友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「この国にも戦争があった」

2010年09月28日 21時34分44秒 | Weblog
 『この国にも戦争があった』をテーマに、斎藤孝さんは力むこともなく飄々と話しかけた。どのようにして「戦争と平和の資料館・ピースあいち」が出来上がったのか、斎藤さんはなぜかかわるようになったのか、そこで斎藤さんは何をしているのか、そんなことから講演は始まった。名古屋市名東区よもぎ台にある資料館は、弁護士の野間美喜子さんが女学校の同級生の4人を中心に、「平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会」を立ち上げたことから出発した。戦争時の生活用品や空襲時の焼夷弾、写真などの資料を展示する資料館を愛知県と名古屋市で設立してもらうための運動だった。

 しかし、愛知県も名古屋市もなかなか積極的に取り組んではくれなかった。ある時、それまでに集まった資料の展示を行なったところ、加藤たづさんという女性が建設の土地と建設資金の提供を申し出てくれた。加藤さんは決して資産家ではなく、自分で築いた財産を、運動に共鳴して役立てて欲しいというものだった。そこで、愛知県にこの話を伝えるけれど、場所がよくないという理由で受けてはもらえなかった。野間さんらは議論の末に、自分たちの手で設立することを決めた。建物ができても運営資金はない。カンパ活動を行い、マスコミにも取り上げてもらう。資金とボランティアが集まり始めた。資料館は民設民営であるため、運営は入館料と会員の会費で賄っている。会員が増えれば入館者が増え、入館者が増えれば会員も増えるが、逆になれば運営は先細る。市民の支えが絶対条件である。

 斎藤さんが「ピースあいち」に協力しようと思ったのは、戦争体験者であり、戦争には反対であったからだと語る。けれども、理屈っぽく反戦を語るわけではない。淡々と自らの体験をもとに戦争を語るだけだ。私が面白いなと思ったのは、街中に貼られた標語にいたずら書きをした人がいたということだ。いたずら書きとは、たとえば「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の中の文字の「工」に×点をしたり、「贅沢は敵だ」の敵の前に「素」を書き込んだりしたものだが、これはかなり勇気がいる行為だ。そういう人がいたことは初めて聞いた。戦争を進めた人の中に自決した人がほとんどいなかった日本、掴まれば投獄されたであろう時に、いたずら書きをしたのはどういう人なのか興味深く思った。

 けれども斎藤さんらのように、戦争の体験者はどんどん減っていく。私も戦争は全く知らない。戦争の話を聞く機会もなくなっていくだろう。それゆえに、こういう戦争の資料館は意味があるといえる。斎藤さんはこうした歴史から何を学んでいくかが大事だと言う。歴史から学ぶことは、何年に何があったのではなく、為政者の選択がどうであったのか評価することだと言う。戦争の悲惨さをどんなに語ったところで、人はまた「国益を守るべきだ」の論調には屈していくだろう。それは毎度歴史の中で行なわれてきたことだから。悲惨さを語るだけでは戦争は止められない。戦争を無くすために何をすべきかを考えていくためには、自国や個人の利益が優先する考え方を変えていかなければならないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする