minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

息子は知っていた...

2007年06月29日 | 家族の日常
 先週、父親不在の夕食後、かなりショックな一言を息子から言われ相当へこんだ。あまりにショックなのでブログにも書けなかった。

「最近、料理しなくなったから料理の腕、落ちたな。」
「あら、そう?・・・・・(汗)。」平気を装ったけど、目の前が真っ暗になった。

 ここ数ヶ月、私の病気のせいで利樹が頑張って料理をしてくれていたのだが、なんせ男の料理。洗い物もそのまま散らかり放題。片付けは私。買い物も男の買い物だから、どうしても家計に響く。よって、最近は私ができるだけ節約料理を手がけるようになってきた。特に父親不在の息子と2人のときはチャンス!とばかり安い食材(というか、残り物)でぱっぱと手抜き料理ですましていた。これに怒った息子の言葉だ。ひえ~~~、ばれたか。

 という訳で今週一週間は頑張って安くっておいしい料理を作りましたよ。そしたら「うん、料理の腕前もどってきたな。」だと!!『るせ~~。』と思いながらもほっとした次第であります。そう、賢い主婦の第一条件は「安くっておいしい」がキーワード。でも、私が買い物に行くと、ついいらないものも「これ、安いわ」って買ってしまい冷蔵庫の肥やしに・・・結局同じ事か?!賢い主婦には到底なれそうもない。

坂下下町酔っぱらいロード

2007年06月28日 | 家族の日常
 我が家は池袋西口の古~~い商店街の中にあるので、朝から夜中までいろんな雑音が聴こえて来る。その昔、旦那が幼少の頃には買い物タイムになると、人ごみでごった返していたそうな。まったく想像がつかないけど。

 私がここに来てすでに15年ほどになるが、今はシャッター通りのようで昔の賑わいもほとんどなく、食中毒を起こして以来お客がさっぱり来なくなり覗くといつもおじさんが新聞読んでいた蕎麦屋もなくなり、誰が買うのか知らないが揚げた蕎麦玉を売る小さな製麺工場もなくなり、女房に逃げられ慰謝料が払えなくなったらしい布団屋もお好み焼き屋と七輪焼き屋に変わった。

 それでも他所から来る人たちは口を揃えたように「あ~、いい感じの商店街ですね。」と言って下さる。お世辞だろうが、どこか懐かしい郷愁をそそられる雰囲気が残っているのかも知れない。ここに住んじゃうとわからないけど。

 こだわりの共産党系お豆腐屋さんも豆腐ドーナツも作って頑張っているし、我が家の前の洋品店は80歳くらいのご主人が張り切ってポビュラーミュージック(昔は演歌だったけど)をBGMで商店街じゅうに流し、奥さんは池袋西口界隈の主婦の流行最先端を行くエプロンを売っている(『このエプロン、裏地がおしゃれなのよ~』と自慢しているところを目撃)。しかも、ここにしかない(一体誰が買うんだ?)タビとかお祭りグッズが豊富にあるので、秋祭りの季節は大忙しなのだ(といっても、1日に10人くらい/一週間限定)。

 人通りは少なくなったとはいえ、いろんな人たちが行き来するこの商店街。おとといも人が倒れていた。しかも昼間っから。

 向いの家の玄関に横になっていたおばさん。自転車が電信柱に立てかけてある。この暑さで貧血でも起こしたのかと思い、麦茶をペットボトルに入れ直し、濡れタオルを用意して「大丈夫ですか~?」と声をかけると「あ、大丈夫で~す。酔っぱらっているだけだから。ここに少し寝かせてくださ~い。」あ、そうだったのね。確かに酒臭い。「だったらこの麦茶飲んでください。タオルもここに置いておきますね。」放っておく事にした。

 30分後に見てみるといなくなっていた。隣のお店のおばさんに聞くと「あの人、●●屋で飲んだお客だったから、●●屋が自分の店で寝かすって抱えていったわ。人騒がせよね~。」倒れていたところには、私があげたタオル(ああ、新品だったのに)がボロ雑巾のごとく、ゲロまみれで落ちていた・・・。

 そう、この商店街は飲み屋が増えて来ているので夜中も酔っぱらいの喧嘩が絶えない。そのたびに3階から窓をがらっと開けて野次馬見学(これが本当の高見の見物)。凄いときは下まで降りて行く事もある。ひったくりに会った女性の悲鳴とか、泥棒を追いかける八百屋のおじさんとか、火事を見つけ消防署を呼んでくれた浮浪者とか・・・ちょっと物騒だけど、商店街ならではの連携プレーも見れてなかなか面白いのであります。

 息子に「今日、人騒がせなおばさんが倒れていてね~・・・」と報告すると
「昨日の母ちゃんの笑い声、商店街中に響き渡っていたぞ。夜中に窓あけてると本当に迷惑だぜ。煩くて眠れなかったよ、ったくもう。」と叱られてしまった...とほほ、すいませ~~ん。

よっぱらい邪夢セッション

2007年06月26日 | 家族の日常
 デザイナー&パーカッショニストの夢路君の手がけた次回の[MAU]のチラシです。昨日、その夢路君がタイ旅行から帰ってきたのでシンクタンクのNoxとギャギャンゴ良太が夢路に会うために夜中に我が家に集合した。

 夢路君はもともとNoxの高校の同級生でシンクタンクのライブにダラブッカ(トルコの太鼓)を持って遊びに来たときにお友達になった。それ以降、永田利樹bのMAUのチラシのデザインをやっていただき、デザイナーとしても大変優れた才能を持っている若者。昨日見せていただいたタイの写真も一冊の本にしたらいいのに、とみんな口を揃えて言うくらい素敵な写真ばかりだった。

 息子も寝る前に良太に挨拶にやってきた。「なんでそんなに痩せたの?もてるだろう?」からかいながらも良太は自分の制作した「ガイコツマスクマン」を遼介に見せて自慢顔。

良太「これが裏原やネット上でヒットしているんだぜ。」
遼介「へ~すごいね。」
さち「福山だとかDeff Teckもいいけど、こういうマニアックな音楽を携帯に入れたら?」
「ふふふ。」にやっと笑いながら遼介は自室へ去って行った。
 
 「じゃあ、そろそろセッションといきますか」利樹の一声でみんながぞろぞろと音楽室へ移動。我が家にある6畳の音楽室が若者達の熱気でムンムン。しかも酒がプンプン。ただの酔っぱらいの集団じゃん。私もカホーンに座ってコスマスから借りているシェケレでリズムを出し始めるとみんながそれにだんだんついてきた。利樹はエレクトリックベースを嬉しそうに弾き出した。

 「永田さんのエレベ、面白いなあ。」と良太がハーモニカを吹きながら笑っている。最初は恥ずかしそうに聴いていたNoxも携帯電話を取り出しながらラップを始める。私はシェケレをずっと続ける体力がなかったため、途中で止めたらみんなストップ。「な、なんでやめるんだよお~。」「あ、ごめんごめん、腕がだるくなっちゃったのぉ。続けててくれてよかったのに。私違う楽器探すからさあ。」「ったく~~~。」そんな非難する事ないじゃん。どうせ、バーリトゥード(なんでもあり)なんだからさ。しかしシェケレは疲れるのだ。

 「そういえば、遼介が小さい頃、シンクタンクの前でラップの真似事したら『ラップっていうのは韻をふまなくちゃいけないんだ」とかジューベーが言いだした事があったけど、今のNoxのラップ、韻ふんでた?」
「いいえ、ふんでませ~ん。」
「それじゃ、ただの語り・・・携帯見ながら語ってる変なおじさん。」
「あはははは。」と良太がベロベロになりながら「な~~が~~た~~~、と~~し~~き~~~」と韻もへったくれもない歌詞で歌いだす。

 それぞれが好き勝手に音を出しているだけなんだけど、なんでこんなに楽しいのかしらん。3時くらいまで続き、最後は『外は雨』私が言った一言がテーマとなって一曲終了後、お開きになりました。また遊ぼうね~。
 

マイルスにがつ~ん!

2007年06月25日 | ライブとミュージシャンたち
 昼からライブって体が今ひとつだなあ・・・でも昼間のサムタイムは子供連れも多くて超満員。ぼ~っとしてる場合じゃない。

 ピアノの新澤君は早起き生活だから、昼からぎんぎんに羨ましいくらいのハイテンション。楽屋で会話が弾んだまま、ピアノに向かって座ったとたん、さらに流暢にしゃべるようにピアノを弾いた。どんな状況でも常にハイテンションってやはり大切な事なのだ。いろいろな素晴らしいミュージシャン達と演奏してきて一番感じるのは、どのような場合においてもテンションを下げないという事。お客が10人だろうが1000人だろうが、常に一定のテンションが保てる・・・これが優れた演奏家の第一条件かもしれない(特にジャズの場合)。

 これからは私も昼のサムタイムのためにもう少し早起きになじんでおこう。昔は朝、昼、夜のピットインがあって、朝やっていたんだからなあ(朝といっても12時から3時ですけど)。相撲の番付のようだった。たった500円でコーヒー飲みつつ音楽でも・・・と昼休みにやってくるサラリーマンやジャズ屋のマスターetc、濃いのか薄いのかよくわからないお客たちに囲まれ「ああ、早く夜の部に出演したい~!」と若手ミュージシャン達は朝からテンションをキープしつつ精進したのだ。

 夜帰ってテレビをつけたら噂のマイルスの番組をやっていた。次々に新しいスタイルに挑戦して、進化し続け,常にトップを走り続けたトランペットの巨匠、真似できる人はいないだろう。自分の音楽を確立するだけでも大変なのに、成功したらそれをぶち壊し再構築する勇気、そしてエネルギーを持って常に走り続けるのは至難の技。65歳を全速力で疾走したマイルス・デイビスの軌跡は私たち音楽家の理想の姿。朝は体が今ひとつ・・・なんて言ってる場合じゃない。がつ~ん、とマイルスに頭を殴られた感じ・・・初心に戻って大いに反省した夜でありました。

東京ウォーカーと尾瀬ケ原

2007年06月21日 | 
「鈴の音が遠く響く湿原を 初夏の日差しが燦々と照る」
 「しっとりと川の流れに水芭蕉 木道脇に初夏の尾瀬咲く」by 遼介

 すっかり真夏。ようやくストープも片付けた(遅すぎ?)。クーラーの苦手な私はこの猛暑にめげずにシャワーを何度も浴びて体を冷やす。去年ボーカルのさがさんに教えていただいた通販のお洒落夏用タオル地スカーフを首に巻いて、UV帽子も被って買ったばかりのスポルディングのウォーキングシューズをはいて毎日歩くようにしている。もう今年は「タオラー(タオルを首に巻くおばさんの事)」と呼ばせない。しかし外出先での悩みは冷房・・・冷房の中に5分もいると体が反応して喘息の発作がでてくるのは本当に困りものだ。

 息子が2泊3日の尾瀬移動教室から帰ってきた。豊島区の中学校は2年生になると必ず尾瀬に行く事になっている。利樹の時代から続いている行事。ちなみに練馬区で育った私は尾瀬の友人たちと知り合うまで行った事がなかった。

 4年前に尾瀬の仲間と知り合ってからは春夏秋冬に行くようになり、息子は田舎に帰るような感じだったのではないだろうか。初めて尾瀬に行ったとき、スノーボードプロのKちゃんが「遼介が中学生になったら、俺がガイドやってやるからな。」遼介はKちゃんが大好きで、彼の言う事ならなんでも素直に従った。スキー場で初めて山頂まで連れて行かれた時はかなりびびっていたけど(苦笑)。軟弱な都会育ちの息子よ、尾瀬で逞しく鍛えられて来い!

 約束通り友人Kちゃんは息子たちの中学校のガイドをかってでてくれ、尾瀬散策にも同行してくれたようだ。宿舎になった高原ホテルも泊まり慣れたホテルだが、その隣にあるグリーンボックスという家に仲間が沢山住んでいるのでホテル抜け出して遊びに行けば?とそそのかしたけど、やはりそれは無理だったみたいw。

 私たちは尾瀬(片品高原)に何度も行っているくせに、肝心な尾瀬ケ原には1度しか足を踏み入れていない。しかもそのとき強雨が降って来たために、途中で引き返すというお粗末な結果だった。今回、息子たちは好天に恵まれ、朝8時から午後4時までの散策コースをしっかり歩いてきたようだ。しかも、2時半には出発地点に戻ってきたようで、Kちゃんたちも中学生の体力に脱帽したみたい。私のウォーキングとはまったく比べ物にならないな。学校の説明会のときに引率の先生方が「雨だと中止になるんですけどねえ・・・」とまるで雨を期待するような話ぶりだったが、それくらい中高年にはきつい距離なのだ。

 「水芭蕉が咲いてたよ。母ちゃんじゃあの距離は無理だろうな、おれでもきつかったんだから。でも俺たちの班は歩くのが早くてクラスでトップだった。」
 「遼介が体力あるのは知ってるけど、同じ班の女の子たちは大丈夫だったの?」
 「うん、女子のほうが先頭きって歩いてたんだ。俺たちはしゃべりながらだらだら歩いていたから、追いつくのがやっとだった。」それって、逆なんじゃない?最近の女子は恐るべし体力だ。

 今年の夏もまた片品村でミュージックキャンプをやろうと計画中。ゆうらぎ舎の芝生で思い切り遊んで音を出したいと思ってます。楽しみだな~。今度は尾瀬も歩いてみようかしらん。

黄昏の・・・

2007年06月19日 | 家族の日常
 今日は朝から藤井オーケストラのリハーサル終了後にまたまた神宮球場(ヤクルトvs西武)へ行って来ました。

 この写真をアップしている事で結果はおわかりかと思いますが、夕焼けの神宮球場と帰り道に見た絵画館が悲しいくらい美しかったです(苦笑)。それにしても、この絵画館って何やっているのかなあ?いつも気になるのだけど、ここの展覧会に行ったという人に出会った事がありません。

赤羽フィーバー!?

2007年06月19日 | 家族の日常
 うわ~、古い言い回しですがw「フィーバー」がぴったりくる店「Diki Diki」のラストライブに行って来ました。15年振りかな?あの頃のお客さんたちもいた、いた!

 「さっちゃん、変わってないね~。」「aさんも!」と再会を喜び合う。満員のお客様、本当にありがとうございました。(って私の仕事じゃないんだけど)。

 つの犬が「これが最後じゃなくて、復活をめざしてがんばろ~という励ましのライブだよ。」とマスターに言っていたのが印象的。そうです、これで終わりなんかじゃない。みんなつらいときもあれば楽しい時もあるんだから諦めずに、生きている限り頑張ろう。熱のこもったプレイに「いよっ、なおきっ。」「いいぞっとしきっ!」などと歌舞伎舞台の如く黄土色の声(男性だから)がかかりますw。昔、林栄一(as)氏が出演していた時は「いよっ、えいちゃん、宇宙一!」と声がかかっておりましたw。懐かしいなあ。こんなにフィーバーする店、東京ではめったにありません。

 それにしても聴く人たちも演奏者たちも心のこもった熱くて素敵なライブでした。アンコール3曲・・・Diki Dikiよ、永遠なれ。

何か変じゃない?

2007年06月18日 | 家族の日常
 息子は今日から尾瀬の移動教室で朝7時に出かけて行った。「母ちゃんは起きなくていいよ。」ううう、なんと優しい言葉。でも見送りはしてあげるよ、と約束して・・・「じゃ、行って来る。」と朝起こされ、ベッドから「いってらっしゃ~い。気をつけて。」と見送ったが、はっと気がつきベッドから飛び起きる。息子は友人らとてくてく駅へ向かって行った。「忘れ物よ~!」必死に自転車で追いかけ忘れものを届けた。ふ~。朝からてんやわんや。楽しんでおいでね~、尾瀬の仲間たちが手ぐすねひいて待ってるよんw。

 話変わって、ニンテンドーのゲーム機DSを京都の中学3年の英語授業で使っているというニュースを観てびっくり。毎朝10分間、生徒はDSを出して英語の単語を覚えるそうな。これで能率が1,5倍にあがったと学校や京都市教育委員会が喜んでいるという。

 でも、なんか変だ。その10分間呆然と?(暇そうに)立ち尽くす教師の映像も流れたけど、生徒の一人にインタビューしていたが「DS使っているとき、先生はきちんと質問に答えてくれない・・・」と不満の声。そうだ、先生と生徒のコミュニケーションがなくなってしまう。DSなんて高価なゲーム機を全員買わなくてはならないのも、おかしな話だ。

 PTAから不満の声があがらないのだろうか?「新しいやり方があっていいと思う。」とインタビューに答える親がいたが、私だったら「そんなものいりませ~ん。」と真っ先に反対するぞ。そんな予算があるなら、英語の授業に外人講師を呼んだり、テープや黒板を駆使して、それのための予算を増やせばいいし、もっともっとほかの使い方があるだろうに・・・。ゲーム機のほうが先生の授業より能力アップなんて、絶対に変。教育者たちの怠慢だと思う。

 賛否両論あるだろうが、ゲームは家で勝手にやれ、と言いたい・・・そのうち数学も歴史もみんなゲーム機で・・なんて事になるとしたら大変だ。あ~、世の中の先生たちよ、もっとしっかりして下さ~い。

半期に一度のメガトン

2007年06月16日 | 家族の日常
 梅雨入り宣言が出た途端真夏日が続きますね・・・いいのかなあ、こんな空梅雨で?

 前回冬物を仕入れに川越のメガトン・マーケットという古着屋に行ったが、今回も夏物を仕入れるため、もうひとつのメガトン・マーケットに行って来た。ここは高速で東北自動車道「加須(かぞ)」というインターを降りてすぐの場所だけど、高速料金が往復で3000円以上もかかる。

 しかも今回あまり良いものが見つからず、利樹としては不満気。それでも私よりも沢山買ってたけどw。息子もストーンズのTシャツが欲しい、と探しまくっていたが見つからず・・・。月曜から尾瀬教室なので、そのための半ズボンとジャケットなどを購入していた。私はタンクトップ2枚とワンピース1着。まあ、私としたことが1200円も買ってしまった(こういう店に行くと特にケチになる。普段は平気で10000円のシャツを買ったりするくせに)!

 「川越のメガトンの方がいいものある気がするな~。」とぼやきながら戻ってきたが、どっちにしても古着屋で買うんだから根性すえてじっくり探さないといけない。古着を買うコツがだんだん掴めて来たぞ(ってちょっと悲しい)。しかも交通費3000円もかかって、途中のドライブインで遼介にアイスクリームまでねだられ・・・ちょ、ちょっとォ、アイスクリームの方がメガトンのTシャツより高いじゃん。何しに行ってんだか・・・。