michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

フォローと確認、これが大事

2012-10-31 08:36:35 | お仕事

きのうの、

拡散予測、6原発で誤り=要避難の最遠地点は長岡市―計算結果の方位にミス・規制庁』

このニュースには、ビックリした。

「各原発の風向データを入力する際、方位を表すコード番号が原発ごとに違うことに気付かずに入力。」

というんですから。

こんなことが起きるなんて。

思わずつぶやいた言葉は、

「えっ、有り得ない…。」

しかし、現実に起きてしまった。

 

そして、今日のニュースでは、

拡散予測ミス、再発防止策作りへ』

「シミュレーション結果を照合・確認することはせず、生のデータも持っていなかった。」

というんですね。

これからは、シッカリと対策を立てて戴きたい。

 

 

こういったことは、その作業をした人、個人の責任ということだけではなくって、

周りでもフォローしなくては。

『番号が原発ごとに違うこと』を知っている人がいたとしたら、

「気をつけてくださいね」と伝えるとか。

そして、

その作業のあと、別の人 複数が確認する必要がある。

 とても重い仕事なのですから。

 

           

 

で、自分に引き付けて考えました。

 (はるかに軽い仕事ですけどね)

自分の事務仕事は、書類とパソコンを相手の作業だけど、

その向うにあるものが観えるかどうか――。

観ようとしているか。

わたしは現場の実際のことは、あまり知らなくて実感は無いのです。

そこに思いを馳せようとはしていますが。

 

このことを常に意識して、

ちょっとでも「あ…どうかな?」と思ったら、現場の人に確実につなげるとか、

確認するとかしていきたい。

 そんなこと、改めて思えてきました。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「僕にしてみたら、アレッ!? って感じ…」

2012-10-29 19:53:10 | ふれあい

ゆうべの

ETV特集「被災農家を救え~若きビジネスマンが挑んだ農業再生550日~」

「津波で潮をかぶった田畑で農業再開の支援を続ける西辻一真さん。復興行政の壁にもがき苦しみながら、農業再生を夢見る日々を追った1年半のドキュメント。」

 

――なんだか胸が熱くなりました。

どんな状況になっても誠実で、その時その時 懸命に取り組んでおられる。

そんな西辻さんの言動で、とても印象に残る場面が。

 

話し合いの席。

農家さんたち、生活かかってる訳で、切実、

も、必死。

ある農家さんの率直な発言があり、

西辻さん、じっと聴いてから、

「…僕にしてみたら、アレッ!? って感じなんですけど――」

 

人によったら、

「そんなの おかしい」とか言ってもおかしくない状況で、

彼の場合は、こういう言葉が出て来た。

「…僕にしてみたら、アレッ!? って感じなんですけど――」

批判とか理屈とかじゃなく、

『今の発言を聴いて、自分の中からは、こんな反応が出てきたんです。』

これは、まぎれもない事実、そのまんまですよね。

 

 

自分のふだんの会話でも、話し合いとかでも、

 「ちょっと困惑してしまった…」

 「私の心がとっても喜んでるのよ~ 」

こんな風にいきたいナ、って私は思いましたね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電車の話、どちらも とっても良かった☆

2012-10-28 14:58:05 | 映画

DVDレンタルで

RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語

を観ました。

これって、電車マニアさんには、すごい魅力なんじゃないでしょうか。

そうじゃない人にも、とっても良かった。

中井貴一さんが、カッコイイ~

そして、高島礼子さんは、相変わらずステキ~。

 

この映画では、いろんなこと感じたんですが、

ふと気付いたのは、

主人公が運転士の講習を受けたり試験を受けたりするときは、

も、キビキビしてる。

スムーズに合格し

晴れて運転業務に就いて、熟練していくと、

電車の揺れに身体が、なんというか身をゆだねてる、っていうか、

余分な力が入ってなくて、自然にガタゴト揺れている。

 当り前のようなけど――。

 

前半の、会社に勤めていた時は、

すごいエリートだけど、家族など周りとはギクシャク…。

いかにも「会社人」「企業人」という仕事ぶりで、こちらは眉をひそめてしまう。

それがふとしたことで、心の底に忘れていた、

自分の本当にやりたかったことを想い出す。

 

後半は、すごい人間的っていうか、

心のゆたかな人になっていく。

それが『人らしい自然な生き方』とうつりました。

 

  ふと思いました。

  自分は、たとえば一般的な常識とか、

  過去にとらわれたりして、

  余分な力が入ってたり、なんてこと

  ないかしら・・・。

 

                 

 

そして今日TVでも、電車の話が。

明日へ-支えあおう- 証言記録 東日本大震災第10回「岩手県宮古市」』

「岩手県の沿岸を走る三陸鉄道。大震災の津波で線路や駅舎が流された。しかし、社員総出で復旧にあたり、わずか9日間で運行再開を果たす。震災と闘った鉄道マンの証言記録。」

ということで、

こちらは実話。素晴らしい。

とても感動的でした。

 

鉄道マンたちと、住民たちとの、

想いがいっぱい詰まった電車が走っているんですね。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年でこんなに成長☆

2012-10-27 16:44:16 | 自然

メールで、

「一年前の10/25には、

こんな記事を書いてます」と、お知らせがきた。

芽を出したよ♪』

オリヅルラン、小っちゃな子株だったのが、

一年でこうなったのね。(きのう撮ったもの)

 

 この、ランナーの先の子株、ひとつ移植したらまた

 こんな風になるのよねぇ。

   それに引きかえ 私ったら ちっとも成長しない・・・、

   ――なぁんて考えてもしょうがないことは、もう置いとこう、っと。

 

この間、いくつもの花が入れ替わり立ち替わり咲いてくれた。

このオリヅルランたちは、

私のこと全部知ってる。観てくれてたんだよね。

私の ため息も、嬉しいときの弾む息も、

共有して共に暮らしてきたよね。

 

  ブログって、ほんと

   私の暮らしの、心の「日記」なのねー。 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この一滴が、元気づけてくれて

2012-10-25 15:05:20 | 自然

土から、水栽培に変えた(4月)ポトス君は、

その後 蔓は延び 葉が次々と生まれ、繁っていってます。

壁に這わせていた時と違うから、

この支柱の中で納まるようにしたから、

いくらでも伸びて繁って良いのよ~。

 

鉢の中は『ハイドロボール』、¥100shopにあったもの。

これに適量水を入れるだけ。

(根腐れ防止剤を底に敷きました)

 

水だけでこんなに元気なのって、不思議――

この、上の方の1枚の葉っぱの先端に水滴が。

鉢の水を勢い良く吸い上げた証拠。

この一滴が

「ボク、元気ですよ~」って教えてくれてるのね。

 

 

そして、こんなことがmichiを

  チョッピリ元気づけてくれるの。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊かやねぇ、干し柿やら 銀杏やら

2012-10-23 16:48:35 | 農の暮らし

好いねぇ、こんな風景。

自分が食べる、食べないに関係なく

私の中が満たされて

心ゆたかになれるのよね。

 

柿という自然の恵み

プラス、太陽の恵み

そして風さんも?

きっとおばあちゃんたち、いそいそと皮をむいたんでしょうね。

吊るしてくれたのは おじさんかしら。元気なおじいさんかもね。

    

 

 

銀杏、

茶碗蒸しに2個ずつ入れたとしたら、

何人分できるでしょうかね。

 

銀杏の木の下で拾い集めたのを、

二人の人が水の中で果肉を落す。

「おばあちゃんたちの 水遊びやで~ 」なんて

ワイワイ楽しみながらやってくれたんですって。 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

も一つ、別の「目」をもつことだよね

2012-10-22 07:43:11 | ふれあい

口頭でも、メモやメールなどでも、

「これだけ言っておけば、わかるでしょう」と思っていたら、

チャンと伝わってなかった。

 そんな経験、何度もしてきた。

 

「ちゃんと読んでよね~ 」という思いが出てきたりもするけど、

その人には伝わらなかった、というのは、事実なのよね。

実際には、そうだった、とキチンと受けとめようと思う。

 

で、逆の立場で自分にもそんな体験が時々。

問い合わせて、そのあと読み返してみたら、

「あら、ちゃんと書いてあったんだわ…」ってことも。

繰り返し読んだつもりでも、目に入っただけで、

理解・認識して脳に届くまではいかなかった、

ってこと、あるんですねぇ~。

(最近もあったんです。)

 

例えば大工さんて、木をカンナで削ると、いろんな角度から観て確かめ、

手で撫でて感触で確かめて、ってやりますよね。

自分の暮らしの中でも、いろんなモノ、じっくり観るだけじゃなくって、

角度を変えたり、

窓のそばなど明るい所へ行くと

観えるようになることってよくある。

 

何度確認したとしても、

「チャンと通じてないかもしれない」

「ホントに観れてないかも」みたいな、

 『もう一つの目』を

持っていたい、って思うんです。

 

 

感じ方や考え方も、そう。

たとえ「ああ、情けない・・・」なんて思ったとしても、

ふと、

「でもさぁ、こういうの なんも感じない人も いるよねぇ」

「却って『よぉ~し』とか、力が湧いてくる人もいるかも」

なんて思えてきたら、

 心が軽くなってくる。

自分自身は、そんな風に思えなかったとしても、

少なくとも さっきまでの重苦しい気分は、

 確実に薄れてくるんです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も この香り☆ / これからよろしくね、パソコン君♪

2012-10-21 11:16:22 | お仕事

それは いつも突然にやってくる。

この香りは…そう、あれだ☆

今年も咲いたんだね、金木犀。

これは2Fのベランダから撮ったもの。

2本並んだ木の、大きい方は高さ6mくらい?

この右側のは、一回り小さい。

この辺り一帯、なんとも云えない芳香で充たされる。

 

(この2枚のアップは去年のものです。)

 

           

 

ここ数日、職場は「なにが起きるかワカラナイ 」みたいな状態でした。

 

2台のパソコンが新しくなり、

机の上でパソコンと周辺機器が幅ってたのが、うんと小さくコンパクトになって、

広々と使えるようになった。

ソフトもバージョンアップされて、

以前より便利に使いやすくなるかも…

なんて期待したのが甘かった。

集中して2時間かけて入力したものが、パ~になって、

全部入力し直したり

突然「終了」になって、、詳しい人に見てもらい、

その間、何時間も使えなかったり。。

 

きのうは、やっとスムーズに入力できて、チャンと「保存」されたようで、

 これって当たり前なんだけど、

 「あぁ、有りがたい 」って、しみじみ思ってしまいました。

 

   これから、よろしくお願いしますね、パソコン君、

      大事にしますから。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽。こんな風にしたら難聴でも「それなりに」楽しめるよ♪

2012-10-19 08:42:26 | 聴こえ

前回、あんな風に書いて、

「私なりの音楽」ということを、しばらく考えてみました。

 

曲によってとか、また状況などによって、どれだけ聴けたかは色々。

例えば『アメージンググレイス』とか『アヴェ・マリア』みたいな、よくよく知っていて大好きな曲でも、

聴いていてメロディを追っていけない(記憶と、いま何となく聴こえてくるのとを重ねていけない)こともあって、こういうのはとっても悲しくなる。。

また、コンサート(クラシックやポップス系)に行っても、曲の紹介やトークなどがほとんど聴き取れず、みんな笑ったりしても「なんか、面白いこと言ったみたいね…」って分かるだけ。

 そうなると自分だけ独り取り残されたような気分に。。

 こんなんなら、TVを一人で観てる方がマシ。。

 

そんな悲しい体験が、より印象に残りやすいのかもしれないけど、自分の中に蓄積されちゃった。

 

          

 

ちょっと前にNHKで、「音楽探偵事務所」とかいう番組がありましたよね。

所長は「アマデウス」(なにやら漢字をムリに当てはめてましたが )

スタッフは、たった一人、「響(ひびき)カノン」ちゃん。

この番組では、その回ごとに ある曲を解明するような形で、その魅力・聴き所など とても分かりやすく伝えてくれて良かった。

 

ただピアノを弾いて、「ここが、こうなってますよね? ふつうなら こうするところですが」

とか教えてくれても、こちらは音では違いが分からない。聴き分けられない

でも、この番組では、音譜が一行(一段)だけ大きく出て来て、カラオケみたいに 「今ここを弾いてます」と色が流れて示してくれて、ひと目で分かる。

それがあるので、耳では  何となく聴こえただけでも、「あ、なるほど」 って納得できるんです。

 

また、

TVでは たいていの番組、かなりアップにしてくれるので、オーケストラなどでの繊細な音の楽器も、

たとえば、「ああ、今フルートが鳴ってるんだ 」と分かり、

観るまでは聴こえてない場合でも、

聴こえてくるような気がしてくるんですよ

 (これ、自分でも面白いなぁ、って思うんです)。

弦楽器・鍵盤楽器や打楽器などは、目で見れば、だいたいの音の感じは推測できるし。

 

            

それで思いついちゃった。

コンサート会場でも、プロジェクターを舞台に設置して、

各楽器、アップの画面を映し出してくれると良いナ。

 

または、

楽譜一段だけ大きく映して、「今は ここ」って色で動きながら示してくれたら、かなり音楽を味わえるんじゃないかと。

自分の五感を使って総合的に楽しめそう~。

 

そんな風にすれば、聴こえる・聴こえないに関係なく、会場全体の空気を 共に共感、分かち合うことが出来るんじゃないかしら。

 

 

さらにさらに、、

音って、空気を通さずに、直接ヘッドホンなどで耳に入れれば、

かなり鮮明に、そして大きく聴こえる。

なので、舞台のマイクで集めた音を、直接ヘッドホンで聴くような形に出来れば――、

聴力検査で使うような、耳全体を覆うようなヘッドホンで。

 

それも、各々の耳に合わせて、ボリウムや、音質(低めの音を多めに とか、くっきりハッキリとか)

聴きながら自分で調節できたら…、も、言うことナシ。

 

(このヘッドホン形式は、講演会などでも そんな風にしてくれたらなぁ、って思っているんです。)

 

ちなみに、会場によっては「磁気誘導ループ」を用意してくださることもあって、

ボリウムは大きく届いて有りがたいけど、ハッキリ聴こえる(言葉として聴き取れるようになる)わけじゃないんですよね…。

  これは、あくまで私の 何回かの体験ですが。

    

            

 

ま、そんなようなこと無くっても、なんとなく聴こえただけでも、

たいていは「それなりに」味わってますけどね~。

 

なので、希望を言わせてもらえれば、

 音楽番組、どれも せめて字幕放送にしてほしいナ。

曲の紹介や、それにまつわるトークなど、聴きたい(知りたい)んです。

 

                 

以上、こちらは専門的な知識も無く、どれだけの技術や手間ヒマ・経費などかかるかも知らないのに、

好き勝手なこと しゃべってしまいましたが、

   音楽を聴いて楽しみたい難聴者とか、手話を知らない難聴者とか、

   たくさんおられるということは、機会あるごとに お伝えしたいんです。

   関係者の方々、どうぞよろしくお願いしたします。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ハンドサイン』――「聴こえる人も、聴こえない人も」

2012-10-17 11:01:16 | 聴こえ

ゆうべ『ハンドサイン』がテーマの番組を観ました。 ↓

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=300&date=2012-10-16&ch=31&eid=24630

 「ハンドサイン」というのは、『みんなの手話』でも紹介していましたね。

どちらの番組でも、

「耳が聞こえる人も聞こえない人も一緒になって楽しめると評判をよび、人気を集めている」

って。

 

う~ん、正直言わせてもらうと、、

これは「主に 若い方向き」で 「手話が分かる人 や 聴こえる人」

には良いんでしょうねぇ~、

って思いました。

 

私のような、かつての若い人で、

手話は まだまだ勉強中の、中途失聴者にとっては――、

「活気があって元気ねぇ、若いわね」って感じでした。

 

私の場合、聴こえ具合は、聾の手前くらい。

 リズムは 分かる。

 メロディは 彼らの曲だったら、大体、一応 程度。

 歌詞は ほとんど聴き取れず、全て字幕に頼ってました。

 英語の部分は全く聴き取れず、字幕も英語で、一瞬のうちに改行されちゃうので追いつかず・・・、

 また知らない単語もあったりして・・・。

 

ずっと字幕を観て読んでいくので、5人のダンスは なんとなく目に入る という感じ。

手話は、、

ほとんどのシーンで 画面全体で5人が踊っているので、

手の動きまでは あまり読み取れない。

(私は、手話講座や手話ニュースのように、ポイントごとに一瞬動作を止めるような、

字で言えば 楷書のような手話なら、だいたい分かったり ~ 何割か読み取れたり、というレベルなのです。)

そして 手話って、正面から見て読み取るように出来ているんですよね。

横からとか、激しく踊りながらでは、初心者には分かりづらいことも。

 

それでも、メンバーの若い方々が「聴こえない人にも音楽を楽しんでもらえるには――」と

真剣に取り組んでおられる姿は、素晴らしいと思いました。

 

            

私の体験ではね、

例えば、和太鼓。 プロの舞台公演はもちろん、アマのちょっとした演奏でさえ、

こちらの身体の芯まで「ドドーン」と響いてきて、

その瞬間瞬間 響き具合が違っていて正に音楽的で、それらが重なり合い、、

ホンット感動します。

 

 

そして、何年前でしたか、元バレーリーナの「手話ダンス」の公演があって

思い切って、電車を乗り継いで行ったことがあるんです。

まだ若く美しい娘さんなのに 難病でバレーリーナを諦めざるを得なかった。

でも、「手話ダンス」を始めて、

その時も病状良くないのをおして踊ってくださったんですが、

とてもとても素晴らしく

  こころから感動しました。

 

 

どんな立場や境遇にあっても、「共に味わいたい」、「それなりに楽しみたい」といったような、

  心が寄っていくのが 良いなー。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『傾聴』自分は、どうや?

2012-10-16 13:28:28 | ふれあい

このごろ『傾聴』についての話題を時々耳にします。

これまでの自分の経験からは、特に仕事のことでは、

「一旦、聴いてくれたらええんやけどなぁ…」なんて思ったり、

つい人に求めてしまうことが多かった。

(会話でも メールやメモなどでも。)

 

暮らしのなかでも例えば、親しい人に出会って、

「あら、どうしたの、しんどいの?」など訊いてくれたら、

「うん、、」と自分の体調不良、どこどこが…と話し出す。

すると、すかさず、

「あら、それって老化現象よぉ」

 (私の これは、それとは別ものなんやけど…)

 

また別の件では、

「あ、わたしもねぇ~」と、自分の方に話をもってかれちゃったり。

 (結局、自分のこと喋りたいんやなぁ…)

その話が参考になる場合は良いけれど、

例えば、「膝が痛い」といっても、

症状から原因、対処法など、千差万別なのですよ。

 

また別の例。

心の話になって、自分の最近の心境などしゃべり出すと、

パッと時計に目をやる人がいる。 そうなると、

(ああ、あたしの喋り方って、モタモタしてるから、

時間が気になるんでしょうねぇ…)

と、話を はしょってしまう。

そうなると、ますます話は中身の無いものになっちゃう。

 

 

話を引き出すのがうまい、と思ったことは――、

たとえば、

こちらが一つ話すと、身を乗り出すようにして

「うんうん、それで?」と興味を示してくれたりした時。

 

とにかく、ゆったりと安心して話せる 空気 が、まず必要だわねぇ、って

よく思うんです。

 

――と、ヒトのことは よく見えるけど、

果たして自分自身は、どんな聴き方をしとるかね・・・?

 

傾聴を心がけていると、

家族の間でも、職場でも、

互いの関係が良くなり深まっていくということです。

聴きながら こころから相手を思いやったり、

その人の立場になって考え、共感したり。

そういうのから始まるんですよね。

 

 

こんなサイトを見つけました。 ↓

https://sites.google.com/site/shigotonokotsu/qing-ting-liwo-gaomerukotsu

「あやつる」とか「スキル」とかいう言葉が気になったけど、

それは横に置いておきたい

(私は、「心を」「相手の方に傾けて」「丸ごと聴く」みたいなことをしたいんです)。

中身をサッと読んでみると、参考になることがたくさん。

少しずつ、じっくりと読んでみようかしらん。

そして、目指すのは、

『時間ドロボウ』のお話の主人公、

  「モモ」です。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋も深まって、

2012-10-14 07:56:19 | 暮らし

きのうの朝は冷える、とは聞いてたけど、ホンットに寒かった。

8℃まで下がったらしい。

(この気温は市の中心部のことで、ここらの辺鄙な田舎はもっと低いかも。)

 

あったかい朝食をとっても

肩から先は冷えっ冷え。

ずっと室内でも。。

手足を見てみると、紫のまだら…。

何枚も重ね着してるのに。

(いつも日中はポッカポカになるので、調節できる服装が良いんですよね)

 

アタマの中も、なんか どんより、動きにくいような感じで、

午前中、最低限のことしか しなかった――。

 

でも、お昼になって同僚の笑顔に助けられたし、

お昼は手打ち蕎麦。

さらに夕飯は新米。

そしてそして、友人からは、手作りの栗蒸し羊羹。

どれもこれも、仲間メンバーが育てたり作ったりしたものです。

  豊かやねぇ~

 

こういうことで心の中まで ほっこりしてくる。

   ったく単純なヤツやなぁ。

 

でも、大いなる自然の恵みですよね。

 ありがたいことです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『山中教授「人間万事塞翁が馬」』

2012-10-12 18:15:58 | メルマガ

ここ数日、山中さんの話題が飛び交ってて、

こういうのは、嬉しいことですね。

研究のすごさも さることながら、

リーダーのお手本のようにも思えたり

そのお人柄には とても惹かれます。

 

10日の『クロ現』でも、

最後のあたりで、とても温かく軽快なやりとりがあったようで

字幕を読むのが追いつかず、テキスト(上にリンクしました)が

アップされるのを待って読み、にんまりしちゃいました。

   ↓

先生にとって癒やしとは

これは今まで、やはり子どもが小さくて、その子どもたちの成長、笑顔、それにずいぶん癒やされました。
今はもう23歳と21歳になってしまったんですが、これからもできたら、お父さんに優しくしてほしいなと思っています。

 

  好きですねぇ、こういう方。

 

           

で、今朝のメルマガ『心の糧』でも山中さんの話題。

テーマは『山中伸弥教授「人間万事塞翁が馬」』。

 

 一部引用させてもらうと、

 

いま世界的に脚光を浴びている山中教授ですが、

 研修医の頃は「じゃまなか」と呼ばれていたり、

 ノイローゼ、うつになって、
 志を捨てようと悩んだ時期もあったのです。

 

  え~、ビックリ~

  まさに「塞翁が馬」なんですねぇ。

 

           

 

さて、自分の方に目を移してみると、

なんか「ええっ、、」となるような言い方をされたりすると、

心はザワザワ。。

だけど、

こんな山中さんの話題など聴くと、

「こんな些細なことに 左右されへんよ~ 」なんて気分になってきちゃいました。

そして さらに、

「もしかしたら、あれでも あの人にしたら、精一杯

気を入れたりしてくれたの かも しれへんしね

なぁんて思えてきたので、

  これには自分で ちょっと ビックリ。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『いのちのリレー』広がってほしい~!

2012-10-11 15:52:33 | 社会・共生

先日、図書館で、

前から読みたかった本に出逢ったんです。

アハメドくんの いのちのリレー』   鎌田 實 著

このお話は、いつだったか鎌田さんの文章で知った。この本のことも。

ページをめくるごとに大きな絵が現われてとても読みやすく、著者は「絵本」とおっしゃっている。

でも、中身はズシリと重く、詰まっています。

想像していた以上に素晴らしい本でした。

子どもから大人まで。英語がついているので外国の方々にも読んで戴きたいです。

 

 前半の要旨は、

   ――――

アハメド君は、難民キャンプで生まれたパレスチナ人。

2005年、おまつりの日に、イスラエル兵に誤射され、亡くなってしまった。まだ12才でした。

脳死となったとき、医者はイスマイル(そのお父さん)さんに、そっと臓器提供の相談をすると、イスマイル父さんは、周りの人と相談し、結局同意することにしたのです。

提供を受けた6人(皆 イスラエル人)のうち、50代の女性は亡くなったけれど、5人の子ども達は生きている。笑顔を取り戻し、ふつうの暮らしを楽しめるようになった。

鎌田さんは新聞記事で知って強く心打たれ、そのアハメド君のお父さんに是非お逢いしたいと願い、ついに5年後、その夢が叶った。

 

         

 私の胸にグッときた部分を引用させてもらいます。

 

『イスマイル父さんは、悲しみを横に置いた。

憎しみも横に置いた。

大事なのは、病気の子どもを助けること。』

 

『渦巻く批判の嵐のなかで、イスマイルが発した言葉。

それが、ぼくが新聞で読んで胸打たれたあの言葉だった。

「臓器提供は、平和の実現を望む私たちパレスチナ人の

シグナルだと思ってほしい」

 

イスマイル父さんは言う。

「大切な人やものを奪われたとき、その相手に報復すれば

憎しみの連鎖に巻きこまれてしまう。

武器を手に戦うことばかりが、戦いではありません。

戦い方は、いろいろあるんです」』

 

『平和な明日を勝ち取るための戦いだった。

イスマイル父さんの行動は、爆弾よりはるかに大きな衝撃を

イスラエルの人々の心に与えた。

とてつもなく難しいからこそ

とてつもない力を秘めた戦いだった。』

 

(鎌田さんが、イスマイル父さんと連れだって、移植を受けたサマハちゃんという女の子の家を訪ねると、そのお母さんは、)

『ひざの上で重ねていた両手を、彼女はぎゅっと握りしめた。

「ただ、アハメドくんのご家族のこと

とくにお母さんのお気持ちを考えると心が痛みます。

さぞ、おさみしいでしょう。さぞ、おつらいでしょう。

殺されたアハメドくんの無念とご家族のつらさを

忘れないようにしています」

そのあとの長い沈黙から、言葉にならない想いが聞こえてきた。

この人は、心臓を提供した少年の母親の気持ちを

察しようとしている。

悲しみを共有しようとしている。』

 

~あとがきにかえて~より

『お母さんと一緒に絵本を読んだ子どもたちが大きくなったとき、アハメドとサマハのいのちのリレーが、悲しみや憎しみに流されないための錨になると信じたい。憎しみの連鎖から、あたたかさの連鎖へ。世界を変えていくための小さな力になると信じたい。』

 

          

 

私も、最初は、

(このお話は美しすぎる。できすぎ…。)

と思ってしまいました。

でもこれは、現実・実際にあったことなんですよね。

そう、『憎しみの連鎖』は、延々と果てしなく続いていく。

人間って、そんなに愚かな動物とは思いたくないです。

たった一つのことからでも、

『あたたかさの連鎖』に切り替えて、

心豊かな世界に、少しずつ変わっていく、

そんなキッカケになってほしいと願うばかりです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

焦点合ったかどうか、くらいで瞬間的に観ちゃってる

2012-10-10 21:06:06 | 健康・身体

もう一ヶ所、先日は 眼科にも。

疲れ目の、目薬をくれました。

 

このごろ、

焦点が合いにくいと感じることが時々あるんです。

耳が あんまりアテにならない私にとって、

目は、耳の代わりをしてくれる大切なもの。

(口の動きを読んだりね)

目がボヤける。これって重大なことなんです。

 

TVは全部字幕放送で観る。

この頼りにしてる字幕が、ハッキリ観えないことが時々あって、

左右、片方ずつなら観えても、

両目ではボヤける…。

 

この状態は、よくあることだそうですね。

人間の体って、各部とも超精密・高性能。

左目、右目、それぞれで観た多少違うものを、

アタマの中で一つにまとめて、立体的なものとして認識している。

この『まとめて』という部分が、

疲れなどによってうまく出来ないことがあるという。

 

 

 

 

毎日の事務作業では、書類に書いてあるものを1つパソコンに打ち込んでは、

画面を観て確認。

その繰り返し。連続。

それは、コードNoが半分くらいで、だいたい記憶しては ある。

 

で、書類をパッと観て、たとえば、

「ああ、『◎△◆』で、(そのNoの)5125ね」と、

瞬間的に、というか、キチンと焦点合ったかどうか、くらいで認識

(記憶で裏打ち、重ね合わせて)。

すぐ、そのように打ち込んで、

画面観て、◎△◆を確認してしまうことがあるみたい。

 

 「みたい」というのは、意識してないんですよ。

 もう、パパッとやっちゃう。 

 こういうことって、フツウの範囲内のことなんでしょうか。。

 

でも、こんな不確実なことでは、もしもミスがあったら 大ごと なので、

色々工夫は してるんです。

*打ち込む前に書類に色ペンで印し付けするとき、一見して確実に分かるよう、

チョッピリ手間かける。

*書類はできるだけ手に持って画面に近づけて観る。

*1枚打ち込んだら、確認作業は、

一つ一つ押さえるようにして、キッチリ確実に確かめる。

*最後、項目数でも確認、などナド。

 

 

目薬のお陰で、

ボヤけるのは、多少良くなってきたようなので、

どうぞご心配なく――。

 

  自分は目をどんな風に使っているのか、

  どんな風に『観て』いるのか、

  ちゃんと「みて」いきたいと思っている次第です。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする