minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

濃厚なタンゴの夜に。

2012年06月29日 | 環境
アルゼンチン滞在も残すところあと僅か。地球の裏側では馬鹿な政治家たちが国民の声を無視し続けている・・・。

ここでは何もできないが、FaceBookやネットニュース、Twitterでみんなの行動を気にしている。再稼働が決まって東京でも大きなデモを行ったようで、忙しい中デモに参加した方たちに「ありがとう、ご苦労様でした!」と御礼を言いたい。それで何かが変わってくれれば本当にいいのだが。7/1には平気で再稼働してしまうの?どうなっちゃうの、日本は?

この愚かな国に息子を連れてまた戻らなくてはならないと思うと胸が痛む。安心してお肉、野菜、お魚を買って料理したい。日本の国を信じたいのに・・・。

アルゼンチンで出会った素敵な人たちに心から「日本に来なさい!素敵な国だから。美味しいものも沢山あるからね。」って言えない今の自分がいる。パタゴニアであれほどお世話になったFabianたちには絶対日本においで!と心から言いたかったけど、本当に日本に来ても大丈夫なのか、不安が一杯でその一言はなかなか言い出せなかった。とても悲しい事だ。

「日本に行って、私もサチにサックス習いたい!」と自分たちのアパートでご馳走までしてくれたメキシコ人留学生のKarenたち。





若い彼女たちに「おいで~~!日本食作ってあげるからね!」と心の底から誘えない複雑な想い。本当に安全な国になったら絶対来てね。としか今は言えないのだ。こんなに親切にしてくれたのに。情けない。美しく安全だったはずの日本はどこへ行ってしまったのだろう・・・。

様々な想いが交錯してしまい、かなり感傷的になってしまって申し訳ありません。気持ちを切り替えて昨夜の素晴らしかったタンゴナイトについて書きます。

こちらに来て、ようやく本物のタンゴショーを堪能。タンゴの奥の深さ、面白さを味わう事ができた。あまりに忙し過ぎて、せっかくブエノスアイレスにいるのにタンゴを観ないでどうするの?と言われそうでw、昨夜は本当に行けてよかったな~。




入り口はレストランでその奥にショーの会場が。


美しいプロポーションに圧倒されっぱなし。

クラシックタンゴからピアソラ、ハウス、アフリカン、ブラジル、様々な要素を取り入れたタンゴ音楽のショーはジャズのようでもあり、これからどういう風に進化していくのかも楽しみ。踊りに関してはさっぱりのド素人ながら、バレエのような柔軟な踊りや美しい衣装、舞台装置のアイデア、至る所にお客を楽しませるエンターテイメントがちりばめられて。それほど興味がなかったのに、観てみたらなんだ、すごく面白いじゃん!っていう宝塚の公演を観た少女の頃の体験を思い出してしまった・・・(苦笑)。

特に踊りの合間に入る生演奏も素晴らしかった。ミュージシャンはベース、ピアノ、バンドネオン、ギター、バイオリンという編成。このリーダーのピアニストとバンドネオンが若いハンサムな兄弟で、これからのタンゴ界を背負って立つ音楽家なのだ、とHiroさんは教えてくれた。

ショーが終了してから、生演奏を行っていたミュージシャンたちが他の店でタンゴのジャムセッションを行う、というのでそちらにも行ってみる事に。ステージがあるタンゴ酒場はお客が一杯だった。もちろんミュージックチャージなどとらない。食事もプリンも美味しかった!!それにしても、サックスを持って行けば彼らと共演できたのにな。残念だ。




昨日の昼間はめずらしくブエノスがどしゃ降りの中、仲良くなったKarenのアパートでメキシコ料理を堪能。ワカモレソースやブリトーを作ってご馳走してもらった。




実はその間にトシキはプロのタンゴレッスンを受けに行ったのだ。かなりタンゴベース奏法を習得できたと大喜び。その先生がタンゴショーに友人が出演しているから、と私たち全員を招待してくれ、さらに自分が取り仕切っている夜中のジャムセッションにも誘ってくれたのだった。


クンパルシータをワルツで始め、途中でオリジナルにもどったり・・・かなり自由なセッションだった。



次々に仕事を終えたミュージシャンたちが集まって来た。トシキの師匠になったタンゴベーシスト、パブロ・モッタの人柄も最高。新進気鋭のミュージシャンたちを紹介してくれたMasaとHiroさんに感謝。


こうした素晴らしい出会いと体験が日本に戻って、新たなmingaやMAUのサウンドになるに違いない・・・。

そして土曜日(30日)に最後のライブをSashimiya で行います。ブエノスアイレスにいる人はぜひお立ち寄りください!!Gracias por todo!





夢のような時間

2012年06月27日 | ライブとミュージシャンたち
Hugoと出会ったのは[Sashimiya]でのライブだった。Ivanたちの知り合いで聴きに来てくれた彼と彼女。私たちの演奏を気に入って下さり「ぜひ自宅にご招待したい!」とAsado Partyを約束してくれたのだった。


前回のSashimiyaLive

その時も、来ているお客様たちが「おお、Hugo!」と写真をとりまくっていたので、かなりの有名人なんだな~、と思っていたのだけど。今検索してみて改めてびっくりw。Hugo Varelaのサイトはこちら

「じゃあ、パタゴニアから戻った翌日に!」と約束し、Ivanが夜8時に私たちを迎えに来てくれた。

30分くらいのドライブでなんだかお店も人気もない殺風景な通りに彼の家はあった。入り口はなんとなく工場っぽい感じ。ロックをがんがんかけているアパート、ドラムの練習をしている音などが通りに響き渡っていた。この通りは音だし可能通りなのねw。

ドアを開けると・・・・まるで別世界。えええ?こんなに広いの?ブエノスアイレスの街のど真ん中に?とびっくりするくらい天井も高くて、普通の家の3階分はある。もともとは木材工場だったところを改造したらしい。





緑の中庭を通って、広い美しいキッチンを覗き見しつつ、家の中へ。なんだかおとぎの国に来たみたいだぞ。と興奮しつつ、次から次に出されるサラミやオリーブの絶品前菜をつまんでいると「まだまだAsadoがでるんだから、お腹いっぱいにしないでね。」と彼女に言われる(苦笑)。







中庭にAsado用の釜、ピザなどを焼く石釜と2つも手作りの釜が並んでいた!!


美しいキッチン!

さらにびっくりしたのは、大きな食卓の向こう側に芝居ができるくらいのステージがあったのだ。Hugoがステージの奥へと案内してくれ・・・・






美しく並んでいる彼の工具


そこには沢山のHugoの作品が。ギターのケースをギターにしてしまったもの、掃除機を使って作ったバンドネオン。傘をさしたり閉じたりすることで音を調節するリコーダー。ブリキのジョウロでできたクラリネット。もう、凄過ぎて文章では紹介できないくらい。すべて彼のアイデアで手作りの楽器たち・・・・。


ブリキのクラリネット如雨露


美しい彼女も画家で、彼女の作品も大きなオブジェや壁に飾ってあった。

Ivanの師匠のトランぺッターMiguelと歌手マリエル、さらにおじいさまがタンゴで有名なピアニスト(作曲家)だという歌手のご夫妻、Hugoの息子とその娘が集合し、Asadoや美味しいつけあわせの料理がテーブルに並び、腹ぺこにしていったお蔭で全部食べる事ができた~!

そろそろ、みんなで演奏しよっか。ということになり、ステージで次々に演奏開始。国歌とOblivionをやったらIvanがやたらに感動してくれた。

Take care of all my childrenをIvanと一緒に。


「ピアソラはおじいちゃんのライバルだからな~」と言いつつも一緒にピアノを弾いてくれた歌手。彼も改めて1曲自分の歌を披露してくれた。偉大なおじいさまの名前はMariano Mores(UNOというタンゴの名曲を作曲している)。

そして、MiguelもSashimiyaの時のように、トランペットを吹き出したら止まらない。




Miguelの彼女マリエルは日本語の歌も披露してくれた!



このあともタンゴ、ジャズ、フォルクローレと饗宴が続いた。その都度面白い楽器を持ち出して一緒に演奏してくれるHugo。いや~、楽しかったああああ。

Ivanが「そろそろ帰ろうか」と言ったのではっと気がつくと・・・夜中の3時を回っていた。ここはまるで竜宮城のようで時間が止まっていた・・・・。

「30日のSashimiyaでまた会おうね!」と約束して帰宅。ああ、濃すぎるぜ、Buenos Aires!!!











Nuevamente Gracias por Patagonia!

2012年06月25日 | 
「Rio Gallegosにはそんなに美しいものはないけれど、人々の心は美しいの。」

到着してすぐに、ヴェロニカ(ママ)が言った言葉だった。本当に家族の一員として暖かく迎えてくれ、何から何まで面倒見てくれたCamporro一家には心から御礼を言いたい。Mucho Mucho Gracias......

コンサートを終えた夜、ファビアンの家に親戚一同が集い、恒例のAsadoが9時頃から始まった。おじいちゃん、親戚のおじさん、ファビアンの息子マリアーノ、ファビアン、と大きな男たちが一生懸命肉を焼く。女性陣はサラダを作ったりデザートを持ち寄って楽しくおしゃべりして待つのがここの習わし。






「コンサート、素晴らしかったわ!あなたはまるで火のようね。」そんな嬉しい言葉を頂きながら、本場のアサードが次々と・・・。鶏、豚、牛、羊。ここのメインは羊だけど、ほかにもチョリソが何種類もあって(モルシーシャなど)全てが食べきれないくらいだったが、意地汚い私はちょっとづつ全部味見。こちらの肉は半端じゃなく美味しい。野生の鶏、牛、羊たちの味は引き締まって本当に格別。おじいちゃんの味付けも抜群だった。



そして、夜中2時をまわっても男たちはyoutubeでカラオケするわ、マリアーノはボンボを叩いてアンドレアとフォルクローレを踊るわ、歌え踊れの大騒ぎ。疲れのピークが来ているのに一緒に踊るはめに・・・汗。ここの人たちの体力は計り知れないので、ちょっとお先に失礼する事にした。


翌日は一日ゆっくりできるので、パパとママがドライブに連れて行ってくれた。6日間も休みをとって私たちがパタゴニアを堪能できるように全て考えてくれていたファビアン。「ペンギンが見たい!」という私の最初の希望を叶えるべく、釣りに行こうとしたのだが、トシキも私も風邪っぽかったのでドライヴだけになった。



家から5分ほど行くと海峡(海と川が交差するところ)があったけど、今度は15分ほど走り、海に連れて行ってくれたのだ。360度の地平線を生まれて初めて見ることができ、海に沈む夕陽(といっても4時だけど)を眺めながらパタゴニアを満喫。ペンギンは見る事ができなかったけど、やはりここにこれて良かったな~~~。「寒いところは嫌だ~~!」と言ってごめんなさい(ペコリ)!




そして、月曜は朝からテレビ局へ。朝から雨がしとしと降り出した。パパとママは仕事が始まったのに、私たちの送迎を引き受けてくれて交替で車移動してくれている。全てお世話になりっぱなしだ。





9時から演奏なんて、絶対ありえないけど(苦笑)、生放送だから仕方ない・・・。と本番を待っていると、テレビ局が慌ただしい。なんと、停電になってしまったので、放送は一端中止。結局予備電源で撮影し、翌朝の放送にまわす事になってしまった。

録画だから安心して[Harvest Song]と[La Maravilla!]を演奏し(もちろん一発OK)、テレビ局のスタッフ全員と記念撮影。いやはや、こちらの人たちって写真好きが揃っているなw。明日この放送を見てから飛行機に乗る事になりそうだ。停電は夜もあったが、こちらでは日常茶飯事らしい。

収録も終わって、スタッフたちがRioに「最後にソロで一曲吹いてほしいな」と頼むとRioは「Take Care of All my children」を吹き始めた。留学中にいつもソロで吹いていた思い出の曲だ。自分の音になって堂々と吹ききった姿がまたまた感無量・・・なんだか、こちらに来て本当に頼もしく感じる。スタッフも大喜びでRioと記念撮影。人気をすっかりRioにさらわれてしまったなw。

それが終わるとすぐにRioの学生時代の同級生たちとの会食の約束が・・・。とにかく分刻みに忙しいのだ。


スーパーで食料を買い込んで私たちがTita(一番面倒見てくれた友人宅)で日本食を作る計画だった。今回は巻寿司はやめて、肉じゃがとお好み焼き。Titaのお母さんの手料理も沢山あって、総勢10名以上の楽しいパーティだった。さあ、帰ろうと思って外を見たら雪だ!カラファテの時ほどではないけど、こちらで雪が降るのはめずらしい。そして有り難い事にティタのお父さんが家まで送り届けて下さった。




ここでもやはり人気者のRioはみんなと涙のお別れ。私もお世話になったお母さんと抱き合って号泣。

家に戻るとおばあちゃんの家に住んでいるお姉ちゃん(アンドレア)も最後の晩餐に参加。お母さんが手料理をふるまってくれた。Rioが大好きだったのよ、と美味しい鶏を丸ごと野菜と煮込んだもの。これもめちゃくちゃ美味しかった~~~。

ここに来てからめちゃくちゃ涙腺が弱くなっているようで、夕飯を待つ間もアンドレアとママが沢山のプレゼントをくれたり、手紙を書いて読んでくれたり、思い出になるように、とムービーを作ってくれたり・・・本当に嬉し涙が止まらなくて目が腫れちゃった。アンドレアたちが日本にもし来たらこんなに暖かく迎えてあげられるのだろうか、今の日本で・・・・と複雑な思いが交差する。



Nuevamente Gracias!!!!!!! パタゴニアの暖かい人たちと広大な景色を一生忘れる事はないでしょう。みんなみんな、本当にありがとう!また会う日まで。









鳴り止まない拍手

2012年06月24日 | ライブとミュージシャンたち
「今日はこちらのサッカーチームの大事な試合が3時からあって来れないっていう人たちが続出しちゃってるんだ・・・これがアルゼンチン人なのさ。ごめんね。」

私たちのコンサートをママの働いている美術館で行う事になり、同じ3時開演という事だったのだが、ちょっと客足が悪いみたいでパパがオロオロ・・。チケットは130人は売れている、と言っていたけど・・・。そんな訳で予定通りには開演せずに少しだけ待つ事になった。

アップライトベースを持って来たトシキは家の前のロック少年からアンプを借り、私たちはもちろんノーPA。美術館で音の響きも最高なので、何の問題もなかった。リハーサル中にテレビ局がやってきて一曲「La Maravilla」のテーマだけを撮影。「素晴らしい!!」とディレクターのファビアンがCDを買ってくれ、さらにRioGallegosのピンバッチをRioにつけてくれた。嬉しいね。



開演は20分押しでスタートした。ステージにあがると、150席がほぼ満席になっているじゃん。ありがとう、ファビアン!!私たちは大きな拍手で迎えられた。

1セット目の最後に島唄を演奏すると、みんなが一緒に歌ってくれて・・・。途中の休憩で喚び出されてみんなと撮影会まで。休憩にならなかったけど、パパが仕切っている事だから、まかせましょw。



そして2セット目の最初にファビアンのMCで「さあ、これから私たちアルゼンチンが一番好きな曲を演奏してくれるそうです!」と幕を開けた。

ブエノスアイレスでは封印されていた「国歌」を演奏したのだ。最初の部分を吹き出した途端、案の定みんなが歌い出した。途中までしか演奏せずに次の曲へ行ってしまうアレンジなので、怒られるんじゃないかとちょっと心配していたが、私たちの演奏が終わると静かに拍手が沸き起こった。いやあ、感動。

こちらに来て久しぶりの演奏だったけれど、Rioのサックスが確実に良くなって来ているのが嬉しかった。Rioのファンの女の子たちが黄色い声をあげていたw。

そして、パパとRioの司会進行のもとで行われたコンサートだったが、私らも何か言わねば、とトシキは自分の曲の前に説明をした。「Harvest Song」では尾瀬の仲間たちに捧げた事まで。結構長い挨拶だったけど、ちゃんと通じたようだ。


私も最後の曲がLa Maravillaだったので、スペイン語で考えて来た言葉を読んでご挨拶した。(カラファテの時からパパに聞いてもらったりして、練習してきたのだw)。

挨拶を一応メモしておこう。

Muchas Gracias por todo. Me alegro mucho de venir aqui con mi familia.
Como ustedes saben hubo un gran terremoto en Japon.(ご存知の通り、日本で大地震が起こりました)
Ahora hay muchos problemas y dificultades. (今も沢山の難しい問題を抱えています)
Por eso tenemos que vivilr con valentia. (それでも私たちは勇気を持って生きていかねばなりません)
Pero tambien estamos muy felizes por que tenemos la musica que nos alegra el corazon. (でも幸運なことに私たちには心に響く音楽があります)
Nunca vamos a olvidar la gran amabilidad de los argentinos en especial de la patagonia y de la familia camporro. (アルゼンチン、特にパタゴニアの人たち、そしてカンポーロ一家の親切を決して忘れる事はありません)
Nuevamente Gracias !!! (改めて、有り難うございます!)


たどたどしい挨拶だったけど、わ~~っと一斉に拍手が沸いた。どうやら通じたみたい。よかった~。このあとに、RioがMaravillaの説明をさらにフォローしてくれ、演奏に入ったので、盛り上がらない訳はない。

地震があった時に真っ先にパパから連絡が入った。Rioが東京に戻ってすぐだったし、こちらの人たちはみんな心配してパパのところに電話をかけてきてくれたようだ。おばあちゃんも毎日眠れなかった、と言っていた。本当に本当にここでこうしてまた元気に演奏する姿を見せられて、なんて幸せな事だろう・・・.そう、あの地震がなければ、ここに来る決断もしていなかったと思う。

鳴り止まない拍手にアンコールも2曲演奏し、無事にコンサートが終了した。持って行ったCDも完売。初めてちゃんとしたギャラもパタゴニア旅行付で貰えた・。ありがとう!!!パタゴニア!!!!





Rio Gallegosの人気者

2012年06月23日 | ライブとミュージシャンたち
「サチ、起きて!」

ドロドロに疲れ果て眠りこけていた私たちをママが起こした。朝の9時だ。もう少し寝かせて欲しいな~と思いつつも「ナニ?」と目をこすると・・・台所のテレビを見上げてママが指差している。



あ、Rioがテレビに・・・。ねぼけた頭で「1昨年に出演したテレビを流しているのかな?」などと思ったが・・・よく見れば今のRioじゃん!!「えええ???何?どうしたの?」と慌ててトシキも叩き起こした。

朝の6時にパパが電話でテレビ局から連絡を受け、Rioとテレビ出演する事になり、8時に出かけて行ったそうな。なんだか、とても堂々とインタビュアの質問に答えている息子がそこにいた。ひえ~~~~!

生放送が終わって家に戻って来たRioによれば、急に起こされてそのままテレビに出演する事になったらしい。本当は私たちも?と言われたが疲れていたので起こさなかったそうな。ありがたや。翌日(土曜)に行うコンサートの宣伝をしっかりやってきた息子とパパに感謝。

しかも「今、カラファテの友人と電話で話したけど、今朝は50cmの積雪で大変な事になっているそうだ。」とパパ。いや~、昨日の夜中のうちに帰ってきて大正解だったのだ!!パパ、偉いっ!

お昼にママが得意なエンパナーダの作り方を教えてくれることになり、夜は私たちが日本食を作る約束になった。


一緒に近所のスーパーへ買い出し。パパの車でRioGallegosの街を案内してくれた。車で5分ほどのところに川と海が混ざりあう海峡がある。昔日本のトヨタがここで汽車を使って工事を行っていた(?)という跡地なども見学。そしてまずは高級魚介店へ。こちらではえび、イカ、貝は高級品なのだ。私は日本のスーパーでアルゼンチンのイカ1匹を100円で買ってるよ、とお店の人に教えて上げた。「そうなのよね、みんな日本に送っちゃうの。イカはここRioGallegosで撮れるものなのに。」


ここが魚介専門店


買い物から帰って、さっそくエンパナーダ教室。エンパナーダは皮が命。中に入れる具はハム、チーズ、コーンのつぶしたもの(この組み合わせのエンパナーダをウミータと言う)、卵、に塩。しかし、餃子の皮のようなものでそれをくるんでくるくるっとひねっていくところがとても難しい。ママは陶芸家だから手先が器用。私と言えば・・・そうだ、陶芸教室に通って一ヶ月、菊練りという最初の段階ができずに陶芸を諦めたんだった・・・・汗。という事で3つくらい作らせてもらってから断念。日本に皮だけ買って帰ってから練習しようっと。



ほら、簡単でしょ!って・・・難しいよぉ。

辛いものがだめ、変わった味は食べられない、といろいろと制約がある中で、鳥の唐揚げ(こちらではいろいろとフライものはあるが、唐揚げはないらしい)、イカ(こちらの魚介は高級品)のゲソバター醤油痛め(アンドレアはイカが食べられなかった)、そして巻寿司風おにぎり(中にマヨネーズ、ウインナ、卵焼き、キュウリを入れたもの)を作る事になった。

下ごしらえをしてから、夜は空手教室へ。ファビアンは空手教室のトップの指導者。この街の100人以上の子供たちを教えている。普段は役所の事務などをやっている(Rioが帰ってから3つも昇格したそうな)のだが、空手をこよなく愛していたからこそ、AFSの交換留学で日本人を預かろう、と思ったのだった。

Rioが一緒に稽古をしたクラス。仲良しの仲間たちがみんなRioを懐かしんで挨拶。パパの取り計らいで、Rioと3人の試合が組まれた。一緒に始めた女の子ショアンナもすでに黒帯になっていたのでびっくりのRio。黒帯が沢山いる上級者クラスなのでとても迫力ある稽古だった。試合は2人に勝ち、最後のホアキン(なんと14歳で黒帯!)に負けたRio。足を怪我するというアクシデントもあったが、よく頑張っていた。結構才能あるな~、一年でこのクラスの人たちとよく頑張ってついていったもんだ、とつくづく関心(親ばか)。



ここでも大人気!

ホアキンと。

空手上級クラス集合!


「明日のコンサート楽しみにしてるよ!」とみんなと挨拶して別れ、家に戻ってからパパ、ママ、アンドレア(お姉ちゃん)がお腹ペコペコで待っている間に食事を3人で用意。興味深々で写真を撮りまくるCamporro家の人々。

一番の難関はごはんだった。こちらのタイ米を鍋で焚くのだ。どんなものに仕上がるのかさっぱり。ようやく炊けてできあがったお米はパラパラ。このごはんで巻寿司を作るのは至難の業だった(汗)。

とりあえず、巻いてこぼれないように、サランラップでくるんで半分に切る。ボロボロとこぼれ落ちるごはんだったけど、みんなとりあえず喜んで食べてくれた・・・。唐揚げの評判が一番良かったw。日本から持って行った醤油は大活躍。食事が終わったら気がつくと夜中の1時。いくらなんでも遅過ぎた~~~。さあ、明日はいよいよコンサートだ!!

パタゴニア大冒険

2012年06月23日 | 環境
パタゴニアの冬は朝が遅くて日暮れが早い。そしてコロコロと天気も変わる。まさかこれから大冒険になるなんて思いもよらなかった。


9時に起きると朝焼けがラゴ(沼の大きなもの)に映ってキラキラと輝いていた(上記の写真)。なんて美しい景色なんだろう。と感激しつつ、パパたちと朝食をとっている間に雲行きが怪しくなって雨が降り出した。えええ?困ったな~。



パパはチェーンを探しに出かけ、30分ほどしてから「めちゃくちゃ安いチェーンが買えたよ!!」と普通なら2万円くらいするものが4千円で買えたと大喜び。でかした!といいつつ、さあいよいよ、ここから80k離れた国立公園へ出発。


雨が降ったり止んだり・・。これが「ぞうの沢山いる岩のある山だ!」と教えてくれた。岩の形が象の群れのようなのが解るかな?

国立公園の入り口で入場料を払うのだが、旅行者と地元民とでは料金が全く違うので、パパとママが挨拶をしている間、後ろで私たち3人は帽子をふかぶかとかぶり、口までマフラーをまいて下を向いていたw。うまく地元民になりすまして無事通過。

どんどん山道を行くと小雨が雪に変わり出した。グレーの沼に突然、真っ青な氷がポツンと見えだし・・・「おお、あれか!」







遂に氷河公園へ到着。Rioが一昨年の誕生日にここに連れて来てもらった時の写真を沢山見ていたので「ああ、ここだ、ここだ!」と感慨深い。

さらに車を停めて、氷河探検に。寒さが半端でない上に小雪が降り出したので、長時間いることはできなかった。だから前回のヴィデオで氷河が崩れ落ちるのが見れたのは相当ラッキーだったのね、といいつつ私たちは写真を撮って早々に退散することに。



帰り道で氷河の近くに行ける場所を発見。パパ(ファビアン)はここで1000年以上前の氷をコップに入れてウイスキーを飲もうと企んでいたのだ。私とママ(ヴェロニカ)はあまりの寒さに車の中で待っている事になった。2人だけで会話もほとんど通じないのに、なぜかアルゼンチン国歌を2人で合唱したり、楽しい一時だった。



ようやく彼らが戻って来て、1000年の氷の入ったウイスキーを一口いただく。そしてみんなで持って来たパン、チーズ、ハムをはさんでサンドイッチを車中で食べる。なんだかとっても凄い体験だな~。なんてこの時はこのくらいで感動していたのだが・・・。

バンガローに戻る1時間のドライブの途中で雪が大雪に変わり始め、私たちが車を押したりしたが、ついに坂をのぼらなくなってしまった。男たちは酔っぱらいつつも力を合わせてチェーンと格闘。Rio Gallegosに住んでいると、なかなか雪が降らないので、パパはチェーンをつけたことがないのだ。日本のチェーンとも違うのでこれがまた大変な作業。慌てて持って来たホッカイロをパパの背中にペタリと貼ってあげるとパパは大喜び。ホッカイロ、こちらにはない優れもの。もっと日本から持ってきてあげればよかったなあ。

30分以上かかってようやくチェーンを装着。無事にバンガローに戻る事ができた。今夜もここに泊まるのね。と思ってくつろごうとしているとノックの音。ファビアンが「これからRio Gallegosに戻るよ。」

えええ?もう帰るの~~?ゆっくり休めると思ったのに・・・と思いつつも急いで帰る支度。「雪はほとんどなかったので、少ししたらチェーンをはずすよ。」そう言って、バンガローをあとにした。

ガソリンも入れて、カラファテの可愛い街を出た途端、止みそうだった雪が吹雪に変わり、どんどんと積もり出してきた。チェーンをはずすどころではない。前方が見えないくらいの猛吹雪。ゆっくりと走るパパの運転はいつも以上に慎重だったので安心してウトウト・・・。すると突然キーっとブレーキの音で目が覚め、気がつくと車が一回転して山はだにぶつかって止まった。ひえ~~~、怖いよ~~~(涙)。

対向車がいなくて、しかも崖側でなくて本当に助かった。車も速度がゆっくりだったので、それほどの被害もなく・・・・。とりあえず、一回転してまた何事もなかったようにパパは走り出した...。こういう時に話ができないというのは良い事なのか、悪い事なのかわからないけど、また平常心でBGMを大音量でかけながら鼻歌を歌うパパに命を預ける気持ちはフクザツ・・・(汗)。



またウトウトし始めると今度はカッカッカッと変な音が聞こえ出した。左のチェーンがはずれたようだ。吹雪の中でまたまた男たち3人でチェーンをなんとかしようと格闘。しかし、結局左側のチェーンは壊れ、取り外す事に。神様、これ以上問題が起こりませんように、と私たちは祈るだけ。頭の中に「北の国から」で遭難しかけるシーンなども頭に何度もよぎった。なんでこんな大変な夜にわざわざ戻ろうって言ったんだろ、とちょっとパパの奇抜な判断をうらめしく・・・。

「これがパタゴニアなんだよ!!」とパパは叫んだ。Bienvenido(ようこそ)!!!! とみんなで笑うしかなかった。

さらに1時間ほどして、ついに右側のチェーンも壊れた。「くそっ、今度は高いチェーン買わないとな。」とパパがつぶやきながらチェーンなしで雪道を行く事に・・・。ただ、ひたすら真っすぐ平な一本道で対向車もほとんどない事が幸いして、無事に家にたどり着いた。来る時は4時間,帰りは7時間かかってしまった。くたくたになってドロのように眠った私たちの絆は今まで以上に深くなった。しっかし濃すぎるぜ、パタゴニア!!


途中に一軒だけレストランがあって、そこでようやくスープにありつけた。パパの背中にはホッカイロ。



カラファテの南十字星

2012年06月22日 | 
Rio Gallegosから西に車で4時間ほどの場所に世界遺産のカラファテ国立公園がある。アンデス山脈を眺めながら、枯れた荒野を延々とドライブ。前日ほとんど一睡もできずにクタクタだったけど、広大な大自然の風景を目の当たりにして全く眠る事もできずひたすら「Lindo! (綺麗!)」と感激しっぱなし。


荒野にいる牛、羊、馬、グアナコというラマのような動物たちが群れをなしているのが時々見られる。ファビアンが大音量でBGMを次々にかける中で、ママがマテ茶を入れてくれる。お天気も最初曇っていたが、どんどんと雲が晴れて来てヨカッタ。


途中で記念撮影のために車を降りたのだが、もの凄く冷たい風にちゃんと立っている事すらできない。こんなところに動物が生存している事だけでも不思議。


1日目はカラファテ公園の入り口の観光客が集う街に宿泊。ファビアンの空手教室がここでもあって、年に3回ほど教えに来ているのだ。今回は私たちの予定にあわせてカラファテ教室の日程を組んでくれたのだった。


さっそく可愛い街で食事をとってから宿泊のバンガローに案内され、荷物を置いたらすぐに空手教室へ同行。今日は遼介も一緒に紫帯を締めて稽古に参加。息子が空手をする姿を初めて見た。結構様になっていた(親ばか)。


ファビアンの教え方もとても解り易くて、小さな子供たちから大人たちまでが真剣なまなざし。パパ、格好いいよ~~ん。などと見学し、一端戻ってから夜は道場主催の晩餐会。そっか、ここで演奏するのだな、とようやく理解。

街の父兄たちが子供たちと一緒にファビアンと私たちを歓迎して下さった。御礼にRioと2人で演奏。空手もできて(しかも1年で紫の帯というのはとても考えられない進級の仕方らしく)サックスも吹くRioは子供たちの超人気ものになっていて、演奏後はみんなに取り囲まれて質問攻め。楽しいアサードの会だった。




可愛いバンガローに戻ってパパ、ママとまたまた宴会。どこまでも宴会の好きな国民だw。空を見上げると満点の星空。でも見た事のない星ばかり。そっか、地球の裏側だからな~。パパが「あれがCruz de sur(南十字星)だよ!」と教えてくれた。天の川の中にキラキラ光る星が沢山ありすぎて、どれが十字なのかよくわからなかったけど、ただただ美しくて涙がでそうだった。そういえば、アルゼンチンへ来て初めて星を見たなあ。ブエノスアイレスでは明る過ぎて、しかも曇り空ばかりだったから星は見ていなかったのだ...。

明日はここからさらに80k離れたところに世界遺産が待っている。どんだけ寒いのだろう・・・と想像しながらご機嫌なバンガローで深い眠りにつく事ができた。


最果ての地、Rio Gallegosへ

2012年06月21日 | 
「なんで、そんな最果ての地まで行くの~~~??」

ブエノスアイレスのみんなに聞かれたけど、本当は私だって行きたくないのよ~~~(涙)。しかし、ようやく慣れてきたブエノスアイレスとちょっとお別れし、一昨年Rioが一年間お世話になったCamporro一家の待つ、SantaCruzのRio Gallegosへ御礼を兼ねて約1週間の旅。

ブエノスアイレスからRio Gallegosまでは約3200km。飛行機なら3時間、バスなら丸2日間の移動となる。

アルゼンチン人なら飛行機代も安いのだが、外国人が国内旅行するときは飛行機代もめちゃくちゃ高い。3人で豪華な韓国旅行をしてもまだおつりが来るくらいなのだ...。しかし、ここまで来て行かないと、日本とアルゼンチン、もとい、パタゴニアの没交渉にもなりかねない(苦笑)という事で親善大使として行く事に。



3時間ほどのフライトだったが、息子が一年間こんな最果てで日本語も英語も通じない所へ・・・と想像すると感無量。飛行場にパパ、ママ、おじいちゃん、おばあちゃんの顔を見た瞬間、何故だか涙がボロボロ・・・。やっぱり来て良かったなあ。

見渡す限り広い大地。住宅も平屋が多くビルらしいものは一つもない。街一番のBoxingスタジアムがあるくらい。

「ここはきれいな街でもないし、風が強くて寒いところだけど、人間の心が美しいのよ。」

Rioとの再会を本当に心待ちにしてくれていたのだ。覚悟していたほどの寒さでもない。

さっそく荷物を家に置いてから大好きなおばあちゃんの家へ向かう。車で5分くらいのところ。Rioを一番可愛がって下さった料理の上手なおばあちゃんが、さっそくミラネサを焼いてくれ、サラダもてんこもり。



いつも「野菜が食べたいのに、家ではほとんど食べられない。」と嘆いていたのだが、ここに来るとその分大量に野菜料理を作ってもらっていたそうな。本当におばあちゃんのミラネサにかけるサルサソースやサラダがとても美味しかった。

このあと、Boxingスタジアムに行き、空手の稽古を見学。1階は大きな体育館、2階はアスレチックジム、サッカー、ホッケーの練習場が詰まっている建物。空手の教室は小さな子供から大人まで1時間づつのクラス。みんな熱心に稽古している。日本語も使われているので見ているだけで面白かった。Rioもまたやりたくなったようだ。

「あ、俺と一緒に始めた奴が、もう青帯になってる!」などと懐かしい友達や先生たちとの再会で嬉しそう。


先生のニコ。かれは子供たちに人気もの。


またおばあちゃんちに戻って、夜の11時くらいから続々と親戚も集まり、お手製のエンパナーダを食べて歓迎会。何度、Salud!と乾杯したのだろうか。



休む暇もないくらいスケジュールが一杯・・・。しかも誰も英語ができない。かなりの疲労感。

ようやくパパたちと家にもどるとジャズのビデオや日本とアメリカの合作映画「ラーメンマン?」を見せてくれたり・・・歓迎ムードはまだまだ続きそうなので、パパに「明日はどういう予定ですか?」と尋ねた(正確には息子に尋ねてもらった)。

「明日は8時にカラファテに出発だよ。2泊する予定だからね。一番暖かい服装を持って行くんだよ。でも空手の生徒たちの前で演奏して欲しいからサックス持って行って。」

えええ?演奏?2泊もカラファテに???聞いてないよ~~~。なにがなにやらさっぱり解らないままパタゴニアの旅はまだ始まったばかり。言葉はわからんし、どうなるんだああああ?  







Final noche de Tres Quarts

2012年06月17日 | ライブとミュージシャンたち
Sessionessのベーシスト、セバスチャンがリハーサルの帰りに「送ってやるよ」と私たちを車に乗せてくれた時に

「この前、レサマ公園でスリにやられちゃって・・・。」
「おお、それはおめでとう!ブエノスアイレスにようこそ!!」と祝ってくれた。これで私たちもブエノスアイレスの市民になれたのねw。

ブエノスアイレスで出会った人たちは本当にみんな良い人たちだった。こういう出会いの一つ一つが宝石のようにキラキラと心の中で輝いている。しかし、言葉ができないのが本当にはがゆい。いつも「Gracias!」しか言えないとは・・・自分の言葉でもっともっと御礼が言いたいのに。

昨日はここに来て初めて「いつでも好きなように演奏していいよ。」と海のものとも山のものとも解らない私たちに演奏場所を提供してくれたアリエルの店<Tres Quarts>での最後のライブだった。

ライブとはいえ、お店の雰囲気を壊さないように、ベースも生音なので、静かな曲をメインにBGMになるような演奏をしないといけないかな~、と思いつつ演奏。本来の私のスタイルではなく、客の反応を見つつ・・・。毎週土曜に演奏するので、少しづつ曲のレパートリーも増やして行った。普段の私の演奏スタイルではなかったので、大変勉強になった反面、「ああ、ちゃんとした観客の前で思い切り演奏したい!」というストレスもあった事は事実だ。


大野智子さんと共演できた「JazzLogia」で私たちの強力なファンになってくれたカレンという可愛らしい女子大生。今週の怒濤のようなライヴ3連夜全てに友達を連れて聴きに来てくれた。この1週間になんと4回も!!!

Karrenはメキシコからの留学生。8月にはメキシコに戻るそうだが、英語が堪能なので、私たちに解り易い綺麗な英語で話しかけてくれる。そして彼女の友人たちもベネズエラ、ドイツetc...様々な国からブエノスアイレス大学に留学中の優秀な学生たちだった。その彼らが私たちの演奏を楽しみにTresQuartsに集まってくれたのだ。


ブエノスアイレス大学の留学生たち


今日は何の曲を演奏しよっかな、とふかふかソファーに座って考えていると、カレンたちが私の「La Maravilla」のテーマを口づさんで「サチ、Maravillaは今日演奏するの?」おお、今日は最後だし、この曲は音がでかくなるからこの店では封印していたけど、いっちょ普段のライブのように演奏しちゃおっか。

最初にMy Favorite Thingsを演奏し、挨拶をした。といっても、「Gracias.Soy de Japon・・・」だけであとはしどろもどろ。「何が言いたいの?」と自分のめちゃくちゃなスペイン語を制して、Rioがきちんと通訳しなおしてくれた(苦笑)。

「ここでの最後のライブです。いつも演奏させてくれたアリエルに感謝します。そして、次の曲は日本の津波で被害にあわれた方達を勇気づけるために演奏している曲です。」

La Maravillaを思い切り演奏。そして3曲目からはIvanも入れて大盛り上がり。なんだか、今日はやり易いな~、と思うと周りのお客さんたちもとても喜んでくれている。なんだ、最初っからこういう風に演奏すればよかったな~。ベースもカラオケ用のマイク1本で音を拾ってもらっているのだけど、よく聴こえる。

1セットが終わったら、奥に座っていたおじいさんがやってきて私をぎゅうぎゅうと抱きしめてくれた。「今日は父の日。私はお前を我が家に連れて帰りたいよ!今日一番のプレゼントになる。あはは!」と娘さんと2人で話しかけてくれた。なんて可愛らしいおじいちゃん!

CDももう殆どなくなってしまったので今日は2枚だけ持って行った。こういう時に限って「CDはないの?」と聞かれてしまうのだ。もちろん2枚も即完売。

2セット目にはHiroとMasaも駆けつけてくれて・・・・深夜のPuerto Maderoで賑やかな夜がいつまでも続いた。



演奏後に一人の女性がじっと私を見つめて近づいてきた。なんと、彼女も<JazzLogia>の時に聴きに来てくれた人だった。ここで演奏する事をちゃんと覚えていてくれたなんて・・・・。




このTresQuartsで働いていたスタッフたちともお別れ。

笑顔で私の大好きなフラン(プリン)やトマトジュースを運んでくれるウエイトレスたちが自分のカメラで私たちの演奏を撮影していた。「え?で、次はいつくるんだい?」と美味しい料理を作っていた厨房のお兄ちゃんまで。ううう、泣きそう。

演奏はとっくに終わっているのにKarrenたちも全く帰る気配がない。沢山の質問を私たちになげかけてくる。興味がつきないようだw。


Masaもご機嫌で踊り出す!

トシキも英語で会話できるからいつもより多くお酒を飲んで楽しそうにドイツの女の子と会話してるし、イヴァンは店内に流れるCDにあわせてトランペット吹き出すわ、HiroとMasaは踊り出すわ・・・。こういう時にお酒が飲めないって悔しいなあ。

カレンたちは私たちがタクシーを停めるのを最後まで見届けてくれ、深夜の大通りをバスに乗って帰って行く、と言って別れた。Rio Gallegosからもどってから30日に「Sashimiya」でラストライブがあるので、それまではバイバ~~イ!




さあ、いよいよ来週は極寒の地「Rio Gallegos」に向かう。あちらでもRioの家族、仲間たちが手ぐすねひいて待っている。いよいよ大詰めだ!!!




君たちと出会えた事が・・・。

2012年06月16日 | 環境
ブエノスアイレスでの旅もそろそろ後半戦にさしかかった。昨日のライブはSessionessというレゲエバンド10周年記念。Martinの紹介で、彼らのバンドに遊びに行き、そのまま20曲以上演奏する事になり、このライブにも参加しないか?と誘われた(前記参照)。

バンドのメンバーはみんな楽しくて良い奴らばかり。本当に和気あいあいとした素敵なバンドだ。リーダーのルシアーノgがほとんど曲を書いているけれど、どれもこれもポップで楽しい曲が多い。

夜の8時にBuenosAiresClubに到着。ブエノスアイレスのライブハウスやスタジオって入り口だけだとどこなのか解りにくい場所が多い。アドレス(番地)を控えていなければわからなかった。鉄格子があって、その内側にブザーがあるだけ。ひええ。でもかすかに中から音が聴こえるのでここだ、と確信。

会場に入って行くとまだ全員集まってはいなかったが、テナーサックスのエルナンと恋人が風船を沢山膨らまして会場作り。しかもエルナンは今日が31歳のバースデイだった!

私たちも風船膨らましを手伝い(苦笑)、楽屋に戻ると全員が集まり出していた。時間つぶしに枯葉を吹き出すと、トランペットのレアンドロがさっとつけてきた。Rioもテナーのエルナンまで!!トシキが音の出ないエレクトリックアップライトでなんとか応戦。楽屋でこんなに楽しくジャムセッションするなんて初めて!みんなジャズが大好きなのね~~~。

終わってから私が「HappyBirthday」をRioと演奏すると周りのメンバー一同が大合唱。本当に素敵な仲間たち。

9時半の開演時間になってもまだまだ始まりそうもない(苦笑)。そのうちに楽屋にホッカホカのエンパナーダが・・・。これもルシアーノの配慮だった。しかし、肝心のルシアーノがサウンドチェックでいない・・???

「彼は家まで戻っているんだ。」

えええ?忘れ物かな~?以外とドジなのね。全員がサウンドチェックを終えて楽屋にもどってエンパナーダ食べている時にルシアーノが戻って来た。一人でギターのサウンドチェックをしている。可哀想に・・・。「お疲れさん。」と声かけると、ぶつぶつと「俺、ストレスが溜まりそうだ・・・。」どうやらアンプが壊れたようで、家まで取りに行ったようだ。

リーダーは大変なのだ。バンドの心配、お客さんの入りの心配・・・etc......「解る解る!」となぐさめて、みんなで楽屋で「アリーバ!(上げて行こうぜ)!」と声かけあってさあ、出陣。

広い会場に机と椅子が並べられていたが、最初はちらほら。大丈夫か知らんと思いきや、演奏開始直前にドドっと観客が入り始め、立ち見が溢れかえっている。10年も続くこのバンドの人気度がわかる。

初っぱなからぶっ通しで20曲。エルナンが譜面をわざわざバリトン用に書き出して(シベリウスというソフトだった)くれたのだが、結構めちゃくちゃでw、本番に彼らの音を聴きつつ譜面をにらみつつ・・・。いや~~、それでもブラスセクションの醍醐味を味わえて楽しかった~~~。

途中でいきなりソロを渡され、みんなが演奏をやめちゃう一幕も・・・。え~~い、こうなったらやるっきゃない。とノンブレスで吹きまくったら観客が興奮状態に。丁度そこをトシキが撮っていたので、恥ずかしいけれど公開しちゃおう。こちらでは演奏中に観客がカメラでとりまくったり動画を撮ってすぐにFaceBookにアップしちゃうのが平気なのだ。プライバシーがどうのこうの、って言う人は誰もいない。日本とは大きくそこが違うのですが・・・汗。



そして最後のほうは「BEST HIT PARADE」という感じで、興奮して前の方に来て踊り出した観客たち全員がルシアーノ作曲のSKAのテーマを大合唱。トシキもアンコールで2曲演奏し、ヤンヤの喝采を受けていた↓。





演奏後にルシアーノと奥さんが「ぜひ、月曜に家に食事に来てね。」とさっそくご招待いただく。バンドのみんなに誘われたけど、どうか一つにまとめてください(嬉涙)。これじゃ、帰るまで毎日アサード漬けになりそうだああああ(涙)。

別れ際にエルナンに「いろいろと親切にアドバイスしてくれてありがとう!」と御礼を言うと
「僕の方こそ、君たちと出会えた事がどれだけ宝物になったことか。本当にいろいろと勉強になったよ。ありがとう!!」

エルナンの目にうっすらと涙が光っていたのを見て・・・思わず抱きついてほっぺにチュ。素敵なバンド、Sessionesに乾杯!!