小3の孫娘はまたひと回り大きくなっていた。6月に会ったばかりだから、身体がというより、雰囲気がということだろう。何を最初に食べたのか、見逃してしまったが、相変わらずよく食べた。以前なら話題が自分に関係なくなると、すねて向かせようとしたが、もちろんそういう時もまだあるが、強引さは無くなった。話題が大人の題目になると、さっさと北の部屋に行ってしまう。
大学で経済学を専攻した長女のダンナは、「自由経済と自由恋愛は、勝者と敗者を生み出すシステムです」と言う。「昔なら、どんなにブスな女でも男でも、上から命令されて結婚したから、結婚できない人はいなかった。しかし今は、自由恋愛のせいで選り好みするから、結婚できない人が生まれてしまう」と持論を展開する。
自由こそ最大の権利と、人類は近代化の中で勝ち取ってきた。その結果が「勝者と敗者」を生み出してきたとの指摘は正しいと思う。「努力する者は報われる」資本主義初期から、今日のような成熟した時代になると、「シンデレラ」に誰でもなれる訳では無くなった。「自由」に生きることすら難しくなった。イジメやパワハラ・セクハラと絶えることがない。
残り少なくなった老人たちが「愛」を求めて彷徨っている。親切にしてくれた受付の女性の家にまで押しかけてみたり、エロ映画館に行ってはみたが老人ばかりで気分が悪くなったり、そうかと言って再び「青春」に戻る可能性はゼロだ。「勝者・敗者」というのもまだ先があるからで、先のない老人は全員が「敗者」である。そうか、人生の最後に皆、「平等」が保証されているのか。
ひとりになった小3の孫娘が北の部屋で必ず行うことがある。書棚の一番上にある黒い表紙の分厚い「聖書」を、よじ登って取り出してくる。なぜ「聖書」が、それほど彼女を引き付けるのか分からないが、多分「一番立派な本」なのだろう。その中身にまで関心がゆくのはまだ先のようだ。
猛暑が続く中、大学の先生夫妻から、「別荘に来ませんか」と誘って頂いた。暑さを逃れて別荘のがある蓼科高原に明日から行くので、ブログは2日間休みます。
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