桜が咲き始め、満開になった所もあるようだ。マンションの中庭の桜もかなり咲いて来た。桜を写そうと思ったが、スマホからパソコンに送れない。孫娘が来るのを待つしかないと思っていたが、スマホの取扱店に行って聞けばいいのではと気が付いた。
けれど、今日は冬に戻ったように寒い。急ぐことは無いから、今度、都合の良い時に行ってみよう。家に籠ってテレビばかり見ていると、世界は終末に向かっている気になる。山火事は日本ばかりか韓国でも大規模に発生している。
今度はビルマで大きな地震が起き、隣りのタイでも建設中の高層ビルが崩壊した。テレビ映像で観ると、どこの街にも高い建物があり、車が走り、市中は賑わている。人々の服装も大差ないような暮らしぶりだ。暮しは確かに豊かになっている。
けれど、紛争は絶えないし、自然災害は頻発している。紛争は人間が起こしているから、「止めよう」と言えば無くなる。トランプ大統領は救世主となろうとしているが、ガザもウクライナも停戦合意が生まれては消えている。
生活を破壊し、命を奪っているのに、なぜ、紛争は無くならないのだろう。紛争したい人が居るとは思えないが、無くならないのは戦争したい人が「居る」からだろう。戦地に行ったことが無い、殺戮を目の前で見たことが無い人なのだ。
世界中で起きる自然災害を止めることは、人間には出来ない。災害に備えよと言うけれど、ただの気休めに過ぎない。何もしないよりマシという自己弁護である。地球の温暖化は人間が生み出したものだが、地震や噴火は地球の活動によるものだ。
「今度の水曜日、どこかへ桜見に行かない」とカミさんは言う。天気予報を見たら、雨模様である。桜は諦めて映画でもと思うが、どこでどんな映画が上映されているのか調べなくてはならない。面倒だなと思うのは乗り気で無いってことか。
明日から4月というのに、嬉しい気持ちが湧いて来ない。きっと天候のせいなのだろう。満開の桜を眺めれば、気分も変わることだろう。
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