minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

たまには月でも眺めましょ

2011年09月30日 | 環境
『原子力戦争』上映会の時、友人が「この近所に面白い飲み屋があるの。一緒に行かない?」

と誘われて行ったのが「たまには月でも眺めましょ」というお店だった。みんなは「たまツキさん」と呼んでいる。

マスターの高坂さんは食材にも気を使い、千葉でお米を作ったり自給自足をめざして、小さなお店から世の中を変えて行こうとしている若者。狭い店内が若い人たちで一杯。入り口で靴を脱いで上がる。

もともと某ミュージシャンの付き人をやっていたそうで、ミュージシャンのように好きな事だけやって最小限のお金を稼いで豊かな人生を送れればいいじゃない、という発想からこの店を始めたそうだ。今や『脱サラリーマン』や『脱原発』の話をしにくる人たちが沢山集まって来ている。いろいろな大学に喚ばれてセミナーも行っているし、ラジオなどにも出演、さらに本も出している。

こんなに近所にこんな素敵なお店があったなんて・・・全く気がつかなかった。ネオンもなければ立て看板すらない。看板も注意して見ないとわからない程度だから、教えてくれた友人に感謝。でももう7年になるそうだ。そしてあと2年くらいでこのお店はFade Outして、畑のある千葉へ移住していこうと計画中らしい。Fade Outというのは、自分の思っている以上の儲けをださないように週1の休みを現在週2(日、月)に増やし、さらにどんどん増やして行こうという事らしい。

昨日は音楽好きの高坂さんから「お薦めのCDを持って来てください。買わせて貰います。」と約束していたので、ぺーぱーむーんで飲んだ後に、友人とタマツキさんで合流。放射能の話とか商店街の活性化の話とか、普段絶対しないような池袋北口界隈の話などで盛り上がっていたら・・・ぺーぱーむーんのイッキさんも顔を出した。

「やっぱ、気になったから来てみた~~~!」

とっくに12時の閉店時間は過ぎていたけど、イッキさんはいきなり「親子丼」を注文。てな訳でたまツキさんで音楽の話から原発の話まで、1時半まで盛り上がり。

イッキ「俺も店を始めた頃は30代だったもんな~。こういう場所を作る事が大事なんだよ。」

などと今の若者たちを面白がっていた。帰りに看板を見て・・・「あ、俺の店も・・・月だ。」紙の月とたま月の共通点を発見してニコニコ。そしてお月様もニコニコ笑っていた・・・w。


たまツキブログ

金曜はオールナイトだあ!

2011年09月28日 | 環境
あさっての金曜は銀座Blue Eyesで吉田桂一key、永田利樹bの黄金mingaトリオです。minga3としてオリジナルもバンバンやりま~す。ワールドミュージックも!!気軽に遊びにいらしてくださいね。

そして、そのあと夜中はなんと、目白椿山荘(フォーシーズンホテル)のボールルームで「Disco Night」にゲスト出演いたします。(夜中12時半頃)

し、しかし今頃「Disco」って言葉は生きているのね~~~。夜8時スタートで夜中の2時くらいまでバンドでDJで踊りまくろう!という内容だそうですが、どんなお客様がくるんだろうな~???私たちくらいの年齢層か???それとも若い世代???謎は深まるばかり。またここでご報告したいと思います。

とにかく、ダブルヘッターなので体力つけて頑張ります。

プールでがんがん泳がなくては。「母ちゃん、練習しないの?」って息子に言われ続けているけど・・・汗。あああ、私にもドルフィーやコルトレーンの霊が取り付いてくれないかしらん。


芸術の秋、音楽を聴きまくろう。

2011年09月27日 | 音楽&CD
度重なる訃報。もうこれ以上落ち込んでいられない。いつ自分が倒れても悔いのないように生きたい。まだまだやりたい事が一杯あるから、それをひとつづつクリアしていくしかない・・・。

それにしても、悲しい時、くじけそうになった時、一番力になってくれるのは「音楽」。つらい時に癒してくれるものは「音楽」だ。という事でいろいろなCDをがんがん聴いたりしている。レイ・チャールズのアルトサックスにも驚いたけど、

「こんなエリックドルフィーもあるんだね、知っていた?」

とトシキがyoutubeで発見したJohn Lewis&Eric Dolphy 「April in Paris」。

殆どビーバップフレーズでサックスを吹いている。しかもめちゃめちゃ上手い。アウトしそうでアウトしない。普段のドルフィーとは少し趣きが違うのだが、あの太い音は完全にドルフィーだ。1965年。

「ドルフィーは暇さえあれば練習していたよ。キミトチガッテネ(笑)!」

あの、マル・ウォルドロンの言葉を思い出す・・・。むむむ。練習せねば。芸術の秋!




ドルフィーの演奏は4:30あたりから。


安らかに眠れ・・・。

2011年09月23日 | 環境
ベースの是安則克さんが急逝された。朝起きたらもう冷たくなっていらしたそうだ。心臓発作だろうか??・・・・信じられないよぉ。

先月NYから帰国した小笠原みゆきさんのバンドで2日間ご一緒したばかりだった。

若い頃の是安さんはジャコ・パストリアスに少し面影が似ていて彫りの深い顔立ち。噂によるとロシア人の血が1/4少し混じっているって・・・本人から聞きそびれたので真偽はわからないけど。

チャーリーへイデンのような太い音で、演奏スタイルもゆらゆらと体とベースを揺らしながら演奏する。若い頃は本当に近寄りがたい雰囲気を持ったベーシストだったが、近寄ってみるともの凄く優しいお兄さんのような存在。一緒にヨーロッパツアーで大型バスに乗ってあちこち回ったり(あちらは林栄一さんのバンドで)した事もあり、あまり多くは競演していないのにたまに会うと「オッス、永田は元気?」と親しみ易い笑顔で挨拶してくれた・・・。

「是安さんって、もの凄く優しい人ですね。仏様みたい~。」
「え?俺?そんなことね~よ。」

最後となってしまったあけたの店での何気なく言った私の一言。自分がいつもあけたの店の専用駐車場を使っているのに、「今日はさっちゃん、停めていいよ、俺、コインパーキングに入れてくるから。」とわざわざ私の車を停められるようにして下さった。前日も方向が全く違うくるみさんを家まで送り届けてあげた。なんて優しい人なんだろう!と感動していたのに、本当の仏様になってしまうなんて・・・。あまりにも突然過ぎるよ、是安さん。どうぞ天国で安らかにお休みください。

★通夜式9月25日18時より19時/告別式9月26日11時より12時 東都アールホール
〒191-0062東京都日野市多摩平6-25-2 
tel 042-583-6565 (生花、花輪のご用命、その他お問い合わせ) fax 042-584-6565


是安さんの事を考えながら下北沢Lady Janeへ向かった。車を運転しながら、突然、涙が溢れてきた。なんでこんなに次々と素敵な人が亡くなって行くんだろう。自分たちが生きている事も不思議な事なのかも知れない・・・。こうなったら好きな事をどんどんやってしまおう。そんな気になる。いつ死んだって悔いのないように。


「映画芸術」という雑誌で「原田芳雄追悼特集」を企画、その中で歌手としての芳雄さんについて語る、という事で宇崎竜童さん、山崎ハコさん、そして私の3人が選ばれたのだ。レディジェーンの大木さんが進行役を勤めて下さって話はあちらこちらに飛びつつも盛りだくさん。3時間に渡る座談会になってしまった。

宇崎さんと芳雄さんとの縁、ハコさんと芳雄さんとの縁、全てがあまりに偶然のような、それでいて目にみえない赤い糸のようなもので結ばれていた。

「芳雄さんは「縁/えにし」というものを凄く大事にしていましたよね」と宇崎さん。
「そう、私の歌を演歌と書くなら縁歌、って漢字を使うといいぞ。ってアドバイスを下さったの。」とハコさん。

もの凄く興味深いお話が沢山聞けて有意義な時間を過ごさせて頂きました。

「来年の229(芳雄さんのバースデイライブ)で競演できるのを楽しみにしています!」座談会は無事終了。「映画芸術」は10/30に発売される。


武藤類子さんのスピーチ@さようなら原発5万人集会

2011年09月23日 | 環境
みなさんこんにちは。福島から参りました。 今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。
初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。

 はじめに申し上げたい事があります。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。
 それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
 そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。

 皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。
 3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。
すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させない?畑をたがやす、たがやさない?なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択がありました。
 そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、

・真実は隠されるのだ
・国は国民を守らないのだ
・事故はいまだに終わらないのだ
・福島県民は核の実験材料にされるのだ
・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
・私たちは棄てられたのだ

 私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。

でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。

福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
 

・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・

・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・

・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが・・・

・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・

・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・
・ひとりひとりの市民が・・・ 



国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。

私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。

私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。

私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。

 もうひとつ、お話したいことがあります。

それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 
ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
 たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。

さよなら原発 「ハイロアクション福島」・武藤類子

この映像の37分くらいから登場です。


踏んだり蹴ったり捻挫したり。

2011年09月22日 | 家族の日常
昨日の台風が嘘のように今朝は晴れ渡っている。各地での被害が心配だが、本当にもの凄い風だった。シャッターを降ろした商店街のトタン屋根がベリベリっとはがれ、ガランガランと音をたてて飛んで行く・・・こんな台風生まれて初めてかも。

私は3日前から風邪っぽく、咳が止まらず、そのまま映画館へ行ってしまった事もあり遂に熱が出てダウン。月曜、火曜と芳雄さんの映画でみたいものがあったのに行く事ができなかった(涙)。誰か私のチケット1枚(1000円)買ってくれないかしらん。3回券を買ったのにあと1回は・・・行けそうもない。ラテンビート映画祭にも行きたいのになあ・・・。

楽しみにしていた仕事が一つキャンセルになり、さらにダブルブッキングが発覚。10/15(昼)の予定だったサムタイムが29日となっていて・・・。という訳で来月のサムタイムはありませんのでご注意ください。とほほ。

さらにさらに昨日の夜、ガス栓に蹴つまづいて右足薬指が腫れ上がって来た。うむむ。誰のせいでもない、自分のドジさ加減にほとほと嫌気がさす。ドジにつける薬なし。



母に脱帽!

2011年09月20日 | ライブとミュージシャンたち
仕事の合間にダウン。息子の風邪がうつったのかな。今日も芳雄さんの映画に行こうと思っていたのに。

それにしても昨日の6万人のデモ、凄かったな。私は映画観に行ってしまったが、母は友人たちと参加してきたそうだ。「もの凄い人だったわよ~!」おお、素晴らしい!! まさしく敬老の日に・・・。ここまで声があがって一体政府はどんな反応をするのだろうか。要注目だ。


昨日の『生きているうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言』という長いタイトルの映画が非常に重かったので熱がぐ~んと上がってしまったのかも知れない(苦笑)。「原発ジプシー」なんて初めて知った言葉だった。本当にあういう人たちが原子力施設で働いているなんて・・・今こそ観るべき映画なのかも知れない。3.11以前に観ても「原発?映画の中の話じゃない?」という感じでさらっと観ていたかもしれないが、今こそ現実味があって、本当に恐ろしくなる映画だ。

森崎東監督のもう一本は「ニワトリはハダシだ」だったが、この映画は太田恵資vlnと吉見さんのタブラが劇中ずっと流れていて面白かった。宇崎竜童さんが音楽監督。やるなあ。そして、最後の歌が「生きているうちが花なのよ」だった。この映画の主題曲とは・・・知らなかった。ちなみに「生きているうちが~~~~」映画が1985年作品、「ニワトリはハダシだ」が2003年の作品。

早く風邪を治して頑張らねば。元気な母に負けていられない。




勇気を持って

2011年09月18日 | ライブとミュージシャンたち
「原子力戦争」上映会に沢山の方々が来て下さってありがとうございます。原田芳雄さんで埋め尽くされた1日だった。それにしても朝から何回濡れ場を観た事か・・・(苦笑)。


「原発について考えようよ、私たちは子供たちのためにももっともっと放射能のことについて知るべきだと思う!」


「原子力戦争」の作者、田原総一朗はこの頃は脱原発の思想の元にこの本を書いたのだと思う。それが今やバリバリの原発推進派にまわっているなんて、映画の中の新聞記者、佐藤慶の役柄そのものじゃないか。あまりの皮肉な現実・・・。

今回発案者でもある一人のお母さんは何も知識のない中で3/11以降、子供たちを一端沖縄に疎開させてから自分はここで何ができるのか、と真剣に考えたらしい。そして半年経った今も「学校や地域の人たちが如何に原発に対して無関心を装っているか」を指摘する。

「脱原発!」の声を公にあげられず、モンモンとする日々を送っている友人や、20年以上前から脱原発に取り組んでいる出版関係の友人たち。「脱原発」と声をあげた出版者たちは次々に左遷されて行く現実。報道規制・・・目に見えない大きな圧力がこんなところにも、と知る事になった。いろんなところで地道に活動していた人たちが昨日はいっぺんにリンクした感じ。

それほどまでに放射能の事、原発の事、この社会の中で発言することがタブーになっているなんて・・・・信じがたい事実。未来館たいめいには貸し出し用のガイガーカウンターもあるそうだ。そういう事はもっともっと地域のみんなに知らせてほしい。って知らないのは私だけか?

東京もかなり広範囲に汚染されている。放射能は目にみえないから本当に恐ろしい。そして、こんな日本に、こんな地球を汚しても尚、原発を作ろう、稼働させようとする人間がいる事に怒りを通り越してただ驚くばかりだ。何もできない非力な私たちだが、このどんどん悪化する状況を少しでも食い止める手段を考えて、コツコツと実行していかなくてはいけないのだ。真剣にそんな話が朝まで続いた。

家の近所にそういう事を考え、食材にも気を使っている居酒屋があるのを彼らから教わった。そこの若くてハンサムなオーナーは芳雄さんの大ファンでもあってそれでも盛り上がった。いやあ、沢山の大きな出会いのある一日だった・・・。

母は強し。音楽もまた強し。長いものに巻かれるな!勇気を持って信じる道を進むんだぞ、と芳雄さんの天からの声が聞こえる。

一人一人が勇気を持っていろいろな事を発言できる世の中であってほしい、と願うばかり。明日のデモも不当な逮捕者が出ませんように。みんな怪我のないように祈っています。

団塊おやじたちのアイドル

2011年09月17日 | 映画、本、芝居関係
池袋Apple Jumpでのminga4にお越し下さって本当に有り難うございました。しかし暑かったああああああああ。

響きの良過ぎるハコなので、ノーマイクでも楽器が鳴りまくり。コスマスも最後まで音量に気を使ってコンガでのソロはラスト1曲だけに押さえていました。吉田君のピアノもうなるようなサウンドでApple Jumpのマスターもお客様も大喜び。

「今日の吉田さん,もの凄いですね~!!」
「ピアノがむせび泣くのを初めて聴いた」

永田利樹のベースもフェローンツアーの後だからブリブリに太いサウンドでゴリゴリに弾きまくり。いやはや、楽しかったで~す(描写が苦手で擬音ばかりですみません・・汗)。

そして、今朝は9時から新文芸座へ。原田芳雄特集の初日とあって隣りのパチンコ屋に負けない数の人が並んでいてびっくり。おじさまたちは早起きだな~。こんなに映画館が混んでいるのを観たのはジム・ジャームッシュ「ストレンジャーザンパラダイス」以来だわ(って、ふる~~~い!)。

『赤い鳥逃げた?』は1973年藤田敏八監督作品。桃井かおりがぷりぷりと初々しかった。原田さんのアウトサイダーっぷりが実に格好いい。そして一番観たかった『祭りの準備』。素晴らしい映画だった。原田さんはこの脇役をどうしてもやりたかったそうな。この映画のあとに、主役の江藤潤さんがそんな話やら芳雄さんのお餅つきの話などトークショーを行った。36年前の映画なんて・・・・みんな歳とるわけだ。

それにしても、あたり一面団塊世代で埋め尽くされていた映画館。休憩になると男性トイレが長蛇の列になり、次の上映が遅れるというハプニングまで。

「おじさまたちはトイレが近いんですね。」
「トイレがこんなに狭いのは映画館の設計ミスだな。」

「携帯電話をお切りください。お客様が使われなくても外からかかってくる場合があり、そうすると他のお客様たちのご迷惑になりますから。電源の切り方や操作の解らない方は受付までお持ち下さい。」などと館内アナウンスも馬鹿に丁寧だったw。

それでも映画館が活気づいてくれれば天国の原田さんも喜んでいらっしゃると思う。これからまだまだ原田特集は続きます。ぜひ一度は映画館で原田芳雄を観て下さい!!若者にも観てほしい作品ばかり。

さあ、そして今夜は3本目、「原子力戦争」です。「祭りの準備」と同じ黒木和雄監督作品だから超楽しみ。

詳細はこちらから<新文芸座>



サザエは続くよどこまでも・・・

2011年09月16日 | ライブとミュージシャンたち
フェローンも帰ってほっとしたのも束の間、やらねばならない事が山積みで慌ただしい日々を送っている。自分から慌ただしくしている、とも言えるが。

フェローンのセッションに参加した際に忘れて行ったパーカッションたちを取りに江古田Buddyへ。ぎんぎんの日差しの中、チャリンコを走らせ我が家から15分。その前に図書館に行って予約していたゴーギャンの「NOANOA」を借り、さらにスーパーで息子に頼まれていたバナナをゲット。ふうう。この暑さの中で3つもやることをこなし、最後はプールに寄って帰ろうと思っていたが・・・・Buddyで高木さんにおいしい「トマト&バジルジュース」をご馳走になり、すっかりプールに行くのを忘れて家に帰って来てしまった。4つ以上の事は覚えられないようだ。せっかく重たいお風呂&プールセットのリュックサックを持って出たのに・・・。


家にもどって夕飯の支度をしていると電話が鳴った。プールに行き損ねたジムからの電話だった。なんだろう?ゴーグルが見当たらなくて・・・と、忘れ物の中から一番綺麗そうなものを『あ、これかな?』と貰って来てしまったのだが、やっぱりバレタのだろうか?などと頭の中でグルグルと悪い事を想像・・・「N警察署からメンバーズカードの落とし物があったそうです。明日以降電話して取りに行ってください。」

えええ?なんでまた~~~、よりによってN警察なの?そ、そっか、江古田で落としたんだわ。げ、げ~。いらない荷物持って行って、さらに落とし物するとは。しかもN警察。あそこは鬼門なのにぃぃいい(涙)。

ということで、昨日はプールに行ってから、家に戻って車でN警察まで落とし物を取りに行った。とほほな人生はまだまだ続く・・・一生続く。


そんな私ですが、本日は池袋Apple Jumpでminga4のライブです。ぜひとも遊びにいらしてくださ~~~~~~~い。

明日の上映会は定員に達しましたので受付を締め切らせていただきます。沢山のご応募ありがとうございました。