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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

私はそれがとても嬉しい

2020年06月06日 17時20分01秒 | Weblog

 昨年、植えたペチュニアがなかなか枯れなかったのでそのまま放っておいたら、古い株の周りに小さな若い芽がたくさん出てきた。初めは土に混じっていた雑草の芽かなと思っていた。大きくなた葉を見つけて抜いていたが、これはペチュニアなのかも知れないと思い、育つのを待った。案の定、花が咲いてきたものもあり、ペチュニアで間違いなかった。ペチュニアが1年草ではないことを初めて知った。

 昨日、狭くなった鉢から何株かを新しい鉢に植え替えてやったが、うまく育つかと心配している。風が強くなければ根付いてくれるだろうが、風が強いと枯れてしまうだろう。うまく大きく育つようにと朝夕に見て回っている。そんな時、近所で小さな子どもが泣き叫ぶ声が聞こえる。何かをねだっているようだが無視されたのか大声で、「クソババ」と叫んでいる。

 自分の親に向かって、あるいは祖母に向かって、「その言い草は許さないゾ」と叫びたい気持ちになる。思うように子どもは育ってくれないが、子どもから見ると「大人は少しも分かってくれない」ということなのだろう。私は自分の子どもも、自分の生徒も、出来る限り「自由」にさせてきた。いつか、人は、どうするべきか知るようになると信じるからだ。

 卒業生が『同級生新聞』第2号に、「1年見てきて、成長したなと思う5人を」を書いて欲しいと言ってきた。もうすぐ古希を迎える生徒たちだ。高校生の時、成長が著しかったベスト5はと今聞かれて困った。どうしても結果から見てしまうが、高校時代の彼らにそんなに大きな差はなかった。ただ、入学したばかりの頃はとても可愛かったが、1年も経つと誰もが大人びていた。

 私も高校時代が一番充実していたというか、まさに青春の土台が形成されていた。私は自分が大きく成長したとは思わなかったが、周りの大人から見れば「変わった」のかも知れない。卒業生の写真を見ていると、みんな立派に生きている。私はそれがとても嬉しい。

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