今日は衆議院選挙の投票日。まだ、投票に出かけていない。安倍政権はこの選挙で大きく議席を伸ばすことはないだろうが、政権は確実に維持するだろう。「私が国民の皆さんに訴えた『この道しかない』が大多数の国民から支持された」と、安倍さんは得意な面持ちで言うだろう。自民党は少し議席を減らすかも知れないが、公明党は前回を維持するか、投票率次第では伸ばすかも知れないから、安倍政権は続くことになる。
そうなのだ。いつも選挙で思うのは投票率が低いのに議員の数は変わらないことだ。投票率が50%なら議員の数は半分となるわけではないし、地方の首長選挙では投票率が30%でも当選してしまう。10万人の有権者がいても、投票率が30%でそのうちの50%の支持があったとしても有権者の15%でしかない。10万人もいるのにわずか1万5千人の支持で首長になっていいのだろうかと思う。
今朝の中日新聞の1面に『<棄権のすすめ>?』という見出しがあった。新聞社も棄権を勧めるのかと思って読んでみた。前回の投票率に基づいて年代別で構成する定員100人の議会を想定すると、20代は5人、30代は8人、40代は10人、50代は各10人、60代は13人、70代以上は13人となるそうだ。数が100人にならないのは投票率が60%だったので、40%が空席というわけだ。この議会で法案が提案されると、50代から上が結束すれば何でも賛成多数で決められる。
私の友だちに口の悪い先輩がいる。彼は「年寄りは安定だけを求めるから圧倒的に現状維持だ。改革なんか望まない。それでいて自分たちに手厚い政策を求める。こんな年寄りにエサをばら撒いて当選する政治家ばかりだ」と言い、「70代より上の有権者は権利を半分にした方がいい。いや、投票権そのものを無くしてもいい」と極端なことを口走る。平等であることは大切と私は思うけれど、もう少し国民の意思が反映される仕組みはできないものだろうか。
そろそろ投票に出かけなくてはと思うが、やはり気が重い。同じ中日新聞の『視座』で、立教大学の内山節教授が、「選挙は必ずしも、支持する政党や支持する候補者を選ぶものではない。とすると投票は何のためにするのか。それは拒否権を行使するためでもある。このような方向性だけは拒否する、そう明確に意思を提示しておかないと、それをしなかったがゆえに歩んだ過去の戦争と破綻の道を、超えてはいないことになる」と書いていた。消極的だが、そうするか。