友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ゲゲゲの女房

2010年09月29日 21時41分17秒 | Weblog
 終わってしまったが、NHKテレビの朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』は好評だったようだ。特に比較的高齢のダンナたちは「ああいう女房が一番いいね」と褒め称えていた。グチも言わず、ダンナに逆らうこともなく、どんなに苦しい時もダンナの側でしっかりと支え続ける。今では滅多に見られない女房というわけである。そんなことが男たちの間で話題になっていた時、女房族の一人が「原作は奥さんなんでしょう。だったら、自分のことをいいように書くのは当たり前じゃーない。現実は絶対に違うわよ」と言い切る。

 おそらくこの女性の見方が正しいのかもしれないが、テレビでゲゲゲの女房のホンモノを見たけれど、とても明るくて気取らない人だったから、現実もテレビドラマとそんなに大きな違いはないのかもしれない。そこではもちろん、ドラマを作った人たちの思いが強く働き、ひたすらダンナに仕える古風な女を描いたのかもしれない。中日新聞の『つれあいにモノ申す』を読んでいると、女房たちのしたたかさには感心させられることが多い。しかし少し悲しいことは、男つまりダンナは余りにも女房との付き合いが下手ということだ。

 こんな女房の話もある。長い間、我慢してきたけれどもう限界と言う。どういうことかというと、NHKの『ためしてガッテン』を見たダンナがやおらと立ち上がって台所に行き、「オイ、スポンジタワシに洗剤がついたままだぞ」と言ったそうだ。細かいことに気がつくけれど、じゃあ家事を手伝ってくれたことはあるの?と女房は思ったのだ。今日の『つれあいにモノ申す』でも、テレビでナスの田舎煮をやっていたので、早速作ったのに、ダンナは「見るからにまずそうだ」と一口も口にしない。腹が立った女房は仕方ないから全部食べたところ、「だから太るんだ」とダンナは言ってしまう。

 「スポンジタワシはよく水を切って、風通しのよいところにおいた方が雑菌は繁殖しないんだって」と言い、「スポンジタワシをつるせるようにしておくね」とでも言えば角が立たないのに、日頃一緒に暮らしている相手だから、ついストレートな言い方をしてしまう。せっかく作ってくれたナス料理なのだから、「これはどういう料理なの?」と話だけでも聞いてあげればいいものを、相手がどういうつもりで作ったのかも考えずに、「まずそうだ」と言ってしまう。会社だったら、きっとこんな言い方をしないだろう。ましてや相手が上司ならば、その気持ちを少しでも汲み取ろうとするだろう。

 男たちは、家庭でも気を遣うことはないだろうと女房に甘えているのだ。何時だったか、漫才コンビの爆笑問題を売り出した太田光の女房のインタビューをNHKテレビで見たが、その中で、落語家の立川談志が「夫婦はエゴイズムのバランスである」というようなことを言っていた。私の推測では、他人同士が一緒に生活する夫婦は、相手への要求つまりはエゴに支配されているが、どうバランスをとっていくかが大事だいうのだろう。絵に描いたようなゲゲゲの女房はいないし、そんな夫婦も現実にはいないかもしれない。それでも、いい夫婦を目指すことはできるはずだから。
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