友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

信頼

2012年02月29日 19時14分52秒 | Weblog

 今日はあまりの日である。4年に1回、366日を設けて時間のズレを調整する。おかげで、日時を表す器具も調整しなくてはならない。余分の日なのだから、それにふさわしい余分なことを書こうと思ったのに見当たらない。同年で集まると、誰それが亡くなったとか、葬儀にいくらかかるとか、98歳の義母を20年も介護していて、自分たちの老後の蓄えを使い果たしてしまったとか、現実の厳しい話ばかりで楽しい話はひとつも聞かない。

 

 私の知り合いで80歳になる先輩は、まだ大学生と時に兄を亡くした。兄嫁に同情するうちに好きになり、肉体関係へと進んだ。そこで兄嫁と結婚したいと両親に申し入れたけれど、反対されて引き裂かれた。また、75歳になる先輩は40代の頃、アメリカで単身赴任の生活を送っていた。仲良くなった白人女性と時々ベッドを共にするようになった。ある日、日本にいるはずのカミさんがふたりの前に現れ、以来カミさんには頭が上がらなくなってしまった。こういう人間臭い話の方が面白いけれど、こんな話が聞けるようになるには信頼が必要である。

 

 東京電力の福島原発事故について、民間レベルで事故調査報告書が話題になっている。民主党政権にとって初めての原発事故だから、「泥縄式対応」と批判されて当然だろう。日本の官僚は優れていると私は思っていたけれど、どうもそうではないらしいことが露呈している。これでは自民党政権下であっても同じ結果だったと思う。原発事故が起きた時に、誰が誰に報告し、誰がどう指示を出すのか、きっとマニュアルはあったはずなのに、官僚の誰もそれを伝えることが出来なかった。

 

 指揮系統が把握されていないから、菅直人首相は焦り、ひとり息巻いて怒鳴り散らしていたのだろう。首相の怒鳴り声に対して誰も的確に対応できなかったのに、ひたすら菅直人さんの個人的な資質の問題にしてしまっていいのかと思う。確かに、上に立つ者が立派であれば問題なくもう少しうまく運んだのかも知れないが、どのような人物であっても最良の結果に持っていくのが官僚の役割である。ところが事故についての会議録が作られていないという。このことからも官僚機構そのものが機能していないことを曝け出している。

 

 この民間レベルの事故調査団が東京電力に聞き取りをしたいと申し入れたところ、東電はこれを拒否している。官僚以上に官僚的な体質である。原発のことは自分たちが一番よく知っていると思っているのだろう。けれども、事故が起きてしまった時点で、原因の発祥元である。誰から何を聞かれようと正直に答える義務があるのに、それが理解できない点も官僚の発想である。官僚も東電も信頼は皆無である。

 

 山口県光市の親子殺人事件で、被害者の夫は当初、「自分の手で殺してやりたい」と言っていたけれど、最高裁の判決が出た日は、「もう一度チャンスを与えることが社会正義なのか、命をもって罪の償いをさせることが正しいのか、その答えはない」と話していた。あれだけ被害者の家族の権利を強く主張していたので、この人はもう結婚しないだろうと思っていたけれど、同僚の女性と結婚していたという。これを知って、だからこんな発言に変わったのだと思った。結婚した女性との信頼が彼を優しい男に変えたのだ。

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