友だちが参加している混成合唱のコンサートに出かけた。自分が主催者の時、「ぜひ、来てください」と呼び掛けておきながら、都合が悪くもないのに行かないのは義理に反する。今日は行って、「よかった」と思った。多分、どんな集会でもそうなのだろうが、入場者層は主催者に似る。入場者はかなり多かったが、ほぼ私と同年と思われた。
コンサートは3部に分かれていて、1部は昭和・平成の流行歌、2部は中山晋平の童謡、3部はオペラの名曲を歌った。1部を聞いた時、ハーモニーが合わなくて大丈夫かと心配した。歌が進むにつれて、落ち着いてきて安心できたが、ビックリしたのは、地元の素人村芝居の人たちやダンスクラブの女性たちが現れ、芝居をしたりダンスをしたりして楽しませてくれたことだ。
かしこまった合唱曲をもったいぶって歌われても、美しさが無ければ感動は生まれない。にぎやかに楽しく、目先が変わる趣向に観客席も満足な様子だった。ゲスト演奏はフルート、サクソフォン、ファゴット、トランペット、ピアノの若い女性グループで、老練な演奏ではない若さに溢れていた。演奏したのはムソルグスキーの『展覧会の絵』、私は中学の時を思い出して聴いていた。
放送部は学校で下校を促す放送などを担当した。放送室には夥しいレコードが置いてあった。私は放送劇がしたくて、自分でシナリオを書き、劇中で使用する音楽を探して毎日レコードを聴いていた。古典派の音楽とロマン派の音楽の違いもその時に気が付いた。絵画に自然主義があるように、音楽も聴いていると情景が浮かんでくる作り方があることを知った。初恋の人を巻き込むために放送劇を考えていたのに、彼女にその気がなくて頓挫してしまった。私の邪悪な企てはいつもうまくいかない。
ロビーでたくさんの人に出会った。みんな元気だ。しかし歳を取った。歌を歌ったり、演劇や朗読をしたり、絵を描いたり、版画を掘ったり、短歌や俳句を考えたり、そればかりか農地を借りて野菜を作ったり、ボランティアに精を出したり、とにかく私の周りの年寄りは忙しく毎日を送っている。