コロナ禍で世界中が慌てふためいている時に、新型コロナウイルスの変異種が見つかっている。ウイルスは生存を続けるために、自らの遺伝子を組み替えると研究者は言う。地球が生まれた時から、原子の総量が変わらないのであれば、何が死んで何が生まれても、全体としては変わらないということなのだろう。
釈迦は「輪廻転生」と言った。「人は死んでもまた生まれ変わるんだよ。例えば、人になる人もいれば花になる人もいる」と母は言っていたが、釈迦はあらゆるものが生まれて死んでいくが、決して無くならないと見ていたのではないかと私は解釈している。世の中は絶えず変化していくが、地球から見たら何も変わっていないのだろう。
自分は何のために生きているのだろうと子どもの頃に思った。人には役目があるはずと探し回った。本も読んだし、キリスト教会にも通った。どんなに考えても、過去は取り戻せないし、未来のことは分からない。分かっているのは、今、生きていることだけだ。生きている今を充分に生きる他無いのだ。誠実に生きようが、欲望を求めようが、自分の人生は自分でしか生きられない。
カミさんが録画しておいた『鬼滅の刃』と、続けて『天気の子』を再生して見せてくれた。共にアニメでなければとても描けない作品だが、方向は全く違う。奇想天外なストーリーは共通しているが、『天気の子』はあるかも知れないと思わせる。「愛すること」「必要とすること」が、どんな困難も乗り越えてしまう。年寄りが泣くのはみっともないが、見終わった時は「よかったね」と涙が溢れた。