友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

太宰治の故郷へ

2014年01月14日 17時26分01秒 | Weblog

 高校生の時に『人間失格』を読んで、太宰治の故郷へ行ってみたいと思った。小説の出だしは確か、幼い時の写真を見ているところだった。生まれ育った環境が、それだけで決定的とは思わないが、その人を支配する。青白いその少年を自分のことのように思い、太宰が生まれ育ったところを見たかった。実際に津軽平野を訪れることが出来たのは、40代の後半だった。しかもそれは春爛漫の時で、津軽平野は草木が芽吹いていた。津軽の人はツクシを食べないので、あちらこちらでツクシの群生が見られた。

 新緑とツクシと桜、遠くには岩木山が見え、とても美しかった。太宰が富士山を愛したのは故郷の岩木山と似ているからだと思った。東北の人に言わせれば、「真冬を知らないから」と言う。冬は雪が下から吹いてくる。地吹雪は凄まじく、外には出られない。家の中で出来る作業をして耐えるのだそうだ。春はそんな冬を耐え抜いた末に来る。太宰も東京に出るまで毎年、雪の中で春を待ちわびた日々を送ったはずだ。

 太宰が生活した家は『斜陽館』と名付けられて残っていたが、私が訪れた時は工事中で中に入ることは出来なかった。昨年、東北を旅する機会があったが、盛岡の石川啄木の生まれたところも、花巻の宮沢賢治の記念館も、訪ねることが出来なかった。10月の気候のよい時だったけれど、宿泊した旅館の人は「紅葉が終ると、もうこれでお客は来ないです」と言っていた。仙台のような都会は別で、田舎は寒さと雪で身動きが出来なくなると話してくれた。

 そんな厳しい寒さの中でも人々は生きていく。北極のような不毛の地に移ってしまった人々は、再び南下したグループが多かったはずだが、厳冬の地に残りエスキモーとなった。地球上のどこを見ても、こんな極限の地で暮らさなくても別のところに移動すればいいのにと思われるところにも人は住んでいる。暖かく食べ物が豊富なところが生活しやすいはずなのに、苦しい土地で歯をくいしばって生きている。人間は不思議な存在だと思う。

コメント
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