昨日から始まった国会。各党の代表質問をカミさんはスポーツジムへ行くのを止めて見つめている。どんな風に質問が行なわれ、どんな風に答えるのか、「関心がある」からだそうだ。彼女の父親がそうであったように、テレビに向かって「同じことばっかり聞いて、全然ダメな質問しかしていないわね」と怒っている。自民党と民主党が入れ替わっただけで、やり取りは本当にお粗末だった。それにどうしてあんなに野次を飛ばすのか、飛ばすのであればもっと気の利いた野次を飛ばしたらいいのにと私はアホらしくなって、自分の部屋に引き込んでしまった。
国会を議員同士の建設的な議論の場にするというのが、民主党の目標ではなかったのか。つまらない野次を飛ばしている議員をテレビカメラは映し出してくれたらいいのにとさえ思った。国会のやり取りも地方議会のやり取りも似たようなものだ。いったい何を引き出そうとしている質問なのかとさえ思う。高校の生徒議会の方がまだ厳しいやり取りがあったような気がする。議会は昔と少しも変わらない。旧態依然の言葉どおりである。
そう思っていたら、新聞やテレビなどの報道で、逮捕された小沢一郎氏の秘書である衆議院議員の石川知裕氏や公設秘書の大久保隆規氏や私設秘書の池田光智氏の仕事を知り、全く変わっていないと思った。私が国会議員の秘書をしていた頃は、もちろん自民党の天下だった。私が働いていたのは無党派議員だったけれど、国会では保守系の議員秘書とも親しくなったが、おおむね小沢一郎事務所と変わりない状態だった。私のところの議員も自民党議員と視察などで一緒になった折に仕入れた知識で、若い秘書に国からもらう給与から何割かを事務所に献金するようにとの指示が出ていた。
自民党議員のところでは、「もっと厳しい」と議員は言っていたけれど、それは本当だろう。小沢一郎事務所の秘書たちは、朝は5時に起き、犬の散歩や事務所はもちろん屋敷の掃除や車の掃除、企業や後援者を回り、各自治体の要望を聞き、名簿の整理やチラシやパンフの準備をし、議員の視察先や講演先を手配し、車の運転や集会での司会を行い、それは確かに食事の時間も寝るヒマもないであろう。しかし、よく考えてほしいけれど、これは秘書の仕事ではない。少しも秘書たる智恵を使っていない。こんなことばかりしていたのでは馬鹿になると思った。
けれども、石川氏や池田氏がそうであるように、一流といわれる大学を卒業しながら、まるで明治時代と同じように「先生のために働く書生」が秘書なのである。こんな丁稚のような期間が何年か過ぎると、市議とか県議とかの候補者にさせてもらうことができる。彼らが黙って「先生のため」に働くのは、いつかは自分も議員になれると信じているからだ。まるで、小間使いのように働くことで、「先生」のやり方を覚え、そして忠誠心が植えつけられていく。「先生」に反旗を翻せばその時点で政治家として生きていくことはできなくなる。
こんな現状では民主党の国会議員秘書たちも議員を中心とした政策集団にはなり得ない。これでは日本の政治は決してよくならないだろう。議員と秘書の関係がいつまでも上下の関係であるような旧態依然では何も変わらない。
国会を議員同士の建設的な議論の場にするというのが、民主党の目標ではなかったのか。つまらない野次を飛ばしている議員をテレビカメラは映し出してくれたらいいのにとさえ思った。国会のやり取りも地方議会のやり取りも似たようなものだ。いったい何を引き出そうとしている質問なのかとさえ思う。高校の生徒議会の方がまだ厳しいやり取りがあったような気がする。議会は昔と少しも変わらない。旧態依然の言葉どおりである。
そう思っていたら、新聞やテレビなどの報道で、逮捕された小沢一郎氏の秘書である衆議院議員の石川知裕氏や公設秘書の大久保隆規氏や私設秘書の池田光智氏の仕事を知り、全く変わっていないと思った。私が国会議員の秘書をしていた頃は、もちろん自民党の天下だった。私が働いていたのは無党派議員だったけれど、国会では保守系の議員秘書とも親しくなったが、おおむね小沢一郎事務所と変わりない状態だった。私のところの議員も自民党議員と視察などで一緒になった折に仕入れた知識で、若い秘書に国からもらう給与から何割かを事務所に献金するようにとの指示が出ていた。
自民党議員のところでは、「もっと厳しい」と議員は言っていたけれど、それは本当だろう。小沢一郎事務所の秘書たちは、朝は5時に起き、犬の散歩や事務所はもちろん屋敷の掃除や車の掃除、企業や後援者を回り、各自治体の要望を聞き、名簿の整理やチラシやパンフの準備をし、議員の視察先や講演先を手配し、車の運転や集会での司会を行い、それは確かに食事の時間も寝るヒマもないであろう。しかし、よく考えてほしいけれど、これは秘書の仕事ではない。少しも秘書たる智恵を使っていない。こんなことばかりしていたのでは馬鹿になると思った。
けれども、石川氏や池田氏がそうであるように、一流といわれる大学を卒業しながら、まるで明治時代と同じように「先生のために働く書生」が秘書なのである。こんな丁稚のような期間が何年か過ぎると、市議とか県議とかの候補者にさせてもらうことができる。彼らが黙って「先生のため」に働くのは、いつかは自分も議員になれると信じているからだ。まるで、小間使いのように働くことで、「先生」のやり方を覚え、そして忠誠心が植えつけられていく。「先生」に反旗を翻せばその時点で政治家として生きていくことはできなくなる。
こんな現状では民主党の国会議員秘書たちも議員を中心とした政策集団にはなり得ない。これでは日本の政治は決してよくならないだろう。議員と秘書の関係がいつまでも上下の関係であるような旧態依然では何も変わらない。