだことがないので、どんな人なのかと関心を持っていたが、記者会見で昨年度の平和賞の受賞者となった中国の人権活動家、劉暁波氏の「出来るだけ早く自由を得ることを望む」と発言しているのを新聞で知って、ずいぶん根性のある人だと思った。
劉暁波氏は現在、国家政権転覆扇動罪で服役中である。中国政府から睨まれることを覚悟しての発言だろう。中国人の中にもこうした人が出てくるようになった。政権は共産党が独裁支配していても、社会は資本主義なのだから、いずれ共産党政権は終末を迎えるだろう。中国政府は日本の民主党政権と同じで、いかに政権の座に少しでも長く居続けるかと四苦八苦している。会社でもあるいは何かの組織でも、トップの座にある者(たち)は既にその座を占めるにはふさわしくないにもかかわらず、潔く退くような者(たち)はいない。
時代が次のステップへと進んだのではないか、そう思わせてくれたのはEUだった。ヨーロッパは長い間争いを繰り返してきた。取ったり取られたり、殺したり殺されたり、平和な時の方が少ないほど紛争を続けてきた。ヨーロッパを1つの国にしようと連合をつくり、通貨も統一してさらに連合国家へと速度を速めようとしてきた。ところがギリシアに始まった欧州財政危機で雲行きが怪しくなってきた。財政に余力のあるドイツが中心となってこの危機を乗り越えようとしているが、当のギリシア国民はドイツに「出て行け」とデモしている。ドイツ国民の中には「怠け者のギリシアのために税金を注入することに反対」する空気も生まれている。
せっかく1つの国をつくり、平和な時代を建設する糸口に立ちながら、まだ、それぞれの国の利益が優先されている。中国で日本企業への暴力行為が爆発し、欧州の企業は中国への進出をさらに進める機会と考えているだろう。日本のお菓子メーカーが中東に店舗を構える。欧州の家具や服飾が日本の銀座で売られている。資本主義社会では物品は国境を越えていく。物品ばかりか資本も国境などどうでもいいのだ。アメリカでお土産を買ったら、中国製だったということはよくある。韓国の会社だと思ったらアメリカ資本だった。技術もそうだ。アメリカを見習っていた日本の自動車はアメリカを追い越した。韓国や台湾の液晶テレビは日本を追い越した。
EUに贈られたノーベル平和賞の賞金は、欧州債務危機の影響で今回から20%減額となり、9千4百万円だそうだ。とても欧州財政危機を救うことが出来る金額ではないけれど、国家の連合という形へ進む方向を多くの人々が支持していることは確かだろう。1歩前に進むためには何が必要なのだろう。
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