友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

テレビドラマ『明日ママがいない』

2014年01月18日 22時01分27秒 | Weblog

 「芦田愛菜さんは近頃テレビに出ないわね」とカミさんが言っていた矢先だった。15日の夜、私が風呂に入りかけた時、芦田愛菜ちゃん主演のテレビドラマが始った。結局途中からしかテレビを見ることは出来なかったけれど、おおよそのことは分かった。愛菜ちゃんたちは養護施設の子どもたちで、それぞれ事情があって施設で暮らしている。そういう子どもが増えてきているとニュースで取り上げていたから、時事的な問題設定なのだろう。

 子どもたちの中で愛菜ちゃんは毒々しい。昔、「同情するなら金をくれ」というセリフで有名になった子役がいたけれど、あの時のドラマを思い出させるようなふてぶてしいセリフや行為が出てくる。同じ施設の園児が、落としたお菓子を「食べてはダメ」と隣の園児から取り上げたことから、その親が「施設の子はろくに食べさせてもらっていないから、人のものを盗むのだ」と施設の職員に食って掛かった。愛菜ちゃんはキリッと向いて、「ゴメンナサイ」と謝る。なのに、帰り際にお母さんたちの乗ってきた自転車を足で蹴って倒していく。

 そんな悪さをすればどうなるのか、いくら子どもでも想像できるはずだ。職員はもっと母親たちにいじめられるだろう。職員は施設で愛菜ちゃんたちに怒りをぶつけるだろう。大人は子どもに、職員は施設の子たちに、絶対的な権力を持っている。力を持たない者はジッと耐えるしかない。愛菜ちゃんは「ポスト」と呼ばれている。それは熊本の慈恵病院が、育てられない子どもを受け入れる「赤ちゃんポスト」を連想させる。そう思ったらすぐに慈恵病院から「養護施設の子どもや職員への誤解や偏見を与える」として、放送中止の申し入れがあった。

 私は以前に新聞の書評で、養護施設で育ち市議に当選した美しい子持ちの女性を追った『ノーモア 立川明日香』を知り、どんな選挙を行ない、どうして辞めてしまったのか、興味を持った。まだ全部を読んでいないが、彼女が育った養護施設はテレビドラマ『明日ママがいない』とは大きく異なる気がした。テレビのキャッチコピーは「捨てられたんじゃない、わたしたちが捨てた」だったけれど、どちらにしても子どもがひとりで生きていくことは出来ない。このドラマの意図するものは何だろう。

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