友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

迎えはいつくるのかと考えてしまう

2021年04月17日 18時09分41秒 | Weblog

 毎日家に居て、本を読んでいるかテレビを見ている。テレビも面白いものがなくて、カミさんに合わせているだけだ。だから、天気の良い日はルーフバルコニーに出て、花の手入れをしたりして気を紛らわせる。

 本は小説でも読めばいいのに、このところ昔を追憶するものばかりが続いている。「どうしてなのか」と分かる訳がないのに、振り返ってみたくなっている。60年安保の時に活躍し、その後保守の論客となった西部邁、鬼の動労を作り上げたのに国鉄改革に協力した松崎明、革命家の道を歩き続けた荒岱介。

 今日は、三島由紀夫と共に自刃した森田必勝を読んでいる。森田も荒も1945年生まれで、荒は1965年に、森田は1966年に早稲田大学に入学している。既に早稲田大学は新左翼や民青が学園を支配していて、小競り合いが絶えなかったらしい。森田は新左翼の横暴に腹を立て、民族派の仲間入りをしていく。

 荒は、京都大の塩見孝也のオルグを受け入れ、ブンドの活動家になった。筆者の視点で人物の評価も全く違う。労働運動で先鋭的で過激な活動を展開した動労の松崎を傍で支えてきた四茂野修著の『評伝・松崎明』と、JRを支配した暴力と抗争を記した牧久著の『暴君』は、その典型だろう。

 人はどこで誰に出会ったかで、その人生が決まるようだ。私は昨日で77歳になった。何もすることが無いのは幸せなのだろうが、反面で虚しい。迎えはいつなのかと考えてしまう。

コメント (3)
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