鉢植えのツバキの根元で、ツユクサが大きく伸びてきた。花の苗を買った鉢に種があったのか、いつの間にか大きくなり、私は面白がって放っておいた。次の年にはさらに増え、ツバキやキンモクセイやツツジの鉢でも見られるようになった。余りに増えるので、今年はツバキの鉢以外は見つけ次第抜いている。
ツユクサは可憐な青い小さな花を咲かせる。友だちが「父の好きな花」と言っていたので、絶やすことは気が引ける。マンションの庭に移植してみたが、今は1本も見当たらない。毎年、住民による草取りが行われ、ツユクサもドクダミもむしり取られてしまう。リーダーの高齢の女性に、「残してもいいのでは」と言ってみたが、「増えて困る」と一蹴された。
今年はコロナ禍で草取りが中止になった。おかげで、一面にドクダミが白い花を咲かせている。今日は雨降りで花が小さく見えるが、雨の降っていない時は十字架のような形が大きく見える。こんなに可愛い花なのにどうして嫌われるのだろう。昔は薬草として重宝されたというのに、なんとも理不尽な気がする。
理不尽といえば、キリストの12人の弟子のひとりユダくらい不運な人はいない。キリストが好きで、キリストのために尽くしてきたのに、最後の晩餐の席で、「私を裏切る者は不幸だ。生まれなかった方がいい」と言われてしまう。太宰治の小説『駆け込み訴え』はユダの苦悩がよく分かる。神は全能の方なのだから、ユダの行為は織り込み済みということで、十字架にかけられ復活するためにシナリオに使われたのだから、忌み嫌ってはならない大事な人のはずだ。
ドクダミもツユクサもユダも、悲しい運命を背負わされた。