友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人の気持ちを汲むことは難しい

2018年12月10日 17時21分21秒 | Weblog

 朝、とても寒かった。窓から雪を被った伊吹山が見えた。伊吹山から北の白山連峰もすっかり雪山になっている。昨日、帰る時、底冷えする寒さだったから、いよいよ本格的な冬の到来を感じた。寒さはなぜか寂しさを伴う。人の温かさを求めてしまう。

 仙台の4歳の孫娘は、朝方はお絵かきタイムだったのに、「やめた」と席を立ってしまったらしい。次女は完璧主義者なので、「そんなにすぐに諦めてどうするの。ちゃんと描かないとパパちゃんやママちゃんが悲しむよ」とか、「やめるなら、お道具をキチンと片付けなさい」とか、厳しいことを言ってないだろうか。

 あるいは描いている絵を見て、「何描いているの?」とか、「もっときれいに描きなさい」とか、注文を付けたのではないだろうか。ぐちゃぐちゃに描いた絵でも、「よく描けているわね」と言ってもらえればやる気も出るし、例え途中で止めたとしても、諦めの早いのは決断力が高いと評価すれば、4歳の孫娘も母親に受け入れられて安堵したことだろう。

 人の気持ちを汲むことは難しい。子どもは全面的に親に依存してしか生きられない。歳を重ねてくると、どういう訳か頑固になり、相手を非難することはあっても自分から折れるようなことはない。NHK大河ドラマ『西郷どん』が来週で終わるが、なにかしっくりこないドラマだった。「新しい時代をつくる」と言う、江戸幕府の滅亡は外様大名の戦闘勝利だった。

 けれど、明治政府の実権を握ったのは外様大名ではなく、下級武士たちであった。なぜ、そうなったのかがドラマから分からない。なぜ西郷が討幕の総大将になったのか、そういう場面があったのか知れないが、2度ほど見忘れてしまったためか、分からない。明治政府の中枢を長州藩の下級武士が占めていったのはこのドラマの後になるのだろうか。

 政権を変えることは並大抵のことではないだろう。立憲民主党が政権の座に就くことはまだまだ先のことだろう。人の気持ちを汲むためには、自分が高みに居ては出来ないだろう。自分をさらけ出して欲しいと思う。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 立憲民主のタウンミーティング | トップ | 『マチネの終わりに』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事