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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

神代の時代から続いてきた異性への恋慕

2020年06月11日 17時25分44秒 | Weblog

 朝から空は灰色に覆われ、時々風が強く吹いて辺りが暗くなると、大粒の雨が降り込んでくる。ルーフバルコニーの手すりに止まり、けたたましく鳴くヒヨドリは今日は姿を見せない。こんな雨の日はどこでどうしているのだろう。ヤモリは無事に暮らしているのだろうか。

 昔の人は、天変地異を神様の怒りと考えた。旧約聖書には、神への敬意をおろそかにする人々を懲らしめるため、大洪水を起こされ、信心のあったノアの家族だけを助けられた。ギリシア神話の中でも、豊穣の女神デメテルは冥界の王の妃となった娘を悲しみ、娘が冥界にいる間は悲嘆に暮れる日々となり、作物が育たない季節が出来た。

 旧約聖書でもギリシア神話でも日本の神話でも、神々は実におおらかに暮らしている。旧約聖書の中には、子どもをつくるために自分の父親に酒を飲まして交わる話があるし、日本で最初に子どもを創ったのは兄と妹だった。ギリシア神話ではゼウスが有名だが、ゼウスの正妻ヘラは姉に当たる。神話には姉妹はもちろん母や人妻との情交もある。

 ゼウスは数えられない程のたくさんの女神と情交したばかりか、人間の女性とも交わり、半神半人の子をもうけている。こうした神話が世界中にあるのは、人間はもともとたくさんの異性を好きになる性質かもしれない。そのため諍いが絶えなかったので、キリスト教は一夫一婦制を導入したのではないだろうか。

 神代の時代から続いてきた異性への恋慕を断つことは出来ないことのようで、今もテレビのワイドショーのネタにされているが、懲罰という意味よりも関心の共有みたいな気がする。さて、梅雨入りしたばかりだが、大雨で土砂崩れや洪水などにならなければよいがと祈るばかりだ。

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