minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

キューバ音楽旅行記12 音楽解禁!!

2016年12月28日 | 
待ちに待った解禁の月曜です。朝11時からエミリオたちの「Sonarte」が演奏するというので「Artex」という店に向かいました。

Artexはセスペデス広場のすぐそば。セスペデス広場にもたくさんの人が集まって、なにやら野外ライブが始まっています。昨日までの静けさはどこへやら。一気に街は活気付いて色づきはじめました。これだよ、私たちの待っていたものは。



Artexは外からも丸見えの天井の高い開放感あるカフェでした。毎日日替わりで生演奏が入ります。チャージはなし。何か飲み物をオーダーするだけ。





「Sonarte」の演奏

最初はまばらだったお客がいっきに増えだして立ち見状態。ダンサーがいきなり登場し会場は絶好調!!





突然、エミリオがトシキを呼んだ。そしてベースを交代。



演奏が終わるとヤンヤの喝采。パコもAtzelもみんな大喜び。どうやらトシキのベースは合格だったようですw。





「素晴らしいベースだったよ。よかったら、今度の土曜に野外ライブをやるんで、君たちも参加するかい?」とリーダーのAtzelのお父様(トレスギターの名手)から嬉しいお誘いが。「もちろんです。でも曲をあまり知らないので。」「エミリオたちとリハーサルすればいい。」

じゃあ、またエミリオの家で明日一緒に演奏しよう、ということに。ユキミさんたちは明日帰ってしまうので「いいな〜、みたかったわ〜。」と残念そう。

私たちも何か、彼女たちを喜ばせたい、とアパートの居間を借りてミニミニトレスコンサートを開くことに。
ブラジル曲、タンゴと演奏すると隣のマルガリータさんまでやってきて、大喜び。宿のおばさんも「私は楽器の中でサックスが一番好きなのよ。」と喜んでくださった。ユキミさんもカオルさんも嬉しそうだった。

そして、夕方からダンサーにさっそく話をつけていた彼女たちは「サルサのレッスン」を受けることに。Atzelが付き添いでついてきてくれることに・・・なんていい人なんでしょう。













こうして、音楽とダンス漬けの濃い1日が終了。ユキミさんたちとはここでお別れです。楽しい出会いでした。本当にありがとう。気をつけて帰ってね〜。



さあ、明日はどんなセッションになるんだろう?(つづく)





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キューバ音楽旅行記11 [Yo soy Fidel!!!]

2016年12月27日 | 
ユキミさんたちとの出会いの翌日、私たちはシボネービーチに出かけた。泳ぎたがりの利樹がせっかく暑いサンティアゴにいるのだから、と。まあ、することもないから今のうちに行こう、とさっそく近くでタクシーを拾うことに。

ジープのようなタクシーを20セウセ(約二千円)で雇うと、30分ほどかけてシボネービーチに。つきそいのおじいさんまで同乗し、何時くらいに帰りたい?と聞かれそれまで彼らはぶらぶらと待ってくれるシステムだ。たった20セウセで・・・・ありがたい。


美しい海だった。観光客(ヨーロッパ系)がちらほら。

もどってきてからユキミさんともう一人のイギリス在住の日本人(ダンサー)カオルさんがやってきて一緒に夕食。カオルさんもカストロがなくなった日にハバナに到着し、ダンスや音楽を楽しみにしていたのに〜。と嘆いていた。


みんなで慰めあいながらアイスクリームを食べにw。

翌日がFidel のやってくる日。セスペデス広場には多くの人だかり。ここにはいられない、とみんなが沿道に並んでFidelを待つ。私たちもそこに1時間以上立ちっぱなしでFidelの到着を待った。




セスペデス広場


チリから来たよ、と旗をふるおじさん。


沿道に並ぶ学生たち

こちらが Fidelがやってきたときの動画です。みんなが「Yo soy Fidel! (I am Fidel)」と叫んでいます。

この日の夜に革命公園で最後の葬儀セレモニーが行われるのですが、宿のおばさんたちは「TVで放映するからそれを見るの。」と言っていたので私たちも人混みは疲れるので行くのはやめにしました。ユキミさんたちが行ったのでその写真だけ拝借しました。ありがとうございます。



さあ、解禁まであと1日の辛抱です。つづく。








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キューバ音楽旅行記10 素敵な出会い

2016年12月26日 | 
サンティアゴはハバナよりも田舎だと思ったけれど、店や町並みをみると、ハバナよりもずっと洗練されていて美しかった。観光客がこの地だけを訪れる人も多いというのはわかる気がする。一番嬉しいのは空気がハバナよりも綺麗なことだ。ただ、山に囲まれて起伏が激しいので、坂道だらけ。ちょっと歩くにも山登りをするようで、喘息持ちの私はぜいぜいと辛かった。

上の写真はおしゃれなアイスクリーム屋さん。なんと、2つで10円もしないのだ!!そしてすぐに溶けちゃうけど、めちゃめちゃ美味しかった。

2日目の夕方、セスペデス公園に立ち寄ると、長蛇の列が消えていた。軍の入り口を覗いていると「どうぞどうぞ。」と中に入るように促してくれる。誘われるままにカストロの写真の前でご挨拶してから奥に入って記帳してきた。意外と日本人の名前が漢字でたくさん書かれていたのにはびっくりだった。どうやら記帳できる期間は今日までらしかった。

フィデルの葬儀はハバナから始まって、1週間かけて各主要都市を回り、最終日にここサンティアゴにやってくる。フィデルの故郷でもあるこの地が最終地点ということで、サンティアゴの人々は誇りを持っているようだった。そしてほとんどの人たちが「M 26-7」という腕章をつけていた。(これに関してはこちらをどうぞ。)

閑散としたサンティアゴの街をうろつきながら、夕方からはすることもないので、宿にもどってリハーサル。もちろん小さな音で。宿の人たちは文句一つ言わずに我慢してくれた。感謝。

3日目の朝(12月1日)、いつもの美味しいコーヒーを宿のおじさんが淹れてくれて朝食をとろうとしたとき、「サチ、こっちにきて。」とおばさん。玄関に行ってみるとひとりの日本人女性がキューバ人の男の人と隣の宿のマルガリータと3人で立っていた。

どうやら、日本人が宿泊しているということをマルガリータから聞きつけて訪ねてくれたらしい。そして、横にいるキューバ人を紹介された。

「Atzelというソンバンドのギターリストなの。これから彼と一緒にミュージシャンの家に行くんだけれどよければ一緒に来てもらえませんか?」

静かでやることもないサンティアゴ、こちらこそ願ってもない楽しそうなお誘いに、挨拶もそこそこに彼女たちに着いていくことにした。

ユキミさんという女性は一人でハバナからバスに乗ってやってきたそうだ。(彼女のものすごいエネルギーに脱帽。)もともと茨城でラテンのお店(クラーベ)で働いていたこともあって、ご自分もパーカッションを演奏するそう。

今回、突然のフィデルの訃報で音楽がなくてつまらないサンティアゴで途方にくれ、FBで友人に「誰かミュージシャンを紹介してくれないか?」と頼んだところ、Atzel(アッツエル)を紹介され、電話するとすぐに会いに来てくれたそう。彼はユキミさんの友人(日本人)のCDをここサンティアゴで製作したときに共演した音楽仲間だった。そして、やはりマルゲリータに宿泊予定だったのに、なぜか他の宿に移されてしまったらしい。

歩いて5分くらいの場所にある家に入っていくと、優しそうな大柄の男性が出迎えてくれた。EmilioというAtzelたちのバンドのベーシストだった。


ベーシスト同士で話がはずむ。



Emilioの書斎のような部屋に入ると大きなWindowsの画面とキーボードが置いてある。たくさんの音楽をこのPCで聞かせてくれ、さらに彼らの録音中の音源まで聞かせてもらった。しばらくすると、ヤ〜!とパコというパーカッショニストがボンゴを持ってやってきた。ユキミさんがぜひボンゴを習いたい、とAtzelにお願いしていたらしい。ミュージシャンたちが集い、賑やかに。いきなり面白い展開になってきたぞ。


ユキミさんとレッスン


歌舞音曲禁止期間なので小さく叩くパコ

私たちも「SON」という音楽を深く知りたいと思っていたので、「SONARTE」というソンバンドのギター、ベース、パーカッションといきなりお友達になれ、様々なリズムの質問などをして、彼らも真剣に答えてくれる。時には3人の意見が食い違って喧々諤々になることも・・・。久しぶりに音楽に触れた喜びもあり、楽しくて楽しくてあっという間に夜になってしまった。





お礼を言って帰ろうとすると「4日(日曜)まではフィデルの葬儀で音も出せないし、忙しいけど月曜の11時から「Altec」というカフェで演奏するからおいでね!!」モッチロン!とお礼を言って別れた。

素晴らしい出会いに感謝の日。ユキミさん、本当にありがとう!!



月曜には音楽が解禁になる。そして、ユキミさんはその翌日の深夜バス(!)でハバナへ戻るそう。ああ、早く月曜(5日)にならないかなあ。あと少しの辛抱だ・・・。(つづく)









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キューバ音楽旅行記9 静かなるサンティアゴデクーバ

2016年12月26日 | 
フィデル・カストロの訃報から3日目、ちょうどハバナで葬儀の式典が行われる日にサンティアゴ・デ・クーバに移動したのだが、宿は街の中心街、サンティアゴの中で唯一歩行者天国の通りのすぐ脇にあった。


宿はやはり愛知県のベーシストBさんのおすすめで、マルガリータという女主人の宿を予約していたのだが、行ってみると2階のマルガリータの向かい側の家に通された。どうやらマルガリータの部屋が工事中で2部屋貸すことが無理だったようだ。

とても気さくな優しいおばさんとおじさんが出迎えてくれ、ここで2週間お世話になることに。到着が昼過ぎだったので、さっそく街を散策にでかけることにした。














初めての場所で知り合いも誰もいない。普段のサンティアゴと比較できるわけではなかったが、歩行者天国の通りの店も昼間なのにシャッターが閉まっている店が多かったし、閑散とした感じだった。音楽の都サンティアゴに来て、1週間はこのような状態なのか・・・と愕然とした。








歩行者天国通りの先に、セスペデス広場(公園)があった。軍の建物に長蛇の列ができていた。学生服を着た子供達、花をもつおばさん、おじいさん、みんながカストロの死を悲しみ、記帳に訪れているのだ。






夜の散歩もこのとおり。さらにわかったことは「お酒も禁止」なのだった。もちろん、スーパーなどでもお酒を売ってくれない。こっそりビールを出してくれるお店を見つけたのでトシキたちはそこに入り浸ることになったが・・・(汗)。音楽とラムで溢れているはずのこの街が・・・・まるで街全体が気の抜けたコーラのような感じだった。さあて、あと1週間、どうやって過ごそうか。(つづく)


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キューバ音楽旅行記8 キューバ危機?!!

2016年12月25日 | 
ハバナからサンティアゴ行きの飛行機を日本でおさえておらず、ハバナに来てからで大丈夫と安心していたら、これがなかなかとれなかった。それでもなんとかトシキとRIOがネットで必死に探しだし「エアロ・ガビオータ」という聞いたことのない航空会社のチケットを予約できた。

早朝、約束の時間より30分も早く迎えの車がやってきて私たちは叩き起こされるようにして、お世話になった宿に別れを告げた。

今日はFidelの葬儀の当日。式典が革命広場で開かれるというので大きなタクシーは1台も予約できず、また道路の混雑も考えてオンボロ車2台が早めに迎えにきたのだった。

大きな荷物はハバナの次の宿に預けて、それでもスーツケース1個、楽器(ベース、アンプ、バリトン)になった。手荷物もなるべく少なくということで、サックスが2本。小さい飛行機なのであまり多いと超過料金もばかにならないだろう、と思ってできるだけ身軽に、という対策。

ハバナの国内線の飛行場に思ったより早く到着した私たちは、1時間ほど待たされて、ようやくチケットカウンターへ。そこで荷物を預けたが超過料金もなにも言われなかった。毎回ここでハラハラドキドキなのだ。日本からキューバに来たのはエアロ・メヒコという会社だったが、大きさに関係なく楽器1個につき55ドルとられた。(2個で110ドル!)これくらいは想定内。(アルゼンチン行きのエミレーツでは1つの便につき15000円もとられた)。

無事荷物を預けられてほっとしながら、搭乗口の検査のところにいくと、突然、私のサックスを指差し「これはなに?楽器?だめだめ。もう一度カウンターに預けてきて。」と拒否された。ひえ〜〜〜〜、いままで自分のサックスを手荷物で持って入れなかったことなどなかったからびっくり。しかも、預けるつもりじゃないので、弱いケースに入れてあるだけなのだ。ど、ど、どうしよ〜〜〜〜涙。泣きそうになりながら、検査のおじさんに頼み込んでも「ダメダメ。」と言うばかり。どうやら、大きさとか重量は関係なく金属類が全てだめらしい。私にとって最大のピンチが訪れた。

私のケースはちょっとでもコツンとあたっただけでサックスに影響がでる。以前、ブラジルに行ってバスの荷台から転がり落ち、ソプラノがひん曲がってしまったことがあった。嫌な予感がする。

しかもこんな場所で梱包の道具もない。涙目で係員に「これ、すご〜〜〜くデリケートなの。大切に扱ってください。」とFrangleのシールをベタベタと貼ってもらって・・・・後ろ髪をひかれる思いでサックスたちとしばしのお別れ。こうなったら神に祈るしかない。これが本当の「キューバ危機!」なんて冗談を言ってる余裕もなかった。



飛行機を見たら、小さなプロペラ機だった。中に入ると男の乗務員がと飴を手渡しながら「ここはFreeだから好きな席に座って。」告げた。自由席の飛行機なんて初めてだ。

こんな小さな飛行機の中にあんな大きなバリトンやベースを超過料金もとられずに入れてもらったのかと思うとなんだか申し訳ない気持ちになってきた。

サンティアゴはキューバの中でも一番南のはじっこ。「ソン」という音楽の発祥の地であり、ちょっと行けばジャマイカ。飛行機から見えるサンティアゴの街は美しい島の中にあって、山の多い土地だった。





2時間ほどでサンティアゴ・デ・クーバの小さな飛行場に到着。荷物受け取りのベルトコンベアーが動き出した。少しでもガタンとしないようになんとか受け止めねば、と一番先頭のところで食い入るように荷物が出てくるのを待っていた。

すると、違うドアからおじさんが私のサックスを1本づつ大事そうにかかえて持ってきてくれるではないか。おおお、なんと優しい。これだけで一気にサンティアゴの人が大好きになってしまった。

大荷物の私たちが一番最後に飛行場を出ると、「タクシー?」と聞いてくる男の人。「この大荷物だけど、大丈夫?」と聞くと「 OK!」と車を取りに走り出した。

オンボロで小さなセドリックのような車が一台目の前に。これにどうやって、全部乗せるの?無理でしょう?と思っていたら、おじさんはあれよあれよという間にベースとバリトンを屋根にくくりつけ、唖然とする私たちを乗せて颯爽と走り出した。



「ここは山に囲まれた美しい街だよ。ようこそ。」

そういえば、ハバナで臭かった排気ガスの匂いもない。気温もずっと暑くてようやく泳ぎたい、と思える気温になってきた。すれ違うのが馬車!というのにもびっくりした。ハバナよりも田舎でのどかな空気が町中に充満しているようだった。さあ、この街ではどんな出会いが待っているんだろう。(つづく)










セスペレス広場













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キューバ音楽旅行記7 もう一つのジャズクラブ

2016年12月25日 | 環境
ハバナで有名なジャズクラブは、セサルが出演している「Jazz Cafe」ともうひとつ「Jazz Club La Zorra Y El Cuervo(ソーライクエルボ)」がある。

ソーライクエルボは宿から歩いて10分くらいの場所にあったので、一度寄ってみようとスケジュールを覗くと「ゲストにOliver Baldes」とあるではないか。これはチャンス!とばかり行ってみると様子がおかしい。どうやら出演者が変更になったようだ。

若手のテナー奏者がセッションのような感じのジャズを演奏している。決して下手ではないが、シーツオブサウンド(コルトレーン)をやたらに追求しているだけのつまらない音楽に聞こえた。せっかく来たのに普通のジャムセッションではがっかりだ。(もともとジャムセッションが苦手な私w。)入場料は5セウセ(ドリンク2杯つき)。ドラムはカノウプスだったのでびっくりしたが、どうやら日本からカノウプスが寄付したらしい。



キーボードの音が耳につんざくほどうるさく、テナーは音が小さく、音のバランスが悪くて、なんとか最初は我慢して聴いていたがRIOは耐えられなくなって「もう帰るよ。」と1セットが終わったら帰る支度を始めた。

私はこのお店でトレスのライブができないものかと思っていたので、帰ろうとするRIOに一緒についてきてもらい、出演交渉をするためにTReSのCDを持参し店のマネジャーに会いに行った。

「へー、Jazz Cafeでセサル・ロペスの前座で演奏したのかい?ちょうど来月(12月)の15日からジャズフェスティバルが開催され、海外からもたくさんミュージシャンが参加するんだ。もしかするとそこに絡められるかもしれないな。ブッキングマネジャーが明日いるので話しておくからまた明日いらっしゃい。」

サンティアゴからもどってくるのが12/13なのだ。なんというタイミングだろうか。さっそく翌日、黒人のWoldoというブッキングマネジャーに会いに行くと「ああ、きみたちか。CDを聞いたよ。16日の2バンド目だったら出演させてもいいよ。30分くらいだけどね。」とあっさり決定。

12/16は3つのバンドが出演することになった。やった〜!!! こんなにトントン拍子で出演できることになるなんて。ジャズフェスの時期がぴったりハバナにもどってくる時期にあっていたのも本当にラッキーなことだった。

これで、心置きなくサンティアゴへ向かうこととなった。しかし、サンティアゴ・デ・クーバもまったく知り合いがいない。河野さんのように頼れる日本人もいなければ知り合いのミュージシャンもなんの情報もない。不安だけれど宿だけはおさえていたので・・・これもあたってくだけろ、なんとかなるさの精神だ。









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キューバ音楽旅行記6 キューバのバテリスタたち

2016年12月25日 | 
サンティアゴに行く話の前に、ハバナ(前半)で出会った凄いドラマーたち(バテリスタ)を動画つきで紹介しておきます。本当にこちらはパーカッションとドラマーの宝庫。

最初に、ちょうど私たちがセサルバンドに飛び入りした日くらいから、1週間ほど音楽大学の学生たちによるコンテストなるものが開かれていた。河野さんからスケジュール表をいただき、さらに招待券までいただいてしまった。

学生たちに混じって、プロの演奏家のライブもあるらしい。おすすめはどれですか?と河野さんに尋ねると「Oliver Baldesというドラマーがキューバで2番目に素晴らしいのでぜひご覧になっては?」ドラマー好きの私としてはぜひ見なくてはw。

Oliverのライブが夜中の11時からだったので、その前に夕方行われている「ロスハルディネス・デ・ラ・メシャ」(通称/ハルディン)で学生バンドの演奏を聴きに行くことにした。





ハルディンはテアトロナショナルというホールの横にある庭のようなスペース。ステージがセッティングされ、ベンチが適当におかれて好きなところに座って聴く。ステージ横でチキンのアサードを焼いていて、これがとても美味しかった。

学生バンドの演奏が始まった。キーボードのリーダーの男の子とドラムの デュオから始まった。とてもテクニックはあるのだが、曲がいまひとつ面白くない。テクニックばかりが目立つので音楽が楽しくないのだ。むむむ。そこにギター、ベースの若者達も加わってバンドになってきた。がんばれ〜、と見守っていると、途中でドラムの青年がマイクで誰かを呼んでいる。

黒人のキーボードとドラマーがステージにあがり、彼らの演奏の途中で交代。キーボードがソロを取り出したとたんにあたりの景色が変わった(ような気がした)。そしてドラマーのソロになったら・・・・・もう素晴らしすぎて声もでなかった。こんな凄いドラマーがいるのか?キューバ恐るべし。

大興奮の演奏後、私たちはさっそく彼らに声をかけた。ロランド・ルナpとロドニー・バレットdrだった。


ブエナビスタのピアニストとして活躍中のロランド・ルナp



ロランドに話を聞けば、ロドニーと共にこのコンテストの審査員なのだそう。彼のライブはしばらくキューバではないらしい。国家公務員だから安い仕事はしないのだろう。

「今度日本にブエナビスタで行くと思うよ。」

ロドニーの予定は?と聞くと「12/15にチューチョ・バルデスのバンドで叩く予定だ。」とのこと。わ〜、これは絶対に行きたい。なんとしてでも。

その時の映像。ロランド・ルナ
ロドニー・バレット


興奮さめやらぬまま、深夜は「ファブリカ・デ・アルテ」に向かった。会場には多くの人たちがごった返して行列をなしていた。が、私たちはいただいた招待券をちらつかせるとすぐに受付に入れてくれた。まるで水戸黄門の印籠のようだ。

そこで2セウセを払って入場(学生バンドではないので無料ではないが、200円ちょっと)。会場内もたくさんの人、人、人。中にいくつもライブ会場があって・・・動物的カンを働かせ、ずんずん奥へ入っていくとオリバーのグループが始まる直前だった。

トランペット、キーボード、ウッドベース、ギターにOliverという編成。途中でラップ、テナーが参加し、素晴らしいオリジナルばかりだった。



Olverのソロ

またまた凄いバテリスタを聴いてしまった。彼が2番目だと河野さんは言っていたが、じゃあ、一番は誰なんだろう・・・?と思っていたが、あとから聞いたら、「1番はロドニー・バレットです。」と。なんと、偶然にもこの日、1、2を争うドラマー2人を両方とも聴いてしまった訳だ。わはは〜。(つづく)

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キューバ音楽旅行記5 TReSデビューとフィデルの死

2016年12月25日 | 
今回の滞在は2週間ハバナ、2週間サンティアゴ・デ・クーバ、1週間ハバナ、の合計5週間。

サンティアゴに移る2日前の金曜日、セサルから「TReSで演奏していいよ。」と許可を頂き、ついにJazz CafeでTReSが演奏できることとなった。


Jazz Cafeに行く前に、夕方からハルディンという庭で演奏するからきませんか、という河野さんのお誘いがあったので、またしてもダブルヘッダーに。河野バンドのキーボードの黒人が演奏あとに大喜びで「まるでNYからきたミュージシャンと演奏しているようだったよ。」と抱きしめてくれた。楽しいライブだった。河野さんも「これからもいろいろな店でどんどん、飛び入りして暴れてくださいw。」



そこからてくてくとJazz Cafeに向かった。ちょっと早めに入ってトシキも日本から持ってきたエレクトリックアップライトベースをセッティング。セサルたちもいつもより早めに到着した。

「さあ、いつでもいいよ。もう始める?30分くらいあげるから好きなように。」

はじめは2曲くらいかと思っていたので嬉しかった。もうすでにお客様たちが入り始めていたのでさっそくRIOがスペイン語でセサルとの出会いなどを話しながら演奏させてもらった。お客様も大喜び。最後は伝家の宝刀まで飛び出して(苦笑)、たった30分間だったが、やり尽くした。

舞台を降りると、セサルが熱い抱擁で迎えてくれた。セサルバンドのギター、エミリオも私たちの写真をバシバシ撮ってくれていた。さらにご機嫌になっている一人のキューバ人を紹介された。

「彼は有名なバテリスタ(ドラマー)だよ。オラシオっていうんだ。」はじめはピンとこなかったのだが、オラシオはニコニコと「初めまして。素晴らしかったよ。僕は日本にもなんども行ったことがあるよ。ペトリチアーニとかゴンザロのバンドにもいたんだ。」

だんだん、会話していくうちに・・・・ああああ、あの私の愛聴盤、キップハンラハンの「Deep Rumba」のオラシオ・フェルナンデスだった!!!きゃ〜〜〜。といきなりミーハーに。「私もブルーノートであなたを見ました。」それからの会話もずんずん弾んで・・彼は西海岸とNYとキューバに家があり、セサルとは大の仲良しで今回はキューバに恋人に会いに、そして練習を兼ねて戻ってきていたそうだ。大好きなDeep RumbaのCDの話になると、「あのとき、俺は精神病にかかっていたんだ。」などと凄い話まで。だからあんなに狂気に孕んだドラミングだったのね。素晴らしい出会いになった。セサルにも感謝。


オラシオと。



このあと、セサルたちのものすごいライブが行われたのは言うまでもない。面白いことに、どんなに拍手が来ても一切キューバではアンコールがない。その代わり、BGMでビリージョエルの「素顔のままで」がかかると、楽器を慌ててとりだして、おどけながらマイクに向かってフィル・ウッズのソロを一緒に(完全コピーで)吹き切ってヤンヤの喝采。さすがですw。

楽しいライブも終了し、オラシオたちとの会話もつきなかったのだがそろそろ帰ろうか、と立ち上がったとき、入り口近くのバーのテレビの音が大きく流れ、お客もミュージシャンも全員がニュースを見ることに。そこには「フィデル・カストロがなくなりました。」との報道が流れていたのだった。

その場に居合わせた人たち(観光客も多かったが)全員が「オ〜!」とショックを表して悲しんでいた。なんだか大変なことになったようだな、とうっすら思ったけれどどうしようもない。みんなに挨拶をしてJazz Cafeを後にしたのは深夜だった。

一晩あけて、宿泊の居間ではおばあちゃんたちがみんなテレビを見ていた。ニュースによれば、明日は葬儀が革命広場で行われるそうだ。ものすごい人になるだろう。

その日はギターリストのエミリオが家に招待してくれていたので昼に待ち合わせをしていた。エミリオに会うと、「今日から9日間、歌舞音曲が中止になったよ。」とのこと。

今日の夜もナショナルホテルのロビーで演奏させてもらうことになっていたのだが、それも一切中止ということだ。しかも今日はイタリアからドミンゴがやってきて始めてキューバで歌うということで話題になっていたのだが、当然それも中止だ。

ハバナ大学の前を通ると、学生たちが大勢集まりカストロ追悼の集会(動画あり)をやっていた。



エミリオの家でたくさん音楽を聴かせてもらって食事をして戻る。「9日間、いいバケーションになったよw。」とエミリオは平然として言った。ま、そんなもんかなw。相変わらず街じゅうのテレビではカストロ報道番組が流れていた。



明日の葬儀の日に私たちはサンティアゴ・デ・クーバに出発だ。(つづく)

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キューバ音楽旅行記4 キューバの音楽教育

2016年12月24日 | 
日曜日、セサルの家に招待していただいた私たちは全員、楽器を持参してイソイソと出かけた。

それにしてもキューバの人たちで「セサル・ロペス」を知らない人はいないくらいのトップクラスの音楽家だった。彼の名前を出せばタクシー運転手すら知っていて家に連れて行ってくれた。(このあとも様々な場所でセサルの名前を聞くことになる)。

川向こうのプラヤという海岸のそばの高級住宅街の中にセサルの家はあった。こちらの音楽家たちは国家公務員で、セサルのようなトップレベルの音楽家には国から家も提供してもらえるそうな。

庭のついた素敵な家で1階の広々とした日当たりの良いリビングでセサルの息子が宿題をやっていた。





彼も小学5年になり、試験に受かってサックス課の生徒になったばかりだそう。こちらの小学校は楽器によるそうだが、サックスは5年生から入れる。それまでは普通の小学校。音楽やスポーツに長けている子供はそれぞれが難しい試験を受けて途中から専門家に進学するのだそう。この国(社会主義国)の学校と医療は全て無料である。

宿題をすませ、セサルが息子のレッスンを始めた。始めたばかりなのに、すごく良い音を出している。さすが、カエルの子。教則本をのぞくと全て手書きのものだった。



セサルは最初、ギターが弾きたくて音楽学校を受験した。たまたま試験管の教師がサックスで、入学して学校に行くと自分の名前がギター課になかった。どうやら教師が勝手にサックス課に入れてしまったらしい。セサルは「サックスなんてやりたくない。」と学校の寮を抜け出し家に戻ると、そのまま父親に説得され学校に戻された。次に家に戻ったときに父親がチャーリーパーカーのレコードを聴かせてくれて、それからサックスが大好きになった。(と、何かのインタビュー記事に書いてあった。)

セサルは優秀な成績をおさめつつも、チューチョバルデスに引き抜かれ、学校は中退。そのまま「イラケレ」に入って10年間メンバーとして君臨することになる。学校で優秀な成績を収めたり、試験に合格しないと、プロとして(国家公務員)認められない。(しかし、国家公務員としての給料もたかが知れているので、他の職業を持ったり、セサルのような一流になれば海外公演などが大きな収入源となるようだ。)


レッスンのあとは、聖子さんの美味しいキューバの家庭料理をご馳走になった。今までずっと外食でハンバーガー、パスタ、ピザばかりだったのでこんな美味しい料理は初めてでとても感動。野菜たっぷりのサラダにキューバのコングリという豆のシチューをごはんにかけて食べる。じゃがいもは配給制でなかなか入手できないので代わりにバナナやサツマイモを揚げたもの。そしてまるごとチキンのフライ。いや〜絶品でした!!ごちそうさま〜。




食後のハマキをご馳走してくれるセサル。


ご馳走のあとは、お待ちかねのジャムセッション。いつの間にか、セサルの音楽学校での教師(彼がセサルをサックス課に入れた本人か?)が遊びに来ている。彼は今や息子の先生だそう。

2階のセサルの書斎にいくと、PC画面に自分の作曲した曲をフィナーレで打ち込んであり、壮大な、美しい曲をたくさん聴かせてくれた。それに合わせて歌も歌い、サックスでソロもとる・・・。す、すごすぎる。唖然とする私たち。そしてついにセッションが始まった。圧倒的なテクニックと音楽性のすばらしさに自分の演奏が嫌になる。

まずはこちらをごらんください。
セサルと永田利樹bassのセッション動画/Just Friends

All the things you are 、Just Friends、黒いオルフェなどを演奏し、In a sentimental moodを吹いたときだけ、セサルと師匠の拍手が起こった。ようやく自分らしい演奏ができたようだ(汗)。

セサルによれば、音楽学校ではクラシックだけを勉強するらしい。ジャズやラテン音楽などは一切教わっていないそう。チャーリーパーカーなど、いろいろな音楽を聴いてコピーして覚えたに違いない。このあともいろいろなキューバのミュージシャンの演奏を聴くことになるが、ことごとく根底にクラシックが流れているのがわかった。チューチョバルデスpがラテンの曲の中でチャイコフスキーを弾いたり、ドラマーたちが譜面を見ながら打楽器協奏曲を叩くなど・・・。恐るべし、キューバの音楽教育。



そして、最後に「TReSの演奏を聴いてもらえますか?」とお願いし、PiazzollaとNimba(トシキのオリジナル)を聞いてもらった。

帰り際に、セサルは「来週の金曜のJazz Cafeで自分たちの演奏の前に2、3曲TReSで演奏していいよ。」

ついに、TReSでデビューする日が決定したのだった!!!(つづく)




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キューバ音楽旅行記3  セサル・ロペスとの出会い

2016年12月24日 | ライブとミュージシャンたち
セサルとの出会いはちょうど2年前の今頃だった。ブエノスアイレス国際ジャズフェスティバルに出演していた私たちは、ちょうど同じフェスに出演するセサルの演奏を聴きに行った。セサルの奥様が日本人だから、と知人にFBで紹介されたので聴きに行ったのだった。小柄だがテクニックとパワー全開の素晴らしい演奏に圧倒され、パキートなき(亡命したからね)イラケレを支えていたのは彼だったのね、と認識した。しかし、このときは大きなホールだったので直接セサルにご挨拶はできなかった。

そんな関係で、今回も日本から奥様にメールを出していたが「いらっしゃるなら、ぜひ我が家にも来てくださいね。ご馳走しますよ。」などと嬉しいお返事をいただき、セサルが毎週末にJazz Cafeに出演していることも教えてくださったので、さっそく金曜に行くことにしていたのだ。まさか、見ず知らずの私たちに楽器を持っていらっしゃい、なんて嬉しいことを言ってもらえるとは思わなかった。楽器を吹くチャンスがとうとう訪れるなんて。しかもセサルといえば、キューバのトッププレイヤーなのだ。胸のドキドキが止まらない。

まずは金曜の昼3時過ぎに、約束通り、私とリオは楽器を持ってホテルセビージャに出かけた。初めてソンという音楽の中で3、4曲演奏したのだが、曲を知らずに彼らについていくのは結構大変だった。中でソロをとるのは比較的単純なコード進行なので難しくはないのだが、リズムをとるのが思ったより大変なのだ。途中でコンガのおじさんがバックリフを口ずさんで「こうやって吹け」と合図を送ってくる。これがまた難しいのですぐにその通りには吹けない。冷や汗かきつつ、ソンの奥深さも知ることができ、もっともっとこの音楽を知りたいと思い、彼らにお礼を言ってから「リハーサルをやっているのならぜひ私たちも参加させてほしい」と告げると「じゃあ、来週の水曜あたりにベーシストの家でディナー食べながらリハーサルやろう!水曜の朝にここで待ち合わせしよう。」と言ってくれた。(しかし、残念なことに前日に確認しにいくと、ベーシストの母親が倒れた、とのことでこのリハーサル&ディナーは延期となってしまった。)





そして、いよいよ夜の9時半過ぎ、Jazz Cafeに到着してもまだセサルたちは現れなかった。本来は9時半から始まり、2セットあると書いてあるが、セサルのバンドは10:30に始まって1セットで終了するのだった。お客様たちは文句も言わず飲んで食べて待っている。私たちもドキドキしながらセサルを待った。一体何を一緒に演奏できるのだろうか?

セサルと奥様の聖子さんがやってきた。聖子さんは想像以上に美しい、とても気さくな方だった。セサルを紹介してもらうと「ニホン、ダイスキデス!オス!」とひょうきんに挨拶。一緒に何を演奏しようかと悩んでいるうちに「じゃあ、簡単なコードの曲をやるので適当に入ってきて。」ということにw。悩んでも仕方ない。了解しました!と打ち合わせもソコソコに、セサルバンドの演奏が開始。

これが凄いのなんのって・・・・。いや〜、こんな方達の中で演奏させてもらっていいのだろうか?とハラハラしながら演奏を聴いていたら4曲目くらいに「次にやるよ。」とセサルからの合図。さっそく楽器を取り出し準備を始める。



ファンキーなブルースだった。セサルのオリジナルだろう。リオもこういう曲が大好きなので思い切り堂々と演奏していた。観光客もみんなヤンヤの拍手を送ってくれる。ありがたや。さらに最後の方でもう一曲やろう、とセサルのお呼びがかかる。ハンコックの曲だった。結局2曲演奏させてもらった。

セサルのバンドのギターリスト、エミリオがとても親切な人で、演奏後もいろいろとおしゃべりし意気投合。なんと、彼の奥様も日本人で、今は仕事で東京の実家にいるそうな。今度の1月に東京に彼女を迎えに行くらしい。「東京でも会いましょう!」

セサルさんも喜んでくれたよう。聖子さんが「あさっての日曜のお昼に我が家にいらっしゃいませんか。」とランチに招待してくださった。楽器を持って伺います!とまたまた図々しくも約束して・・・(つづく)。

















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