イシグロ・カズオ氏の名前は、ノーベル文学賞の受賞で初めて知った。市民講座の塾生の間で話題になった時、90歳になる女性が「私は読んだけど、面白かったわよ」と言う。私はすぐ書店に行き、文庫本を2冊買った。同じくらいの厚さだったが、『夜想曲集』は5つの短編の小説だったので、手軽に読めるだろうと思い読み始めた。
舞台はイタリアの観光地で、音楽関係の単語が出てくる。外国の小説で私が苦手なのは横文字で、名前なのか地名なのか、この人はどういう人なのか、関係が分からなかったりで、結局、読み切らないうちに放り投げてしまう。イシグロ作品は、名前は日本人でも、英文小説である。5歳からイギリスで生活し、イギリスの大学を卒業し、イギリスに住んで文学を生業としている。
NHKテレビでイシグロ・カズオ氏の小説『浮世の画家』を映画にしたものを観た。大正デモクラシーに反発し、個人の享楽ではなく国家のために絵を描いた、それを奨励した画家の物語だった。終戦となり、若者を戦場へ送り込んだ者は罪を負うべきだと責められる。自分の信念は間違っていたのか、どう償えばいいのか、画家は悩む。
イギリス育ちのイシグロ氏は、戦後の日本人を知らない気がした。戦犯と呼ばれる人たちでさえ無実を訴え、償った人はいない。教師の多くが子どもたちを戦場へ送り込んだけれど、戦後は民主主義を教壇で説いていた。「仕方がなかった」と水に流し、忘れて出直すのが日本人である。けれど、小学生の時から私は、「戦争をした人が、そのまま政治家として生き残る」ことが不思議だったから、イシグロ氏の『浮世の画家』には興味を持った。
それで、もう1冊の『日の名残り』を読む気になった。こちらは長編なのに意外に読み安かった。読み進めるうちに、『浮世の画家』も『日の名残り』も同じテーマだと気が付いた。人は日常を一生懸命に生きている。真面目に、自分の欲だけでなく他人のためにもなると思い、尽くしてきた。けれども、大きな間違いを犯していた。なぜなのか、そうならないためにはどうしたらよいのか、ひとりの小さな人間を通して問う、大きなスケールの小説である。