minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

お騒がせ夫婦 in 広島

2007年05月31日 | 
 京都はさんざんでした(涙)。磔磔は大好きなお店なのだけど、平日で9時までしか音が出せないという悪条件も重なってお客様はちらほら・・・。あ~、昨日までの盛り上がりは何だったのだろうと悲しくむなしい気持ちをぐっとこらえ、やる気を奮い立たせて演奏。一度でいいから、磔磔を超満員にしたいなあ。京都の祖父そっくりなだ~い好きなM島さんと「続ける事が肝心だから、めげずに頑張りしょう。」と誓い合って南禅寺裏のご機嫌な宿に戻る。

 翌日は朝から大雨。困ったなあ、と思いきや広島に向かううちに晴天に・・・よかったあ。昨年のツアーもお天気に恵まれていたが、今回も行く所行く所晴れていく。

 広島CAFE JIVEというお店は昨年に引き続き2回目。広島に住む友人Y氏の協力もあって広島に寄れるようになった。Y氏は慶応ジャズ研の先輩で、私にジャズってこんなに楽しいものか、という事を教えてくれた恩人でもある。彼は広島にもどってもテナーとソプラノを会社の地下室で練習しているらしい。

 私が2月に入院中も「まとまるくん(サックスに取り付ける道具らしい)ってどうですか?」ととんちんかんな電話をしてきたのだけど、彼の頭の中はサックスが上手になる事でいつも一杯なのだw。時々出張で東京に来るときはもちろんテナー持参。慶応時代の仲間が集まってセッションが始まる。人望の厚さは天下一品。だからチケットも沢山さばいてくれる、やはり持つべきものは友だな。

 昨年のJIVEでのライブの際、最後の曲で蹴つまずいてソプラノサックスを倒して壊れるというアクシデントが起こった。ラストだったので、アンコールをアルトで演奏し、片付けもままならぬ状態でタクシーに乗って修理してくださる職人の家に連れて行ってもらい、戻ってきてから打ち上げをする、というとんでもない状況。みんなじっと店で片付けも終わり待っていてくれた。幸い、腕の良い職人さんだったので旅の間じゅう無事に演奏できたから、広島で壊れて本当にラッキーでした。

 1セット目「時間です。そろそろお願いします。」とオーナーのKさんに言われ30分前からお店の前でY氏と立ち話していた私は「は~い。」とステージに上がった途端、ストラップがないのに気がつく。
「新ちゃん、ストラップをホテルに忘れて来ちゃったよ...」
「それは一反白紙に戻したほうが良いでしょう。」
「うん・・・」
新澤「という訳で、引き続きご歓談ください。」

 ホテルにストラップを忘れて来てしまった、ドジな私。ホテルが走って3分ほどのところだったので慌てて取りに帰る。ハアハアと息をきらせながら戻ってさっそく演奏開始。みんな笑顔で待っていてくれたけど...。あ~またやっちゃった。

 「こんな事はめずらしいのです。」と弁解しながら、自分のドジさ加減をみんなの前で披露してしまった私に演奏終了後にオーナーK氏が言った。

 「紗知さん、去年もストラップ忘れましたよね~。」
 「げ~~~~?そ、そんな事もありましたか(汗)?」
 「あのときはホテルに戻りませんでしたけど。あ、これは仕込んでやっているのかな?って思ったんですよ。ははは。また来年やったら・・・。」
 「本当に馬鹿です。そんな事があったのすら覚えてないわ・・・・。」
隣で笑っていた永田利樹にも
「永田さんはお店にMDプレイヤーを忘れたんですよねえ。」
 ええええ???そうだっけ~?
利樹「あ、そうでした、そうでした。あのあと鳥取に郵送してもらったんですよね。」

 いやあ、ドジ夫婦でご迷惑おかけしました~。「あななたちってほんとうに、割れ鍋に綴じ蓋夫婦ね。」結婚したとたん、義理母から言われた一言。

 「お義母さん私たちの事よくわかってんなあ。」とそのとき感心したのだが、今まで生きてこれた事も奇跡に近いかも。本気(マジ)やばい!

 

素敵な出会い

2007年05月31日 | 
 岡崎の翌日は常滑市の某会社の中に作られたオーディオ室でのこけら落としライブ。タイルを作る工場の敷地内にオーディオ装置の完備された書斎のような空間を若い社長が従業員たちのために、と造ってしまったのだ。なんてお洒落な会社なんだろう。

 沢山置かれたふる~いス○ングジャーナル(広告の多いジャズ雑誌)の中から一冊抜き取って新澤君は「あ、これは僕の生まれた年月のだ!」とやたらと感動している。もちろん、レコードも貴重なものが沢山あるようだ。ピアノはなかったのでクラビノーバを用意していただき、生音が気持ちいいね~と盛上がる。お客様も会社で働く従業員たちが多く、すぐに部屋が満員になった。
 
 こうなったら、やる気満々。あっと言う間の1時間半。気持ち良い汗が流れる。CDも大人買い(『どれがいいかわからないから、全部ください。』と買う人の事を大人買いと言うらしい)でばんばん売れて万々歳w!愛知県は景気がいいのがわかりますね~。

 まるで『釣りばか日誌』のすーさんそっくりのダンディな白髪のおじいちゃまも終止ノリノリで目立っていた。あとで伺ったら「I●●X」の社長さんでした。この会社はI●●Xの子会社で、社長のお父様がすーさん(本名ではない)だったのだ。一人だけスーツを着ていたのを恐縮され「いやあ、僕だけこんな場違いな格好で申し訳ない。」と記念撮影にはわざわざ上着をとり、ネクタイもはずして参加。なんて格好良い社長だろう・・・うっとり。

 すーさんは「すてきな音楽をありがとう。あなたのお父さんも絵を描くんですって?僕の絵をよかったら差し上げましょう。」とご自分の描いた絵の裏に「すてぃきな紗知様へ」とサインを添えてくださった。(写真はそのときのもの)ありがとうございま~す。家宝にいたします。
 
 また素敵な人たちに出会えた事に感謝。
 

5/27 岡崎、プライベートライブ

2007年05月29日 | 
 「どんなに高い素晴らしいオーディオで音楽を聴いても、生演奏には絶対に勝てません。だからこそ、生のジャズを聴かないといけないんです。オーディオに関わるかぎり、沢山の人たちに紗知たちのような本物の演奏を、本当に良い音を聴いてもらいたいんですよ。内田先生(岡崎のジャズを支えて来た偉大なる先生)のやってきた事を引き継いで、自分が出会ったミュージシャンたちを応援してあげたいんだよね。」

 名古屋の興奮さめやらぬまま、小畑氏、元ちゃんたちと別れて私たちは岡崎へ向かった。岡崎には昔から私のグループを応援し続けて下さっている、オーディオ会社に勤務するSさんのお宅がある。

 12月に矢作ジャズナイトを企画し、大成功をおさめたのだが、そのコンサート終了後、主催者打ち上げバーベキューパーティがSさんのお宅で用意された。

 ご馳走が山ほどでて、採れたてのおばあちゃん手作りお野菜やら、バーベキュー(とろけるような飛騨牛!)に舌鼓をうち(昨年12月のブログ参照)、オーディオルームのどでかいスピーカー(きっとマニアなら涎ものなんだろうけど、でかいとしか書けない無知な私)と迫力あるサウンドに感激していた私に「ここは第2の我が家だと思って、いつでも私たちの家に泊まりに来て下さいよ。」とおっしゃって下さったので、図々しくもツアーの途中で立ち寄らせて頂く事になったのだ。

 そのときに「このオーディオルームで演奏会やれますね。」と話をしたのがきっかけで、今回本当に演奏する事になっちゃったw。しかも庭ではバーベキューの用意が完璧。Sファミリーを中心にチームワークも素晴らしく、お料理が次々と用意され、ぞろぞろと親しい人たちが30人くらいやってきた。Sさんのお宅にはたいてい留学生がいて、こういう大人数のパーティに慣れているご様子。しかもSさんの奥様にお料理を習いに来る方が大勢いらっしゃるようです。流石!

 ニコニコ笑顔のYさん。彼は前日「lovely」にも来て下さっていた。名前は忘れていたけど、顔を見た途端「あ~飛騨牛さんですね!」って、すみません(汗)。いつもおいしい飛騨牛を飛騨高山から持ってかけつけてくれるのだ。「今回は穫れたての山ウドも持ってきましたよ。」

 Sさんの周りには本当にユニークな人たちが大勢集まる。顔は舘ひろし系、首にスカーフを巻いて羽飾りのついた帽子にコサージュのついた特別オーダーのステッキを持った、大変ユニークなおじさんを紹介された。

 「紗知、この人、モーツァルト。」月光仮面とモーツァルトが合体したようなコスチュームのおじさんもいる。「あの人は一体誰だ?」とラブリーが終わったあとも話題の的だったけど、Sさんによれば「彼はふだんは農家でトラクタに乗って、菊の栽培をしているおじさん」という事だったのでびっくり。世の中には本当に楽しい人々が沢山いるのだなあ。

 オーディオルームでのコンサート、「つばかぶり席」で聴いてくれたおじいちゃん、おばあちゃん、全ての老若男女がノリノリで生演奏は初めてだけど涙が出る程、感動しました!と大喜びの人たち。

 「ちゃっちゃっと終わって、早く飛騨牛を食べましょう!」なんて言いながらもアンコールまでしっかり演奏し、三々五々庭に出て宴会が始まる。よいお天気に恵まれ本当にラッキーでした。

 食事も演奏も終わって、半分くらいのお客様がお帰りになったあと、庭であまりに気持ち良いのでコスマスが一人でコンガを叩き出す・・・月夜のコンサートが始まった。

 そうなると、気持ち良さそうで私も黙っちゃいられない。コンガに合わせてサックスを吹き始める。あれ、新ちゃんと利樹がいないなあ。と思っていると新澤君がハーモニカで参戦してきた。

 最後まで利樹は登場しなかったが、ワインの飲み過ぎですっかり酔っぱらって熟睡していたそうだ。

 月の下のコンサート、なんて良い気分だろう。贅沢なひとときをみんなで分かち合えた夜だった(利樹以外)。1時間後に起きてきた利樹はそこから夜中3時までワインをまた飲み続け・・・メタボリック化はどんどん進んでいく。
 

幸せな夜・・・

2007年05月27日 | 
 名古屋Lovely第2夜は大儀見元perが加わって、予想以上の盛り上がりだった。リハーサル中に撮った画像、うまくアップできてるといいけど。

 lovelyは2日目は本当にみんなリラックスできて最高のできばえになりましたw。

 お昼は古い友人、ドロちゃんと待ち合わせて日泰寺の近くでおいしいうなぎを食べれたし、素敵な隠れ家のような大正時代風(原田芳雄邸そっくり)の喫茶店でくさもちとコーヒーを堪能。ドロちゃんは明日東京にもどって、ヤヒロper君、竹中g君とリハーサルして、すぐに東京、名古屋、大阪のミニツアーがあるそうだ。そのあとすぐにウッドストックの家に帰るらしいけど、名古屋、六本木、ウッドストックの3カ所に家があるなんて凄すぎだわ!!

 リハーサルで大儀見元perちゃんと再会。「座長(元ちゃんは私の事を座長って呼ぶ)、体は大丈夫っすか?」「ありがと。もうすっかり元気で~す。」などとご挨拶もそこそこにさっそくリハーサルが開始。

 カナビスの細かいきめなどを練習し、充実しまくり。ステージからはみ出たところに元ちゃんのコンガがセットされたのでいつもより遠くにいる感じだ。新曲の「Desert Rose」はコンガとサックスだけで始まるので一音たりともずれる訳にはいかない、とっても緊張感溢れる曲。「ざちょ~、コンガの音聴こえないんなら、こっちに来て一度吹いてみれば?」と言われたので元ちゃんとコスマスの間で吹いてみると、とっても演奏しやすい。じゃあ、この一曲だけコンガのところまで行って吹くわって事になった。

 それにしてもリハーサルからみんなにっこにこ。元ちゃんが参加しただけでリズムの芯がぴしっとなってコスマスと大儀見元perの2パーカッションがうねり、躍動する。こんな2人のパーカッションの上で演奏できる幸せをひしひしと感じながら、本番もこのまま自分はお客さんでもいいな、と思ってしまう・・・w。小畑師匠のたこくらげのラストソロで涙が出そうになった私って・・・(ってすっかりお客さん?)。

 なかなか東京でもできない、Mingaオールスターズ。またやりた~~~い!!!!!!!!名古屋LOVELYの夜はこうして更けていったのであります。

Lovely ばんざい!

2007年05月26日 | 
 ツアー初日からどしゃ降りかあ、ついてないね~、と東名で名古屋へ向かう。早くこの雨上がるといいんだけど・・・。客入れに直接影響する事なので、やはりお天気の行方が気になります。

 ラブリー初日はいつも到着して、リハーサルやって、ホテルのチェックインをして、気がつくともう本番、という慌ただしい中であっという間に終わってしまう。しかもここは東京には全くないタイプのサウンド。もの凄くデッド(響きのない場所)なので、サウンドチェック時から、ここの音に慣れるまでに一苦労する。

 1セット目、どしゃ降りの雨もようやく上がり、心配だったお客様も満杯になっていた。凄い!嬉しい事です。デッドな音に違和感を覚えながらも、お客様の熱い拍手に支えられて、だんだんとテンションが上がるミュージシャン達。

 ラブリーのせいなのか、名古屋のお客様の質なのかわからないけど、耳のこえた人が多く、シーンと聴いている人や「イエ~イ」と声をかける人、様々だけどみんな音楽を上手に楽しんでいて、ミュージシャン達を気持ちよくさせてくれる。東京の気取ったライブハウスはここを見習うといい。店員のあたたかくてさりげない気配りや上品さは群を抜いているし、店長のN君はハンサムで優しくて、彼の笑顔見たさにこの店に立ち寄るミュージシャンも多いのでは・・・(って私の事か)!?

オーナーの河合さんも最後の方はいつもへべれけだけど、愛すべき素敵なおじさまです。
「いいね、いいね~。俺はさっちゃんたちの音楽がらい好きなんらよ~。」
「あ、また酔っぱらっちゃってる!千鳥足になってますよ~w。」
「俺?俺は酔ってなんかいないよ~!」(すっかりご機嫌状態)。

 2セット目の最後の曲あたりでようやく慣れてきて、ミュージシャンとお客さまの境界線もなくなった。アンコールが2曲もきて、ようやく終了。さあ、明日は大儀見元perちゃんも参加するのでさらに楽しい夜になるぞ~。

 今日は動画配信しようと思ったけど、まだまだ修行が足りないようで、真っ暗で失敗。また明日挑戦してみます。ツアーの終わりまでにはうまく撮れるようになっているといいけど・・・(汗)。師匠、せっかく落語やってもらったのに、すいませんでしたあ。

写真追加しました。(新澤君のカメラで2日目のmingaです。)

さようなら、清水先生!

2007年05月25日 | 家族の日常
 大好きだった清水俊彦先生が21日に亡くなられた。日本ジャズ界の宝ともいうべき詩人、評論家でした。

 私に声をかけてくださるようになったのがいつだったか、藤井郷子オーケストラだったか、ちょっと記憶が曖昧だけどもう御体の調子はお悪くて、そのわりに毎回ピットインに杖をつきながらやってきて、後ろの方でじっと静かにそしてにこにこと聴いてくれてたっけ。

 「もう、僕は書くことができなくて、とても残念だけど。」とおっしゃいながらも、私たちのBlack Out(昔やっていたサックスカルテット+1のユニット)やmingaをこよなく愛して下さり「あなたのやっている音楽は本当に素晴らしい。どんどん続けていきなさいね。」といつも私の背中を押してくれた。一番の良き理解者だった・・・。

 一度だけ、デートをした事がある。原宿の行きつけのフレンチ・レストランに連れて行ってもらい、おいしいワインとお料理を堪能。「いつだってご馳走するから、電話かけてきなさいよ。」杖をつきながら、覚束ない足取りなのに私を駅まで見送ってくださった先生、ばらばらと振って来た小雨の中を相合い傘で歩きました・・・本当に紳士的で素敵なおじいちゃま。

 残された私たちは先生に喜んでもらえるような音楽を演奏し続けて行きます、天国で安らかに・・・・合掌。

新たな出会いを求めて

2007年05月24日 | 家族の日常
 西日本制覇の旅を行うようになって何年になるのだろう。5,6年?毎年恒例になったmingaツアーがいよいよ明日からはじまります。

 若い頃は海外ツアーばかりやっていて、別に日本をないがしろにしていた訳でもないのだが意外に国内ツアーはやっていなかった。まず、知らないライブハウスに電話かけて仕事をとる、という作業が一番嫌なのだ(昔のバイトのトラウマ?)。

 むかし大阪で喚びたいとおっしゃって下さったファンの人が演奏場所を探してくれたのだが「早坂紗知?フリーの人でしょ。」と断られてなかなか良い場所がみつからない。と嘆いていたのだ。名前が一人歩きして・・・しかも聴いてもいない人から勝手な想像で偏見をもたれている。ああ、嘆かわしい。だから「フリーの人」って言葉が嫌いになってしまったのだ(前にも書いたけど)。

 しかし、1度演奏場所を与えてもらったところは「ぜひ来年も!」と言ってくださるところが多く、じゃあまた。と毎年恒例となっていく。毎年新たな出会いが生まれ、沢山の人たちの暖かさにふれ、ミュージシャンやっていて本当によかったと思う大好きなツアーの季節。本当は北海道、東北、九州などにも足をのばしたいのだけど、なかなか知り合いが少なくてmingaツアーができていない。mingaで全国制覇したいんだけどなあ。

 あ~、今日は息子の誕生日なのに何も買ってないや。ツアーから戻ったらたっぷりお祝いしてあげるからね。焼肉に連れて行ったから勘弁してもらおう。運動会もこの時期、毎年重なって一度も見てないし・・・許せよ、息子。

肩身が狭い

2007年05月23日 | 家族の日常
 この頃、Macでできない事がやたらに多くてイライラはつのります。LDも製造中止したようですが、もう時代はWindows一色なのか・・・(って今頃気づいた私)。このmixiだってMacで操作できない事が沢山ある。GyaoもMacでは見れないし、無料ダウンロードのソフトもMacはほとんどダメだし、携帯はMac対応のはあるのだろうか?MacだってPCだぞ!と声を大にして叫びたい。関係ないけど昔、中村橋の駅に「練馬だって都内だぞ!」というスローガンが貼られていて、情けなかったのを思い出した・・・。

 Mac愛用者としては、どんどん押し寄せるWindowsの波に負けじと頑固に頑張ってきたのに・・・。ビックカメラのパソコン館も7階という最上階にぽつんとあったmacコーナー。この前行ったらいつもスキスキのフロアーが満員。どうしたんだ?マックがブームに??と思いきや、7階「ノートパソコン・コーナー」に変わっていてMacはさらに7階の隅っこに追いやられていた。そろそろ潮時?ピアノのS君もWindowに切り替えてしまったし。だんだん友達が減って行く・・。

 マイノリティをどうしても応援したくなる性格は時代にどんどん乗り遅れるのか。利樹が新しい携帯(ワンセグ付!!)を買って嬉しそうなのを横目で見つつ「ムービー撮ってブログに載せたいから時々貸してね~。」とお願いする。「う~ん、あまり人に使われたくない。」と言いきる旦那。私が触ってまずい事でもあるのか?一瞬むっとしたけど、やはり自分の携帯を人に使われるのはちょっと嫌かも・・・。Mac対応の格好良い携帯があれば私は真っ先に買うだろうな。でも皆無か・・・?頑張れマッキントッシュ。

父の青春

2007年05月22日 | 家族の日常
 我が家には池田満寿夫のデッサンとかエッチングが沢山あった。この絵もその中の一つ。現在は池田満寿夫美術館に置かれていて、我が家には2、3点しか残っていないが・・・。

 長野高校を出て、画家になりたかった父は芸大油絵科目指して上京。1年後に後輩だった池田満寿夫も父を頼って上京してきた。もうひとりの仲間と3人で東京貧乏浪人生活をしていたらしい。その頃の話をしてくれ、と時々TVの出演依頼をうけ、ほいほいと薄い髪の毛を人前にさらしている父・・・。先日もBSの池田満寿夫特集に出演したそうだ(私は見てないんだけど)。

 結局父も満寿夫氏も3回芸大受験に失敗。それでも『もぐり学生』で芸大のデッサンの授業などに顔出していた。ピカソの青の時代などに憧れ、暇さえあれば父とスケッチブックを交換しあったりしてデッサンしまくっていたそうな。

 その頃、父は新劇女優を目指していた祇園育ちの母と旅先で知り合い、父は絵描きの道を捨てて母と結婚。満寿夫ちゃん(我が家ではそう呼んでたので・・・満寿夫さんって書くとサザエさんみたいだしw。)は「俺はパン齧ってでも絵を描いていく!」母との生活の為にデザイナーを選んだ父とは対照的に芸術への道へまっしぐらに突き進んで行った。

 当時の貧乏生活の糧は新宿歌舞伎町での「似顔絵描き」。父の話だと、器用な父はそっくりに描いてお客に喜ばれていたらしいが、満寿夫ちゃんはピカソのような絵なので「こんなの、似ていない(怒)!」とお金をちゃんともらえなかったそうだ。だから、「あの頃は俺が満寿夫を食べさせてやったんだ。」と未だに自慢している。

 その頃の母と父の話は「エーゲ海に捧ぐ」の中の「テーブルの下の婚礼」や青春時代の懐古エッセイなどでちょくちょく描かれていて、私は赤面しながら本を読み、親の青春時代を知ってしまったのだけど、父親とは深い話をした事がない。まだまだ元気そうなのでいいか~って思っているのだが、そろそろ歳も歳だから、父の青春時代の話、聞いておこうかなあ...。