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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

眠り記述法

2010年01月23日 19時19分27秒 | Weblog
 昨夜はかなりハイテンションになっていたらしい。「何か良いことでもあったの?」と言われる程だった。昨日は友人とカミさんがゴルフに朝早くから出かけていった。4時半頃に戻ってきて、「5時半から中華料理屋さんで反省会を開くので行って」と言う。もちろん反省会とは飲み会のことだ。ブログを書き始めていたが、途中で時間が来たので残りは後からやろうと出かけて行った。

 エレベーターの前でいつも誕生日会を行なっている友人に出会ったから、「これから反省会だから一緒にどう」と誘う。それならと、いつもゴルフに行く誕生日会の友だちにも電話するが、「明日は仕事だから今日はやめておく」と言う。それで結局6人となった。初めに生ビールで乾杯、それから焼酎を飲んだ。どういうわけか、よく笑い、きっとお店の中国人も「今日はにぎやかですね」と思ったことだろう。8時半までの間に焼酎も2本空けてしまった。

 さて、今日は早めに終わったから、これで帰ってブログの続きをしようと思っていたら、エレベーターの前で出会った友人が、「続きはウチでやらない」と言う。彼女も久しぶりに皆さんに会って、気分が良かったのだろう。彼女の家にあがりこんで、お正月の残りだという金粉入りの日本酒をいただく。家に焼酎があったことを思い出して取りに帰ると、「焼酎ではなくワインを持ってきて」と電話が入る。ワインとつまみを抱えて、彼女の家へと引き返す。

 またまた、バカ話でワイワイとやっていた。11時過ぎに「今日はこれでお暇しましょう」と帰ってきた。さて、そこからが記憶に無い。私はもちろん、再びパソコンの前に座った。キーを打ち始めたが、気がつくと12時を回っていた。あれ、あと少しで目標にしている千字になるはずだったから、とっくに出来上がっていなくてはならないのに、文章を読むとチンプンカンプンだ。何じゃーこれは、何が起きたのか。私はパソコンの前に1時間ほど座っていたのに何をやっていたんだろう。

 今、思うと眠ってしまっていたのだ。眠りながらパソコンのキーを打っていたのだろう。支離滅裂な文章がそれを物語っている。そんなわけで、気が付いた時から手直しを行い、ブログを完成させて眠ったつもりだった。先ほど、見てみるとまだおかしなところがある。その1行を削除したけれど、後はもう記念と思ってそのままにしておいた。今朝、まだ酒臭さが残っているようだったから、深酒はしないようにと思っている。

 それにしても、昨晩のあの眠って書いた文章は何だったのだろう。シュールリアリストが自動記述法という手法で詩を書いたけれど、それは眠りながら書いたものではない。眠りながら書いた詩なり文章なりが人の心を動かすようなものなら、私は天才作家になれるのだろうけれど、ただの支離滅裂な文章ではどうしようもない。それでも、風邪を引かなかったことに感謝しよう。おっと、今日はここまででいいかな?文章でおかしなところはないかな?
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約束が守られていない

2010年01月23日 00時59分13秒 | Weblog
今朝の国会中継で、自民党議員から鳩山イジメの質問を行なっていた。自民党議員は「基礎的なことですが」と前置きして、「確定申告は何日から何日までですか?国民年金の金額は?」と質され、お金持ちのお坊ちゃまは困っていた。こんなことも知らないのか!ということなのだろうけれど、実際は誰も正確に答えられないのではないだろうか。さらに「朝三暮四の意味はご存知ですか?」ときた。入学試験でもあるまいし、こういう質問をすること事態が失礼なことだと私は思う。

「終わりよければ全てよしを英語で言ってください」と質問されて、スラスラ答えられる大臣がどれくらいいるだろう。鳩山さんや麻生さんは英語が得意だからよいかも知れないが、不得手の人もいるはずだ。語彙の意味を聞きたいわけではないはずだから、そんな失礼な聞き方はすべきではない。鳩山さんは発言がコロコロ変わると批判されていると思っているから、「朝三暮四」と「朝令暮改」とを混ぜたような答えをしてしまっていた。

「約束が全然守られていない」と自民党議員は鳩山さんを批判する。これもおかしなことだと思う。自民党は「約束」の内容がダメだと言ってきたのではなかったのか。守られていないと非難することは、約束が正しいということになる。約束が実行されていないのは結構なことだが、その約束の中身が間違っているという展開でなければ、野党としての自民党の質問にはなっていかないと思う。

 約束を守るということは、きっと人間が生まれて以来の難問かもしれない。最初の人間であるアダムとイヴも神との約束を破って「禁断のりんご」を食べてしまった。そんな馬鹿なこと、ではなくこの話は、人間は誕生した時から「約束を守れない」存在だったことを意味していないだろうか。だから、キリスト教では「原罪」という考え方をする。「人は誰もが生まれた時から罪人なのだ。罪を認めることで、無心になれる。神を認める心になれる」。

 釈迦も孔子も人間は弱いもので、だからこそ人は他人を信じ、人としての道を歩まなくてはならないと説いた。キリスト教では、自然に対して人は無力であることを認め、あれ!気がついたら12時を回っていた。じゃー失敬するとばかりに席をはずしたけれど、しかし、こんな風の分かれ方でいいのだろうかと思えてきた。どんなにお金持ちであろうとも、どんな収支の報告であろうと、これは確かめるほかにはないと思っていた。けれども、‥‥

 酔っ払ってパソコンに向かっているうちにとっくに時間は午前1時になろうとしている。私が眠っていたのか、パソコンが勝手に動いていたのか、不思議な世界がここにある。
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