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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

前向きな気持ちを取り戻して

2014年06月16日 16時43分11秒 | Weblog

 先のクラス会で、私のブログを「毎日見ている」という生徒が私に、「最近のものはイカンです」と言う。彼が何を言いたいのかピーンと来るものがあった。「後ろ向きかなあー?」と答えると、「そうです。先生はまだ若いんですから」と言う。彼は、私がいろんなことを諦めてしまった世捨て人風な文章が目立つことに気付いたのだ。若い時なら今日がどんなに辛くても、明日はきっといいことがあると言い聞かせることが出来たのに、近頃は早く終わりが来ることを祈ってしまっている。そこを突かれた。

 歳を取ると社会とのかかわりが少なくなってくる。ドキドキするような出会いも無い。前向きに生きたいけれど、そうさせてくれる情熱が枯渇している。一緒に市民のための勉強会を企画運営している大和塾の塾生には80代の人も何人かいる。先輩たちが元気なのは、世の中に対する関心がとても強いからかも知れない。皆、伴侶をなくされているからか、「デートでもしようか」と言い合っている。「男と女はいくつになっても男と女だ」と豪語する。

 脇目も振らず、清く正しく生きてきたと思われる堅物な70代は元気がない。元気はまず顔色に現れるし、言動に見て取れる。色恋に関心のある人は前向きのように思う。私が後ろ向きになっているのは、人生とは何かが分かったように思ったことにある。まだ、これから己を含めて解明されることがいくらでもあるわけで、世捨て人みたいなことを言える立場にはない。

 「白鳥は 悲しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよう」。若山牧水のこの歌が好きだ。啄木の「はたらけど はたらけど猶 わが暮らし 楽にならざり ぢつと手を見る」も好きな歌だが、情景がはっきり目に見える。牧水の歌からは青い空と海と白鳥しか見えないのに、どこにも属すことの出来ない人の寂しさを感じる。人には善い人と悪い人しかいないけれど、どちらにも属せない思いで生きている人もいるはずだ。生きて、その思いを綴っていこう。

コメント (1)
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