京都五条坂の近くに六道の辻と言われる場所に、昔からの飴屋さんがあります。
「幽霊子育飴」と書かれた看板が、ひときわ目を引くお店です。
「幽霊…ちょっと怖そう…」とミモロは、恐る恐るお店の中へ。
ここ「みなとや幽霊子育飴本舗」は、日本で一番古いと言われる飴屋さん。その歴史は、定かでないものの500年以上前からと伝えられます。
現在、お店を担うのは、20代目になるという段塚きみ子さん。
ミモロに、飴に纏わるお話を聞かせてくださいました。
そもそもその飴が「幽霊子育飴」と呼ばれるのには、こんなお話が…。
時は、関ケ原の戦いが起こる1年前の慶長4年(1599)。すでに飴屋を営んでいた店に、毎夜、ひとりの女が飴を買いにやってきます。それもかなり遅い時間に、1文銭を持ちやってくる女は、血の気が引いたような青白い顔。銭を翌日見ると、それは1枚の葉に変わっています。数日間、毎晩やってくる女を不思議に思った店主が、後を付けると、女が向かった先は、墓場。なんと土の中から、赤ん坊の泣き声が聞こえるではありませんか。声のする墓を掘り返してみると、中には、亡くなった女と生まれたばかりの赤ん坊が。
女は、幽霊となり、死後生まれた我子のために、乳の代わりに、飴を与えていたのです。
「死後、三途の川を渡るには、六文銭が必要。でも女は、その大切な六文銭を我子を育てるために、飴を買うことに使ったんです。母親の子供を思う気持ちの強さが胸を打ちますねー」と。
このお話は、後に落語になったり、また、ゲゲゲの鬼太郎で有名な漫画家、水木しげるさんも、題材にしているそう。
昔ながらの方法で、変わらず作られる飴は、パッケージも素敵。
300円と500円の袋詰めで販売されています。
ほとんどを麦芽糖で作られる飴は、美しい琥珀色。大きな飴を砕いたゴツゴツした形をしています。
「どうぞ、遠慮なく食べてみてください」と、すすめられミモロは、ひとつ口の中へ。
「わー美味しい。癖がなくて食べやすい飴。しつこくない甘さがいいねー」と、飴を口の中で転がしています。
「いつまでたっても、角が溶けないのが不思議…ペロペロ…」
固めの飴は、本当に最後まで、角の感じがそのまま。
「幽霊が、赤ちゃんに上げた飴だから、体にいいのかも…」
「そうですよ。これをなめると元気になるんです」と。
「もうひとつ、食べてもいいですか…」と、ミモロはこの飴がすっかり気に入ったよう。
飴をなめながら、お店に飾られた写真を。
「これが昔の飴を作る道具・・・えーとそれから、幽霊がお金を入れた箱…」
「そう、それは家の宝物なんですよ」と段塚さん。
「ひとつくださーい」とミモロは、飴を購入。
「この飴を使って、魚を煮ると、すごく美味しくできるんですよ。お湯でとかして、飲み物にする人もいるんです」と。「なるほど、この飴でお料理するときっと美味しくなるねー」。
ミモロは、飴を袋に入れてもらい、嬉しそうに店を後にしました。
*「みなとや幽霊子育飴本舗」京都市東山区松原通大和大路東入ル 電話075-561-0321 10:00~16:00 月曜休み 「六波羅蜜寺」のすぐそばです。
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