人は誰でも自分を弁護する。初めから間違ったことをやる人はいない。わざと間違ったことをするのは詐欺師で、普通の人は真面目に生きている。それでも時々、朝令暮改のような人に出会う時もある。私が昔仕えた上司は、朝に言っていたことが昼からは正反対になり、困ることが多かった。「朝はこう言われましたけど」と言っても聞く耳を持たず、「言ったことをちゃんとやりなさい」と言われる。仕方がないのでその通りにすれば、当然ながらうまくいかなくて、「やり方が悪い」とか、挙句の果てに「(朝に言ったように)やり直せ」と言う。
人前で話すことを得意としていた人だったが、「以前はこう言ってみえました」と指摘すると、機嫌がよければ「そうか、そんなことを言っていたか」と認めるけれど、ご機嫌斜めの時なら、「言うわけない。いい加減なことを言うな」とかんしゃく玉が破裂してしまう。普通の人は自分が以前に言ったことを全部覚えていなくても、全く違う考えとか、全く違う価値観とか、大きくずれるということはないように思う。しかし、この人は受けの好いことをしゃべる癖だったので、自分が何を話したのかについては無頓着だった。だから、平気で嘘をついていても、自分では気付いていないし、気付こうともしなかった。
他人のことをいつも悪く言う人は、言う相手によって言葉を変える。Aさんの前ではBさんの悪口を言い、Bさんの前ではAさんの悪口を言う。時にはAさんが、時にはBさんが悪者となり、自分はいつも正しいとなる。長い間付き合えば、そう言う人が一番悪いと気付くけれど、初めて聞く人ならそこまでは分からない。悪意に満ちて、AさんやBさんを蹴落とそうとしているというよりも、自分が正しいことを伝えたいために話すから、こういう人は始末が悪い。
わざわざ間違ったことを言う人は詐欺師だけれど、意図してそう言う人もいる。妻子があり社会的な地位もある彼は、自分の娘と同じくらいの女性に恋をしていた。女性の方は離婚していたから、彼がその気になれば、彼が求めれば、女性は受け入れただろう。しかし、彼は心臓を患っていた。日毎に老いていく自分を鏡で見るたびに、彼女の元を去らなければならないと思うようになっていった。そこで彼は嘘をつく。彼女から連絡が来ても、「その日は都合が悪い」を繰り返し、次第にその間隔が開くようになって、とうとう彼女から何の連絡も来なくなった。
自分の欲のために、いつまでも嘘を重ねる人もいるが、彼のように相手のためにわざと気持ちとは反対の行為をする人もいる。彼の行為は相手を思ってのことだけれど、それが正しいか否かは別のことだ。非常識で不道徳でも幸福ということはある。昔、キリスト教の教会に通っていた頃、聖書に書かれていることは正しいかどうかと悩んだ。正しいけれど、湖の上を歩けるわけは無いし、難病の人がその場で治るのも信じがたい。事実を真実と認めることは出来なかった。しかし今なら、事実と真実は違うと考えられる。
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