山椒の木に小さな虫がいる。まだ黒っぽいまだら模様のあるアゲハチョウの幼虫だ。「山椒の葉がみんな食べられちゃう」とカミさんが言うので、葉ごと切ってミカンの樹に移した。ところがあまり小さいうちに移したためか、あるいは台風の風のせいか、いくら探しても見当たらない。悪いことをしたと後悔した。それで2匹目を見つけた時は、もう少し大きくなり、幼虫が緑色になったら移動させるからと、葉を食べられても我慢してもらった。
今朝、幼虫を見たら緑色になっていて体長も4センチ近くある。そっと葉ごと切ってミカンの葉に移した。しばらく見ていたが全く動かない。まだ、早かったのだろうか。そう思って3時間後に見に行くと、すでにミカンの葉の上に移動していた。「よしよし、ここでいっぱい食べてサナギになるんだよ」と声をかけた。地上30メートルのルーフバルコニーにもアゲハチョウをはじめ、いろんな昆虫が飛んでくる。
デュランタの紫色の花にはクマバチが飛んでくる。クマバチは他の花には目もくれず、ひたすらデュランタの花の蜜を集めている。そう言えば、フジ棚にもクマバチガよく飛んできていた。クマバチには紫色しか見えないのだろうか。昆虫は名前のついているものだけでも100万種もあるという。そのほとんどが飛翔し、変態する。そして、その一生は極めて短い。アゲハチョウの幼虫もこの時期のものはすぐにサナギになり羽化して舞い上げるが、越冬はしない。
この短い間に相手を探し、交尾し、やがて死んでしまう。相手が見つからなかったらどうなるのだろうと心配になる。それにオス・メスはどのように区別されているのだろうとも思う。優雅に舞うチョウなのに、余りにも儚い。きっと生きている間は、素敵な相手を求めて必死に飛んでいるのだろう。いや、素敵なというのは人間の思いであって、チョウにすれば誰でもいいのかも知れない。
アリのように女王アリと同じメスなのに子どもを産むこともなく、女王アリが産んだ子の世話をして一生終わるものもいる。アリはそのことを不満に思うことはない。本能を退化させてきた人間だけが、幸せとか不幸とかを感じる厄介な生き物だが、それが宿命である以上仕方あるまい。
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