友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

約束が守られていない

2010年01月23日 00時59分13秒 | Weblog
今朝の国会中継で、自民党議員から鳩山イジメの質問を行なっていた。自民党議員は「基礎的なことですが」と前置きして、「確定申告は何日から何日までですか?国民年金の金額は?」と質され、お金持ちのお坊ちゃまは困っていた。こんなことも知らないのか!ということなのだろうけれど、実際は誰も正確に答えられないのではないだろうか。さらに「朝三暮四の意味はご存知ですか?」ときた。入学試験でもあるまいし、こういう質問をすること事態が失礼なことだと私は思う。

「終わりよければ全てよしを英語で言ってください」と質問されて、スラスラ答えられる大臣がどれくらいいるだろう。鳩山さんや麻生さんは英語が得意だからよいかも知れないが、不得手の人もいるはずだ。語彙の意味を聞きたいわけではないはずだから、そんな失礼な聞き方はすべきではない。鳩山さんは発言がコロコロ変わると批判されていると思っているから、「朝三暮四」と「朝令暮改」とを混ぜたような答えをしてしまっていた。

「約束が全然守られていない」と自民党議員は鳩山さんを批判する。これもおかしなことだと思う。自民党は「約束」の内容がダメだと言ってきたのではなかったのか。守られていないと非難することは、約束が正しいということになる。約束が実行されていないのは結構なことだが、その約束の中身が間違っているという展開でなければ、野党としての自民党の質問にはなっていかないと思う。

 約束を守るということは、きっと人間が生まれて以来の難問かもしれない。最初の人間であるアダムとイヴも神との約束を破って「禁断のりんご」を食べてしまった。そんな馬鹿なこと、ではなくこの話は、人間は誕生した時から「約束を守れない」存在だったことを意味していないだろうか。だから、キリスト教では「原罪」という考え方をする。「人は誰もが生まれた時から罪人なのだ。罪を認めることで、無心になれる。神を認める心になれる」。

 釈迦も孔子も人間は弱いもので、だからこそ人は他人を信じ、人としての道を歩まなくてはならないと説いた。キリスト教では、自然に対して人は無力であることを認め、あれ!気がついたら12時を回っていた。じゃー失敬するとばかりに席をはずしたけれど、しかし、こんな風の分かれ方でいいのだろうかと思えてきた。どんなにお金持ちであろうとも、どんな収支の報告であろうと、これは確かめるほかにはないと思っていた。けれども、‥‥

 酔っ払ってパソコンに向かっているうちにとっくに時間は午前1時になろうとしている。私が眠っていたのか、パソコンが勝手に動いていたのか、不思議な世界がここにある。
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